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がん情報しが

滋賀県のがんに関する情報を集めた、
がん情報ポータルサイトです。

がんとともに生きる

がん相談・緩和ケア

長くがんと付き合っている人と出会って、まだ生きられると実感。病気のことを知って立ち向かうことが大切です。

取材日:平成27年2月

出倫子さん(30代)平成22年乳がん手術

がん治療から現在までの経緯を教えてください

32歳のとき、乳がんだとわかって手術をしました。その後4種類の抗がん剤の治療、放射線治療を受けて、現在はホルモン剤の注射と飲み薬による治療を続けています。ホルモン剤の注射は手術から5年、飲み薬は10年続けることになっています。

がんを宣告されたとき、どんな気持ちでしたか?

写真:出さん1

1歳3ヶ月の双子の子どもを抱えていたので、一番に思ったのは「この子たちをどうしよう?」ということでした。がんに対する知識がほとんどなかったので、自分は間もなく死ぬんじゃないかと思ったんです。それで、とにかくがんがわかってから手術までの10日間のうちに、身辺整理をしましたね。でも、そのうちに治療計画が決まり、すぐ死ぬことはないんだと分かって、逆に、今生きているだけでも素晴らしいことなんだ、と思えるようになってきました。

治療を続ける中で、どんな風に思いが変わっていきましたか。

そうですね。幸い早期発見だったので、見つかれば治療が出来るのだとわかって安心しました。抗がん剤治療が3年で終わったのですが、安心できたのはようやくその頃ですね。個人差があると思いますが、抗がん剤の副作用が私は強く出たために、吐き気や体のだるさ、髪の毛が抜ける、また爪がボロボロになる、といった症状に悩まされました。また、気分も落ち込みがちだったので、抗がん剤治療が終わったことで、気持ちが明るくなりました。
でも、振り返ってみると、妊娠したときもつわりがひどく、双子だったので出産前に3ヶ月入院しました。その時に比べれば、まだ楽だなと思ったんです。乳がんで入院したときは、入院生活の中で友達ができたりして、楽しかったです。

子育てをしながらの治療で、大変なことはありましたか。

写真:出さん2

私はがんになったときは専業主婦で仕事をしていなかったので、治療などで出かけるときなど、子どもを保育園に預けられなかったのが大変でした。抗がん剤治療の費用に加えて、二人の子どもの保育料となると経済的な負担も大きくなります。そんな中、敷地内同居という形ですぐそばで暮らしていた夫の両親が子どもを預かってくれ、とても助けられました。また夫も心配してくれて、仕事を休んで子どもを見てくれたこともありました。義理の両親との信頼関係が、病気を通して強められ、また家族の関係も密になったことは、とても良かったと思います。

相談窓口や、がん患者サロンには行かれましたか?

手術から半年ぐらいたったころ、がん患者サロンに顔を出すようになりました。放射線治療のために通っていた病院にあったがんサロンのチラシを見たんです。私は乳腺専門の病院に通院していたので、乳がん以外のがん患者さんとも話してみたいと思いました。そこには、私よりかなり年輩で、がんになってもう20年になるという方がたくさんおられて、とても励まされましたね。治療できるとわかっても、まだどこかで「きっと孫の顔を見ることはできないだろうな」と思っていたので、そんなことはない、長生きできるんだと実感しました。乳がんの方も何人かおられて、皆さんお元気なのがとても嬉しかったです。また、これまではママ友など同世代の友達が多かったのですが、ここで幅広い年齢層の方と知り合って、交友関係が一気に広がりました。
今はピアサポーターの資格を取って、高島市民病院のがん患者サロンの担当として、月1回サロンに参加しています。がんをオープンにすることで、この経験を役立てることができるので、良かったなと思っています。

がんに悩んでおられる方へのメッセージをお願いします

写真:出さん3

がんになっても、意外と大丈夫、生きられる、ということですね。早期発見できれば、治る病気になってきています。「死んでしまうのでは?」と誰でも不安になりますが、そこで諦めないで、がんという相手を知って戦うことが大切です。自分の状況を見極めた上で、自分にあった治療、がんとの付き合い方を選択していく。そのことによって、前向きになっていけると思います。
私はがんになったことで、今まで知らなかったことを知ることができ、また新しい出会いがあって、自分の世界はとても広がりました。ですから、これから上手にがんと付き合っていけるよう、ぜひ一緒にがんばりましょう。

お問い合わせ
健康医療福祉部 健康しが推進課
電話番号:077-528-3655
FAX番号:077-528-4857
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