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長浜市 明治29年琵琶湖洪水

水害履歴

位置図
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国友町 明治29年琵琶湖洪水

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水害写真

先人から聞いた話

【琵琶湖の水位が4m近く上昇】

 子どもながらに、明治29年の大水害の話は聞いてました。

 あの頃は、琵琶湖の水位が4m近くも上がったらしいです。長浜の市街地も、国道8号線辺りが1ヶ月くらい水浸きになったって。もう姉川も、何箇所も決壊してますし。国友町から新庄馬場町・新庄寺町まで、大きな盥(たらい)に乗せてもらってそこへ行ったとか。そんな話を聞いていました。その時は、ちょうど国友と今町との間で決壊して、ズタズタに切れたということです。

 明治29年の大水害の被害図を見ますと、長浜の市街地は、1ヶ月あまり琵琶湖の水位が上がっている状態が続いてるさかいに…。それで結局、姉川・草野川・高時川に田川が、ドボ浸かりですわ。そのくらい酷かったわけです。

【六人淵の由来】

 姉川緑地公園の1番西の外れ辺りが、”六人渕(ろくにんぶち)”って言われていました。なんのことやら分からなくて、小字の名前くらいに思ってたんですが、小字にもこんな名前ないし。後で聞きましたら、ここも明治29年に決壊して、6人の方が亡くなっておられてるんですね。それは、ここの国友でなくて、安福寺(あぶくじ)・下之郷町の方が亡くなっておられるとのことです。

月ケ瀬町 明治29年琵琶湖洪水

位置図
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水害写真

明治28年・29年の水害水位を示す石碑 ー虎姫公民館


体験者の語り 大正15年生まれの方が聞いた水害の話

【流れてくる物を拾って凌ぐ】

 明治18年7月、初代カルバートが完成しました。しかし明治28年・29年、2年連続で水害に見舞われました。

 その頃の話として残っているのは、水が浸いてしまって合掌造りの3階建ての家の2階から、流れて来るモノを宝物のように拾って、餓えを凌いだという話があるんです。一面水に浸かっていますし、長年凶作が続いて食べ物がないし。野菜とかあっても、水の下ですから食べられませんし。酷いのは、藁が流れてくるのを喜んで拾った。という話があるんですよ。藁はどうされたのかというと、おそらく食べたんじゃないかと。食べ物がないですから。

【荷物の預かり】

 Aさん宅は、明治28年・29年の水害時に、近隣のお宅の荷物を預かっていたことを聞いている。少し高いとこに建ってて、水に浸きにくいから。

 近隣の人たちは、伊勢湾台風の時も、Aさん宅へ大切な物荷物を預けたそうだ。

唐国町 明治29年琵琶湖洪水

位置図
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体験者の語り 昭和4年生まれの方が聞いた水害の話

 1ヶ月以上、ドボンと浸いとったらしい。高時川と姉川、田川と三つの川が一緒になっているから、水量が多く、琵琶湖に流れ出るまで時間がかかる。水は徐々にしか引かない。

 「戸棚の中に菜種の花が咲いた」とおばさんが言っとったね。水は流れず、一面に広がるだけで、それが1ヶ月引きよらんで、ドロドロの水が全部タンスや戸棚などの中に入ってきよる。それが長いこと引き寄らんから、菜種の花が咲いたちゅう。

 当時の家は、3階建ての藁葺き合掌造りの家で、その2階まで浸水しました。3階のツシの窓からたらいに乗って、水を貰いに行ったそうです。東の方にたらいを漕いでいたら、三川の玉泉寺の元三大師の池が水の最後だったらしい。ということは、そこまで水が浸いていたということや。

 三川と唐国では、5mぐらいの高低差があるわけや。”水盛り”ちゅうて、水が浸いたら一面になるさかいに。それが元三大師の池だと言うのを聞いています。

 虎姫の東に住んでいた人たちからは、「唐国の川に白水が流れるかい?」と言われた。「米をといだら白水が流れる、白い米を食っとるのか?」ということや。米のとぎ汁がないということや。

 やっぱり(水害が)2年続いたら無いわな。その時には、食べられるモノは全部取っときはったと思うわ。なんでも、食べられるものはツシに上げとけと。

虎姫公民館に建てられている「明治期水害水点標」

明治28年と29年の洪水の浸水水位を示している

撮影:滋賀県

三川町 明治29年琵琶湖洪水

位置図
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体験者の語り 昭和17年生まれの方が聞いた水害の話

 明治28年・29年の洪水については、長老の方にお伺いしたところ、中野から三川へお嫁に来ておられたおばあさんが娘さん時代に、三川も結構水が浸いて、大師さんの石垣まで浸いたと。

酢 明治29年琵琶湖洪水

位置図
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体験者の語り 父親から聞いた水害の話 (昭和9年生まれ)

【明治28年7月30日の水害】

 明治28年と29年の水害の話を、父親から多少聞いております。酢村も大被害を受けたということで。

 私の自宅に、「水災見舞申受控」(明治28年7月30日)というのが残っておりました。

 これを見ていると、宮部・国友・中沢集落の人から、結構見舞いを頂いている。ということは、親戚がいたってことです。水災見舞は、親戚が持ってきてくれているんです。

 水災見舞は主に、醤油とか大根漬け、そうめん、白米、小鮎、というのをもらうんです。自分とこのかまどが水に濡れて、ご飯を炊くことが出来ません。だから、見舞いをもらうんです。

 この水災見舞に対して、お返しはしていないと思います。する元気がないと思います。

 何かに書いてあったのが、「その年に(明治28年か29年)お葬式があって、葬式は充分に出来なかった」と書いてありましたね。葬式が出来んほど水害の被害は大きかったというわけです。

【明治時代、水害をさけて移転】

 びわ町から旧酢村の家へ嫁いだ人がいた。だが、明治28年と29年と2年連続で水害にあったため、嫁の親元が「えらいところに嫁に出した」ということで、宮部集落へ家を建てたという話がある。だから宮部集落に親戚があった。

 昔の酢村に90数戸の家があったのが、今では50戸。水害か何かの原因で、酢村を出て行かれた人がいたと思う。

大寺(だいじ)町 明治29年琵琶湖洪水

位置図
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体験者の語り 昭和4年生まれの方が聞いた水害の話

【明治28年7月30日の水害】

 父親が3歳のころ、中野山の東から水が流れ、2年続けて大寺は水害に遭った。家族は、蔵の2階に避難。

 洪水当日か翌日か定かではないが、中野の方から、舟で助けに来てくれたそうだ。土蔵の窓から、「助けてやろう。なんとかして出てこい」と言われたが、どこの蔵でも窓に網が張ってあるため、絶対に蔵から出られるような状態ではなかったという。

そのため、夫婦が一人ずつ子供を抱き、思い切って水の中へ潜り、再び子供と一緒に浮き上がってきたところで、舟へ引き上げられ、救助された。

そして、中野山の矢合神社まで舟を漕いでもらい、無事に避難できたそうだ。父親は、避難先でいろんなモノが交じった握り飯を久しぶりに食べ、「なんてうまいんや」と言ったという話を、叔母たちから聞いている。

高月町馬上(まけ) 明治29年琵琶湖洪水

位置図
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体験者の語り 聞き取り日:平成27年11月19日

【この調査は立命館大学歴史都市防災研究室と協働で行いました】

 長浜市高月町にある馬上(まけ)地区は、北国脇往還(ほっこくわきおうかん: 関ヶ原と木之本を結ぶ旧街道)が地区内を通っており、江戸時代には、北陸と京都や江戸を結ぶ交通路として、大名行列や飛脚の往来が盛んな古道の要衝であった。

 その一方で、馬上地区の周辺は、高時川の氾濫原であり、多く浸水被害を受けてきた歴史がある。
 

 馬上は南北方向に長い地区で、西に高時川、南に山田川が流れ、東には山田山が迫る、三方を川と山に囲まれた地区である。この地形条件により、高時川が地区に近い場所からあふれた場合だけでなく、馬上よりかなり上流の石道地区で溢れた場合も、水は馬上まで到達し、地区に被害をもたらす。このため、水防活動においても警戒する範囲が広い。

 地区の中には、かつて馬上地区のみならず下流の旧東浅井郡の村々の水田を潤した、「餅ノ井」(もちのゆ)と呼ばれる農業用の水路がある。浸水被害をもたらすのは高時川だけでなく、この餅ノ井が増水し溢れることで、地区内が浸水することもある。

 住民の方たちの体験から、地域の特性と明治29年・昭和34年伊勢湾台風・昭和40年・平成2年・平成10年の水害をまとめてあります。

参考(滋賀県災害誌より各水害の概要)

【明治29年9月琵琶湖洪水】

 この年は、非常に雨の多い年で、1月から8月までに平年の1年分に相当する雨が降り、9月に入ってもよく降ったうえに、9月7日早朝より雷を伴った一大豪雨となった。

 元彦根測候所長は「ロープのような太さの雨で、その上雷雨を伴い実に凄惨な光景であった。」と回顧している。寒冷前線が停滞したため、滋賀県を中心とする豪雨となった。彦根では、9月13日に135cm浸水し、彦根市内の80%が浸水している。

【昭和34年伊勢湾台風】

 8月台風7号の大雨により大小河川が決壊し、その応急復旧もままならないうちに、9月伊勢湾台風と立て続けに大型台風が通過。

 伊勢湾台風では彦根で台風の目が観測された。この台風によって姉川・天野川をはじめ、県下各河川の本流支流で氾濫、堤防が決壊し、いたるところで浸水・冠水した。冠水時間が異常に長引き、彦根市松原では収穫が皆無になるなど、甚大な水害被害があった。

【昭和40年9月 台風23・24号】

 9月9日以来、秋雨前線による雨が続くなか、10日に台風23号が、17日に24号が立て続けにやってきた。台風24号は、この年の最も大きい台風で、各河川はこれまでの増水した水量に加え、さらに急速に増水し、9月17日23時頃には、各地で堤防の決壊が起こった。そのため、家屋の全半壊をはじめ、田畑の流失・冠水などによる水害被害・農作物被害が甚大なものになった。

【平成2年台風19号】

 9月19日から20日にかけて県を直撃した台風19号は、停滞していた秋雨前線を刺激し、大雨を降らしながら県を南北に通過し、湖東地域を中心に、多大な被害を与えた。県内各河川は軒並み、通報水位・警戒水位をはるかに超え氾濫し、愛知川では、旧能登川町で2か所の堤防決壊が起こり、周辺地帯に浸水被害が集中した。

【平成10年台風10号】

 台風の発生数は、平年に比べ少なかった。この年最大の降水量だった台風10号は、10月15日から雨が断続的に降り続き、18日早朝には、警戒水位を超えるところが出てきた。徐々に水位は下がり始め、5時間程度で警戒水位を下回り、午後には通報水位も下回った。

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