がん相談・緩和ケア
取材日:平成27年11月
私の場合は検診でがんが見つかったわけではなく、がんかもしれないという自覚症状があったにもかかわらず、自営業で会社のこと、家族のことを考えるとどうしようもできず、10年以上家族にも隠して診察を受けずにいたんです。でもついに瀕死の状態になり、病院に運び込まれて即入院となりました。ですから告知されたときは「ああ、やっぱり」という思いでしたね。実は救急外来で「なぜこんなになるまで放っておいたの?!」と怒られるのでは、とおびえていたのですが、担当医は「よく覚悟して来ましたね。もう大丈夫だから」と肩をたたいてくださいました。その言葉で、長年不安や恐怖でいっぱいだった心に安心感が押し寄せてきて、その場で号泣しました。
入院は半年に及び、その長期入院中24時間完全看護という環境で、常に医療従事者がそばにいる状態でした。その間、主治医や看護師の方々からたくさん言葉をかけていただき「もう少し生きたい」という気持ちになっていきましたね。そして長い時間をかけて、がんを受け入れることができるようになりました。
また、入院中は病室にパソコンを持ち込んでいたのですが、検索してみると、自分と同じような症状の人がたくさんいると分かりました。そこで、自分も発信してみようと、2009年2月からブログを始めたんです。すると、ブログを通して全国にお友達ができました。顔も知らない人なのに、みなさんが温かいメッセージをくださるようになったんです。おかげで社会からの疎外感を感じることが少なくて済んだと思います。みなさんから励ましのメッセージをいただくことで、もっと生きようと思えましたし、また、同じ症状の人から「元気になりました」というコメントをもらうと、私も元気になれましたね。
私は自営業なので、解雇される心配はありませんでした。しかし小規模企業で、自分の代わりになる人がいないため、退院後の抗がん剤治療のときは、副作用でしんどくても休養できず、会社でソファに横たわって電話で指示を出すという状態でした。抗がん剤治療の副作用で髪の毛が抜けるため、帽子をかぶっているのですが、女性の場合、例えば銀行の窓口や接客業だと、帽子ではなかなか人前にでられず、ウィッグをつけざるを得ないこともあるだろうと思います。私の場合はスタッフにがん治療中であることを話していましたので、ずっと帽子を使っていますし、仕事の段取りが出来ていれば都合のいい時間に通院できる点は良かったと思います。
抗がん剤治療は毎週のように通院するので、看護師さんや主治医とも毎週顔を合わせるようになります。そのとき、主治医はよくプライベートのお話をしてくださいました。私は嵐というグループが好きなので、例えば「嵐の誰がお医者さんだったらうれしい?」など他愛のない話が、すごく楽しかったですね。がんを10年も放置していましたが、逆に治療のタイミングはとても良かったと思います。3人の子どものうち2人は成人して、1人は高校2年生でしたが、もう子育ての手は離れていました。仕事に復帰すると、やはり仕事が中心になってがんのことを考える時間がなくなりました。それも良かったと思います。
がんになったことは不運だったかもしれませんが、不幸ではないということを伝えたいですね。そして、できるだけ、がんになる前の健康なときと同じような生活を送って、生きることを楽しんでもらいたいなと思います。明日再発するかもしれない、再発して余命が短くなるかもしれない、という思いはあります。でも、とにかく生きている間は楽しいことをいっぱいしたい。強がりかもしれませんが、がんになって良かったと言えるぐらいの人生にしたいんです。そのとき決して一人ではなく、一緒に闘う仲間がいる、ということをお伝えしたいですね。
数分でもいいので、がんを忘れる時間を作ることです。数秒、数分でも好きなことをする間、好きなことの中に身を置くというのは、その意味で、すごく大事なことだと思います。私の場合、家族の前では決して泣かないと決めていました。自分の母がそうだったように、常に明るいひまわりのような存在でいたいし、家族には楽しんでいる私を見せたいなと思っています。もう一つは、社会からの疎外感を感じないようにするためにも、できるだけたくさんの人と出会うことです。検査結果に不安があっても、患者サロンであればみんなに共感してもらえるし、元気をもらうことができます。でも、がんの告知を受けても、なかなかすぐに受け入れられないので、患者サロンに出向くことができない人が多いんです。そこを一歩踏み出して、背中を押してあげることが出来ればいいなと思っています。