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「街道をゆく」司馬遼太郎先生と近江の精神文化

皆さん、おはようございます。週末もお仕事お疲れ様でした。私自身も、先日東京有楽町で「おいしが、うれしがマルシェ」また江戸東京博物館で開催されました戦国の近江魅力発信事業に参加をしてまいりました。

さて、今日から2月です。今年は暖冬といわれながらも先週は沖縄に雪を降らせるほどの大寒波が襲来し、湖国・滋賀も湖北・高島方面ではすっかり雪化粧となっています。

さて、私は1月10日から14日にかけて2度目の湖北居住をしてまいりました。長浜市木之本町杉野での田舎暮らし体験の間、雪は降らず本当の湖北の冬の厳しさを体験するまでには至りませんでしたが、湖北地方に息づく観音信仰、精神文化の一端を学んでまいりました。

琵琶湖の最北から突き出た葛籠尾半島の西側、長浜市西浅井町菅浦地区は、今のような湖岸に立派な道路ができるまでは、昔は小舟で行き来するのが一般的で、湖北の中の湖北といった趣がある秘境だったそうです。防波堤の石垣も非常に古く、入江や小舟を配したその湖岸集落景観は、平成26年10月に国の重要文化的景観に選定されました。近江を愛された白洲正子さんも昭和44年にこの地を訪れ、名著「かくれ里」にその魅力を記しています。

湖北は歴史的にも観音信仰が篤い土地柄です。私も地元の方の案内で、大浦観音堂の御本尊、十一面観音像や、安念寺の通称いも観音を拝観させていただきました。戦国時代に合戦から守るため、村人の皆さんが土に埋め、その後「いも」を洗うように余呉川で洗い清めたと言い伝えられているそうです。菅浦という限られた場所を最大限に生かし、そこに住む人々が支え合って平安の時代から大切に守り続けてきた信仰心を共有し、先進的で独自の自治文化を育んでこられました。そしてその暮らしには、人と人のつながりで支え合う、地域の姿があります。このことは、私たちが基本構想で掲げている新しい豊かさ、つまり心豊かな暮らしにつながっているのではないでしょうか。そんなところにも、滋賀の魅力の奥深さ、素晴らしさを改めて感じた湖北居住となりました。

そして、このような魅力ある近江の地を愛された人が大勢おられます。今年、お亡くなりになられて20年になる司馬遼太郎先生もその一人です。司馬氏の43巻からなる歴史・風土の紀行集「街道をゆく」は、御存じのとおりここ「近江」からはじまりました。昨年、日本遺産に認定された「琵琶湖とその水辺景観-祈りと暮らしの水遺産」に象徴されるように、この近江の原風景は、司馬先生にとってまさに歴史・風土に根差した日本人の原郷のように感じられたのではないでしょうか。

また、今年の4月23日には司馬遼太郎氏没後20年記念シンポジウムを米原市で開催します。当日は、司馬遼太郎記念財団理事長の上村洋行氏に基調講演をいただいた後、国際日本文化センター名誉教授の山折哲夫先生、元滋賀県知事で司馬先生と大変ご懇意にされていた武村正義氏、作家の諸田玲子氏をパネリストに、元NHKアナウンサー古屋和雄氏をコーディネーターに迎えたシンポジウムです。

「街道をゆく」全43巻のうち、6つの巻に滋賀が登場します。なぜ、司馬先生は何度も滋賀の地を訪れられたのか、どこに魅かれたのかを、学術的視点、地元滋賀の視点、作家の視点から振り返ることにより、滋賀のもつ魅力を再認識し、滋賀の魅力の「お墨付き」として発信していきたい。そして、「街道をゆく」をきっかけに滋賀が再評価され、多くの人が訪れる契機となるよう取り組んでいきたいと思います。

職員の皆さんには、まず「街道をゆく」を読んでいただきたい。私たちの知らない魅力、埋もれた歴史に目を開くことができます。私たちは司馬先生の滋賀に対する敬愛の精神を引き継がなければならないと考えています。私自身、職員の皆さんと一緒に「街道をゆく」の輪読会、勉強会を朝、開催し参加しております。ご興味がある方は是非ご参加ください。4月のシンポジウム開催に向け、皆で機運を盛り上げていきましょう。

今月も寒くなりますが、力を合わせて頑張っていきましょう。今月の知事談話はこれで終わります。