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脱臼の整復(脱臼した大腿骨頭を本来の受け皿である臼蓋におさめること)そのものは多くの場合それほど難しいものではありません。もちろん整復のむずかしい脱臼もありますが、整復を妨げている原因をあきらかにして整復方法を選択すれば良いわけです。問題は、赤ちゃんの大腿骨頭はその特異的構造から損傷(大腿骨壊死)を受けやすく、ひとたび傷つき変形がおこると正常な発達をすることが困難である、ということです。したがって、いかに大腿骨壊死を発生させずに脱臼を整復するか、ということがこれまでの小児股関節に関する学会の主要テーマであり、今でも最も重要な課題であることに変わりはありません。我が国においては1960年代にリ-メンビュ-ゲルが普及し、それ以前と比べれば大腿骨頭壊死は激減しましたが、それでもまだ完全になくなったわけではありません。
リーメンビューゲルを用いた脱臼の治療成績については、1994年第33回日本小児股関節研究会で主題として取り上げられ、8大学4病院の成績では、整復率は約80.2%で、骨頭壊死発生率は14.2%であったことが報告されています。ただし、これはさまざまな脱臼度を度外視して、軽度のものから重度のものまでのすべてをひっくるめての成績です。私達の成績も似たようなものでしたが、これをさらに詳細に調べてみると興味深いことがわかったのです。リーメンビューゲルは亜脱臼(タイプA脱臼)では整復率100%で合併症も極めて少ない(ただしまったくないわけではありませんが)のですが、真の脱臼(タイプB、C脱臼)にたいしては整復成功率は約50%で、整復成功しても骨頭壊死発生率は30%にも昇ることがわかりました。すなわち、脱臼度の低いたとえば軽度の亜脱臼では整復率は高く、合併症もすくないのですが、完全脱臼では整復率は極端に悪くなり、たとえ整復されたとしてもしばしば骨頭壊死などの合併症の発生することがわかったのです。重症度を無視して赤ちゃんを十把一絡に扱う、というのがどれほど深刻な問題を生み出しているかおわかりでしょう。このことに関してくわしく知りたい方は、整形外科雑誌で世界的にもっとも権威のある(Journal of Bone and Joint Surgery 78-B,1996年発行、631-635ページ)を参照してください。リーメンビューゲルによる整復率や合併症については約20年前から小児整形外科学会でもおおきなテーマとなっており、現在でも様々な専門施設で臨床研究が進められているところです。このことについては、日本の代表的な整形外科の雑誌の1つ、(臨床整形外科24巻No.5,1989年、598-629 page)を御覧下さい。
今日ではどのような脱臼に対しリ-メンビューゲルによる整復を行うと危険であるかわかっています。したがって、脱臼の重症度を分類し、リ-メンビュ-ゲルの適応を明確にして治療を行うことが重要になってきました。
どのような疾患でも同じですが、病気の重症度は個々の患者さんによって異なります。先天性股関節脱臼においても同様で、わずかに不安定性のある股関節にいきなり整復操作をおこなう必要もあrませんし、一方重度の脱臼にたいし漫然と自然治癒を期待するのも間違いです。合併症を発生させることなく効果的な治療をするには、重症度に応じ適切な治療をおこなう必要があります。
脱臼の重症度の分類方法はいろいろ試みられてきました。代表的なものは股関節を伸ばした状態での単純X線像において、臼蓋に対し骨頭がどれだけ上方(頭方向)にズレているかを計測するものです。この方法はある程度重症度を反映しているのですが、単純X線像は投影像であり、複雑な三次元構造をした股関節の重症度を診断するにはやや無理があると思われます。ところが、1980年代後半になって、超音波診断法やMRが登場し、これまで投影像でしか診断できなかった股関節を三次元的に診断できるようなったのです。
股関節脱臼において脱臼した骨頭が臼蓋に対し立体的にどこに存在しているかが極めて重要です。股関節を曲げた位置で、骨頭が臼蓋から離れていればいる程骨頭を大きく動かさなくては整復できません。またこのような状況では骨頭と臼蓋との間に整復を妨げる介在物がたくさんつまりやすくなっているはずです。股関節を曲げた状態で骨頭が臼蓋からどれだけ離れているかを判断するには三次元的に観察し、本センターでは股関節を曲げた時の大腿骨頭の位置によって脱臼の程度をA,B,Cの3つに分類して脱臼の程度に応じた治療をおこなっております。
タイプAとは、股関節を曲げて開いた時に大腿骨と臼蓋とのズレがわずかで、両方の軟骨どうしは常に接触を保っている場合を言います。タイプAの中で、股関節の位置によっては骨頭と臼蓋とのズレがなくなる場合もあり、これをタイプAI(ボーダーライン亜脱臼)と呼びます。さらに、タイプAIのうち、臼蓋の形成が良好な場合をタイプAI-I,臼蓋の形成が不十分な場合をタイプAI-IIと分類します。
タイプAII(亜脱臼)とは股を曲げて開いた状態で大腿骨頭と臼蓋とのズレのなくならないものをとします。
タイプB(完全脱臼)とは大腿骨と臼蓋とのズレが大きくなって、股関節を曲げたときでも両方の軟骨どうしの接触がない場合を言います。タイプC(完全脱臼)とは高度な脱臼で、股関節を開いた時には脱臼した骨頭の中心が臼蓋縁より下に位置している場合です。
タイプA(亜脱臼
タイプB(完全脱臼)
タイプC(完全脱臼)
亜脱臼においては、骨頭を臼蓋の中心に向けて、この中に正しくおさまるようにする操作を行えばよいのです。しかし、完全脱臼においてはまず、大腿骨頭を臼蓋の中にいれる特別の操作が必要です。したがって、亜脱臼と完全脱臼とは正しく鑑別しなければなりません。治療成績や治療による合併症の発生率も亜脱臼と完全脱臼では大きく異なっており、特にリーメンビューゲル(リ-メンビューゲルによる治療を御覧下さい。)を用いた整復においては著しい差がでます。
私達は、これまでの臨床研究結果に基づき、タイプB、タイプCの脱臼(完全脱臼)に対しては、1993年から開排位持続牽引整復法(開排位持続牽引整復法による治療を御覧下さい)という新しい方法を開発し、良好な結果を出しています。他の先天奇形や麻痺などを伴っていない脱臼であればほとんどの例が合併症なく整復に成功しています。もちろんこの方法が絶対的なものではありません。たとえば骨頭を臼蓋に正しく向けたときに、臼蓋の中に整復を妨げる介在物が大きければ、骨頭を臼蓋に向けた状態を維持することはできません。これまでそうした例に対しては、ギブスを巻く時に骨頭が下に落ちないように工夫したり、数カ月期間をあけて再度牽引を試みるなどしてほとんどが整復できてきました。しかし、介在物があまりにも大きければ、論理的にはこの方法も不可能となります。このような場合には手術的に介在物を除去することが必要となってきます。私達はあらゆる手を駆使して非手術的整復に挑戦し、幸いこれまではうまく成功してきました。しかし、今後は手術的整復が必要な例もあることが予想されます。
脱臼発見年令が高かったり(4-5才以上)、他の全身の奇形や重度の疾患を伴っている場合には最初から手術的な整復が必要となってきます。こうした症例では股関節は固く、牽引しても骨頭は動かないことが多いのです。また、他の奇形がある場合にはそれに対する治療が必要であり、脱臼整復に長い時間をかけることができません。また、他施設ですでに手術的整復が試みられている場合にも手術が必要です。前回の手術によって股関節周囲の癒着が強く、これは非手術的に解決できないからです。最近ではタイプCの中に股関節が固く治療期間が極端に長くなったり、関節介在物が多く関節が安定しないケースも散見するようになりました。このような場合には諸事情を考慮して手術的治療を選択する方が本人や御家族にとって良い場合もあります。
施設によっては1才を過ぎていればただちに手術的整復を行う、というところもあります。これも1つの方法ですが手術的整復はさまざまな合併症が発生する確率が高くなります。合併症には、再脱臼・亜脱臼、骨頭壊死、巨大骨頭などがありますが、最も深刻なものは骨頭壊死で、重度の場合には、骨頭の変形が発生するなど予後不良で将来変形性股関節症になる可能性が高くなります。
保存的整復(手術をしないで整復すること)は難しく、熟練を要するのですが、手術的整復というのは治療する側にとっては短期間の入院で済むため好まれる傾向にあります。。そのため、保存的治療が上手く行かなかったり、1歳を過ぎている場合には安易におこなわれる傾向があります。手術の根拠は、臼蓋の中に整復をさまたげる介在物が存在している、というものです。しかし、このような介在物は、骨頭をただしく臼蓋の中心に向けることができれれば自然に消退することがわかっています。下の図は私達の研究ですが、骨頭が正しく臼蓋の中心に向けることができれば整復を妨げている介在物が消えてゆく様を証明したものです。
脱臼(タイプC)整復前
整復直後(多量の介在物)
整復6週後(介在物は消褪問題は、上のまん中の図のように骨頭を臼蓋の中心に向けた状態を保てるかどうか、ということが問題となります。
臼蓋の補正手術は股関節を整復する手術とはまったく異なり確立した安全な手術。
タイプB,Cの脱臼で、もともと股関節の発育に問題があったり、遺伝的素因が強い場合には、脱臼は整復されてもその後の股関節の発達がはかばかしくない場合があります。特に治療開始が遅かった場合にはそれまで長い間臼蓋形成が妨げられていたわけですから、その後整復がうまくいって臼蓋形成の条件が整ったとしてもなかなか正常の臼蓋にはなりにくいのが普通です。このような場合には5-6歳までに追加手術(手術的に臼蓋の被覆を行う)が必要な場合があります。しかし、この手術(ソルターSalter)は関節を開けない、これから成長していく骨頭への直接的な侵襲のない安全で合併症の少ない、安定した成績が得られている手術です。
近年特にわが国において、5-6歳の時期には追加補正手術を行わず10代後半以降、あるいは成人になってから、症状出現後に骨盤骨きり術(臼蓋回転骨きり術:RAO)を行うという考え方もあります。RAOとソルター手術が同じ程度の侵襲と成績であればそれでも良いかもしれません。しかし、グローバルコンセンサスとしてソルター手術はその位置づけが確立されています。
当センターでは小児股関節外科学より得られている過去の膨大なデーターを基として、臼蓋の発育が顕著に不良なら、
の2段階で対応しています。(臼蓋形成不全の治療を参照してください)
以上、当センターの股関節脱臼の治療方針を要約すれば