鴨川 宮野地先決壊
平成25年9月16日
県防災ヘリより、鴨川破堤箇所を撮影
撮影:9月16日11時50分頃 (南鴨方面より)
鴨川決壊箇所
平成25年9月18日
県防災ヘリより、鴨川破堤箇所を撮影
(野田方面より)
洪水の迫る安曇川常安橋
撮影:9月16日早朝 提供:十八川区
体験者の語り 男性 64歳 (昭和26年6月生) 聞き取り日 平成28年2月10日
十八川区では、区独自で、水害や地震・火事の時の行動を示した「防災の定」を制定している。
ここは過去に何度も水害に遭っている地域だが、平成25年台風18号の時に、「避難勧告」が出ても、どうすればいいのか、全く分からなかった。
【「防災の定」を作ったきっかけ】
ここは水の出る在所なんで、僕らは子どもの時から、台風のたんびに、お寺のお堂へ逃げたり安曇川中学校の体育館へ逃げたりしてた。
僕が小学校のころは牛を飼っていたんやけど、おやじが土のう積みやらに出るので、子どもが牛を連れて逃げた。 翌日になると、台風一過で晴天ですわな。夕べは何やったんやろいうかんじで帰るという経験をしてる。
それでここの在所の人は、水害に対しては意識が強くて、平成25年の台風18号の時も、90%を超える避難率やった。
実際、災害に遭うてみないとわからないこともあったので、以後同じような災害に遭ったときのために、区で「防災の定」を作った。
本にはいろいろ書いてあるけど、膨大過ぎてわかりにくい。初発の行動をどうするかということに絞っていったら、こういうものになった。
「防災の定」は、各戸の一番見えるところに貼ってもらってる。1度災害に遭ってるので、これは絶対必要と思ってもらえてる。
「防災の定」拡大写真へ (PDF:47 KB)
昭和28年には、川下の二ツ矢が流れてるし、上流の赤岩というところが決壊して、うちの在所で床上浸水になったこともある。(注:昭和24年7月 へスター台風来襲時) 十八川区は、過去にそういう水害があるとこなんや。
そもそも、このあたりには霞堤(かすみてい)と呼ばれる堤防がある。
安曇川の堤防に切れ目があって、川の水が増水すると、その水を逃がすため、そこから水が上流へと浸水する。その水を堤防の外へ誘導するための堤防で、集落を水の被害から守っている。逃がした水を溜めるところは、ふだんは田んぼになっていて、武田信玄の時代に最初に造られた。
十八川区は、洪水を受け入れながら生活しており、本堤防が切れるのを防がなければならない地区なので、洪水のことを考えないでは生きていけない。
昭和30年代に安曇川の川幅を広くして、現在の堤防に改修しはったので、それからは水害がなく、避難することもなくなった。
【台風18号時の実態と対応】
平成25年台風18号のときは、十八川区にも「避難勧告」が発令された。
9月16日、夜中3時35分に、市の防災対策本部から区長へ電話が入った。『安曇川ふれあいセンターへ避難せよ』という内容。役員が集まり、こんな夜中に危険ではと悩んだ。
『避難勧告』とは何か、どういう対応をすればいいのか。知識がなかったので、とりあえず安曇川を見に行こうと、役員皆で常安橋へ行った。
すると、常安橋は水で揺れていて、水位も高く、流れも早くて怖い。その場で役員総意で、全区民の避難を決断した。
洪水で揺れる 常安橋
提供:十八川区 撮影:平成25年9月16日
通常の常安橋 量水標が見える
撮影:滋賀県 平成25年9月
役員が手分けして、組長を起こして知らせ、全区民に避難指示を完遂できた。
しかし、体が不自由で動けない人や、車のない人等の、避難支援の必要が出てきた。
それで、どこの家に、どういう困難な状況があるのかを洗い出し、役員がピストン輸送で避難所へ送ることにした。ちょうど数日前に、区長と防災リーダー等で、要支援者の資料作成をしていたので、手早くできた。
避難場所は「安曇川ふれあいセンター」という公民館。そこは、赤岩が切れたときに水が流れていく先にあって、検討が必要なんやけど。
【わかってきた検討を要すること】
足腰の不自由な大柄な男の人には、3人4人でかからんと、とてもやないが補助できない。人数がいる。
何べん行っても反応のない家もあった。3回も4回も行ってるのに会えない。 翌日になって、危険を察知して、前日に他の集落の子どもの家へ避難してはったことが わかった。
様子がわからんから、こんな緊急で危ないときに、人のいないところに3回も4回も行ってるんや。
避難したくないという人もいて、われわれが見た安曇川の状況を言うて、緊急さを理解してもらった。
問題は、寝たきりの人。何かあったら救急車を呼ぶからと言わはるけど、救急車は当然うちの在所だけやないし、よそに行ってたら、終いや。それに、そんな水が出るときに、救急車も動けない。
市の保健婦さんも、そこを訪問して、救急車で対応してといわれたけど、そんなことできっこないと思いながら、保健婦さんを見送った。 それも経験しないとわからなかった。
判断に困ったのは、寝たきりの人を動かして、もし何かあったら、どうするのかということ。
仮に、出水しなくて、避難させたことによって命を縮めるということがあったら、その責任も出てくる。その見極めをするのが、区としても、最重要の課題やとわかった。
対象の家は平屋だったので、もし水が出たら、天井を破ってその人を天井裏に上げようと判断して、解決できた。その判断に至るまでが、役員としては非常に苦しかった。
5時に、水位が3.74mに上がった。消防団が巡回して大音量で避難勧告してくれたので、避難するのが嫌だという人に効果があった。
ちょうど秋の刈り取り時で、その米が小屋に置いてある。ある農家は、それが水浸しになったらかなん。なんぞの時は泳いで逃げるから心配せんといてと、なかなか逃げてもらえなんだ。
そやけど、消防が回ってくれたので、これは尋常でないと、逃げてもらえた。その間もずっと大雨が降っていた。
役員は、その間も安曇川の水位の上昇状況の監視に、大雨の中、何回も常安橋へ行ってたけど、あんな危ない状況やのに、1回も警察にも消防にも、市の職員に出会わんのや。常安橋も、通行止めにせな危ないんやけど、誰も配置されてない。
【自分らがやらな、自分らの命は守れん】
午前6時に、安曇川の水位が4.03mに上がった。
鴨川決壊の情報が入り、市の人が誰も来ない理由が、初めてわかった。みんなそっちにかかってはったんや。
ということは、我々も、市や消防がみんなやってくれると、期待してたらあかん。ここ以上のことが起きたら、当然そっちへ回るし、市の職員はそんなに多くないので、これに安曇川の決壊が加わったら、それこそ悲劇的な結果になる。ともかく自分らがやらな、自分らの命は守れんと実感した。
ちょうどこのころ、気象庁が『大雨特別警報』を発令した。『大雨特別警報』っていったい何や。
それでも避難を嫌がる人がいたが、役員として、「あほ言うてな」と、とにかく避難させる責任があると決断して、説得を続けた。
【走りながら考えてやった】
区として、避難場所での状況を把握しないといけないので、役員を、草の根ハウスで待機する者と避難所へ行く者とに分けて、人員確認をしてもらった。
避難時に在所が空っぽになると、泥棒が入ることも心配やから、役員が保安の巡回をしていた。
避難所では、うちの在所だけやなしに、二ツ矢や青柳の人やら、複数の区の住民が混在していた。避難スペースも、1階のホールや2階の和室といろいろで、ごちゃごちゃする中で、区民の把握をすることが非常に困難だった。
安曇川の水位は、午前7時、4.12mまで上がった。
堤防パトロールでは、十八川区としては一番危ないと思っている上流の赤岩付近で、もう少しで越水するという状況を見てきた。避難してる方々にその状況を伝えて、避難状況を理解してもらった。
午前8時頃、安全なところにあるお弁当屋さんに、朝ごはんのおにぎりを275名分発注した。
水位は3.96mに下がってきた。
聞くところによると、川下の川島の堤防が、あちこちでずり落ちていたらしい。もうあと30分か1時間、大雨の状態が続いてたら、昭和28年の台風13号で決壊したのと同じ状況(注:安曇川堤防が、旧青柳村二ツ矢や旧本庄村川島他2か所で決壊し、広範囲で洪水による甚大な被害が発生)が起こってたやろう。
ぎりぎりのところで止まってよかった。 あの時、市の職員はみんな鴨川にかかってたので、安曇川の川島地先も決壊してたら、もう大変なことになってた。
午前10時頃、3.52mに水位が下がり状況が好転したので、早帰りは自己責任だと通告をして、帰りたい人には帰ってもらった。雨はだいぶ小降りになってた。
午後3時頃、常安橋の水位も2.31mで、「避難解除」になり、水害弱者の帰宅支援ということで、車で送っていった。
これが、当日の実態と対応です。
【台風後に実施したをアンケートから 「特別調査報告書」をまとめる】
予期してなかったので、区民も、どのように避難したらいいのか全くわからず、場当たり的になってしまった。
それで後日、当日の実態の調査をし、特別調査報告書」にまとめた。勉強できたことはたくさんある。
避難連絡入手法は、組長等の訪問や電話連絡が多く、 毎年1度やってる地震時の避難訓練の経験が生きた。
1. 避難行動では、連絡直後に行動が69%。
すぐに行動できなかった理由としては、「事情がある」。
例えば、小屋にある収穫した米 の方が大事やとか、家族の一部を残して避難できないとか。
緊急事態ということが理解できていない。
2. 避難時に持参したものは、貴重品とかが多いが、おやつは持って出たけど、通帳や大事なものはみんな忘れてたという人もいた。やはり混乱してたんでしょうね。
3. おにぎりの配給に関しては、ありがたかったという人が90%、
【問題点と今後の取り組み】
1. 昼夜の人員の違いによる避難体制の構築。
この家には誰がいるとわかってても、夜と昼では、いる人が違う。そのきめ細かさが必要。
2. 地震と水害の対策は同じではない。
地震の時は、人員確認が必要なので、いったん区内の近い所に集まってもらい、次に区で把握する。
水害の時は、ともかく、早よ逃げんならん。
3. 体の不自由な人は、すぐ逃げるという動きがとれないので、 一次避難場所をまず区で設け、市の避難勧告 を受けたら、区としては二次避難場所の、市の避難場所へ送る。それで、一次避難場所を、「草の根ハウス」に設置することにした。
そして、避難勧告に先立って、当区に危険が察知された段階で、区の対策本部を立ち上げる
市に任せきりで、市が避難勧告をしてから動くんやなくて、われわれが、データ放送で安曇川の水位を見ながら、 区の対策本部を立ち上げることも決定した。
【避難体制と避難マニュアル】
区民に周知するために、
1.「防災の定め」(避難マニュアル)を策定。
逃げろと言われても、どう逃げたらいいのかわからないので、避難行動に対しては、最低限の決まりが必要。
そして、今までの地震の避難訓練に加えて、策定した「防災の定」に基づく水害避難訓練を実施。
2. 自主防災組織の見直しを行う。
地域防災リーダーに、ふだん家にいるということで、高齢者もなっていたが、自分の体を避難させるのに大変な人がリーダーでは意味がないので、若手に入替えていく。
3. 水防用保管施設を、切り通しのそばに建てる。
霞堤の近くに水防板や土のうの保管庫を整備し、水防訓練をする必要がある。
4. 区の水防重点地点を明確化し、情報を共有する。
水が出たときはこの場所を見に行くという、昔の者が知ってる水防のポイントを、若い人にも伝えていく。
これまでに切れたことのある、堤防の赤岩や甚八前などの現場で、区民の水防観察会を行う。
5. 要支援者の情報の共有化を図り、当該者の避難に悔いを残さない対応ができるよう、体制を構築する。
見守りネットワークを、 日常的につながりを持つ体制にすると、いざというときに生きてくる。
【十八川区で独自に定めた水害避難規定】
★台風の接近や大雨の時
・防災無線の音量を最大に
・テレビラジオ等で情報を得る
★心の緊急スイッチを入れる
・水害危険地帯を自覚
・安全の思い込みをなくす
・区や市などの指示に従う
【十八川区の独自の避難情報】
安曇川常安橋のところの
■水位1.5mのとき
・県が設定した「氾濫注意水位」。
・市はその水位などにより『避難準備情報』を発表。
・区では、水害弱者は一次避難場所に避難の準備をしてもらう。
■水位2.35 mのとき
・県が設定した「避難判断水位」。
・市はその水位などにより『避難勧告』(全住民避難開始)を発表。
・十八川区では、区の自主防災組織本部を立ち上げる。まだ『避難勧告』はせず、水害弱者を、一次避難場所の「草の根ハウス」に避難させる。
■水位2.54m
・県が設定した「氾濫危険水位」。
・市ではその水位などにより『避難指示』(全住民の避難完了)を発表。
■常安橋の水位2.85mのとき
・区での「避難判断水位」『避難勧告』(全区民避難開始)
県の「避難判断水位」2.35mとは、50cmの差があるが、県の「避難判断水位」の基準とは、このあたりで一番低い土地である河川敷の安曇川スポーツセンターの地面に水が迫ってきた時で、常安橋の水位が2.35m。
けれど十八川区にとっては、常安橋付近の堤防までの水位はまだ1mほどあるから、2.35mで避難してると、空振りが多いことになる。
それで、区として絶対逃げんとあかんという基準を割り出した。それが、『2.85m』。
こういう在所ごとの基準は、それぞれの区に必要やと思う。
○参考:「県の水位決定の見解」
避難判断等の水位は、安曇川の、この橋の水位でこの区間の避難判断、こっちの橋の水位でこの区間の避難判断となっている。
例えば常安橋で3mだと、川下の本庄橋では、水位計はついてないけれど4mぐらいになっているので、下流の南船木では、《常安橋で3mであれば、南船木は4mぐらいで危ない》という判断。 県と市では、現時点では、常安橋の水位が『2.54m』で、十八川区の避難が完了するを設定している。
(なお、上記文中の水位は、平成28年度に、変更されました。 県の「避難判断水位」《2.35m》は、《1.9m》に 県の「氾濫危険水位」《2.54m》は、2.30m》となっています。)
水に浮く 安曇川スポーツセンター
平成25年9月撮影 提供:十八川区
【自分たちで対応できる力を高めよう】
1ヵ所でも甚大な被害が発生すると、市として通常の警戒体制が取れないことを、今回実感したので、市任せにせず、自分たちで対応できる力を高めておかないと、区と区民を守れないと痛感した。
参考になるのは、東日本大震災の大津波で一人の死者も出さなかった、岩手県下閉伊(しもへい)郡普代村の話と、岩手県釜石市の「100回空振りでも、101回目も逃げてね」という中学生のことばや『津波てんでんこ』。
岩手県下閉伊(しもへい)郡普代村の話・岩手県釜石市の中学生のことば・『津波てんでんこ』にリンク
そういう体験から、平成27年度に水害避難訓練と、防災ハイキングを実施した。
水害避難訓練は、平成27年10月18日、かつて防災方法として行われていた、県道の切り通しで洪水をせき止めて集落に水が入り込まないようにする、堰板をはめ込む訓練を実施。
堰板をはめ込むのは、62年ぶりだった。
「区広報紙十八川」防災訓練特集にリンク (PDF:969 KB)
防災ハイキングは、平成27年11月16日実施。
常安橋より上流の赤岩で堤防が決壊した今までの経験や、水の流れを知る。赤岩がポイント。
平成27年「防災ハイキング便り」にリンク (PDF:550 KB)
【正しく恐れることが、十八川区に住む作法】
十八川区は水が出るから怖いというのでなく、どういう水の出方をするか、どこが危ないか、どこがどうなった時に逃げなあかんのかという、脅しではなく正しく恐れることが、十八川区に住む作法やと思うので、これを皆に伝えていきたい。
十八川区で紹介している、東日本大震災の津波で、1人も死者をださなかった
岩手県下閉伊(しもへい)郡普代村の話と岩手県釜石市の中学生のことば・『津波てんでんこ』
★【岩手県下閉伊(しもへい)郡普代村のこと】
三陸海岸に面した岩手県下閉伊(しもへい)郡の普代村では、東日本大震災の大津波で、一人の死者も出さなかった。
昭和45年に巨大防潮堤が、昭和59年に巨大水門が、建造された。当時の和村幸得村長は、40年村長を続けてきた人で、昭和8年の三陸大津波で、137人の犠牲者を出したという自身の体験と、明治29年の15mの大津波では302人の犠牲者が出たという過去の水害を教訓に、悲劇を繰り返さないと、巨額を投じて15.5mという高さにこだわった防潮堤と、普代川の水門を完成させた。
それが、東日本大震災で効果を発揮し、集落を大津波から守った。普代川の河口から300m上流に建設された普代水門では、津波は水門を越えたものの、水流は停止。付近の住宅などに、浸水の被害はなかった。
高さ15.5m、長さ155mの防潮堤は、津波の到達を防ぎ、集落に被害はなかった。
★【岩手県釜石市に建立された津波の事実と教訓と、慰霊の気持ちを込めた「津波記憶石」に刻まれた中学生のことば】
■「100回逃げて、100回来なくても、101回目も必ず逃げて」(中学2年、女子)
★『津波てんでんこ』
平成2年(1990年)の「第1回全国沿岸市町村津波サミット」で生まれた言葉
「津波が来たら、取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げ ろ」「自分の命は自分で守れ」という意味
「自分の命は自分で守る」ことだけでなく、「自分たちの地域は自分たちで守る」という主張も込めている。緊急時に災害弱者(子ども・老人)を手助けする方法などは、地域であらかじめ話し合って決めておくよう提案。
災害時にどうするか、あらかじめお互いの行動をきちんと話し合っておくと、離れ離れになった家族を探したり、とっさの判断に迷ったりして、逃げ遅れるのを防げる。
★【防災訓練】
かつて十八川区では、霞堤(かすみてい:川の増水を防ぐために、本流から流れ込む水を誘導するための堤防)の切り通しを堰板(せきいた)で塞いで、安曇川の洪水が集落に流れ込むのを防いでいた。
しかし、昭和28年9月の台風23号の時を最後に使われていないため、堰板の使用法を知らない区民が多い。
切り通しの堰(せき)
撮影:滋賀県
堰板をはめ込む溝
近年、50年や100年に1度といわれる豪雨が多発していることや、平成25年9月の台風18号の豪雨で、安曇川の水位が4.12mまで上がり、非常に危険な状況になったことから、十八川区では、ここを塞ぐ対処法を、再度訓練することを決めた。
堰をふさぐ堰板や、それを収納する水防倉庫が新たに完成した、平成27年10月18日に実施。62年ぶりのことである。
当日は、県道と市道の2か所の切り通しで行うため、県道・市道を通行止めにして堰板のはめ込み訓練を行い、区民125名が参加した。
最初、避難場所に集まるまでは地震の訓練。そこからは、水防訓練という2つの要素を織り込んだ。
堰板の大きさは、県道用は、長さ6.4m、市道は4.9mで、木の厚みは6cm、幅は30cm。この板を数人で運び、数枚を溝にはめこんだら、堰板が水圧で流されないよう、土のうを足元に積んでいく。土のう作りも消防に来てもらって指導を受けた。
【堰板をはめ込む訓練の様子】
写真提供:十八川区
撮影:滋賀県
体験者の語り (朽木野尻在住の男女9人による 聞き取り日 平成27年10月2日)
【この調査は立命館大学歴史都市防災研究室と協働で行いました】
高島市の東部に位置する朽木野尻地区は、安曇川と北川との合流点付近に位置する山と川に挟まれた地区である。地区の中心を県道23号線が横断しており、住居の多くは県道23号線よりも山側に構えている。野尻地区東部の安曇川下流は蛇行し、川幅が急激に狭くなっている箇所があり、増水時にその部分で流れが詰まり、安曇川が溢れ地区が浸水するという被害を受けてきている。
過去に昭和28年・昭和38年・昭和40年・平成16年・平成25年に地区が浸水しており、このうち、昭和28年・昭和38年・平成25年では県道23号線を越えて山側の住居まで被害が及んだ。
災害時写真
撮影:滋賀県
平常
撮影:滋賀県
住民の方たちの体験から、地域の特性と昭和28年の水害・昭和38年の水害・昭和40年の水害・平成16年の水害・平成25年台風18号の水害をまとめてあります。
参考(滋賀県災害誌より各水害の概要)
【昭和28年 台風13号】
安曇川が下流の二ツ矢で決壊
朽木村は400mm以上の豪雨に見舞われ、橋梁はほとんど流失し道路は寸断、通信は途絶、全く孤立化して、一時は安否も気遣われた。
【昭和38年 5月6月の長雨と台風2・3号】
4月から5月いっぱい、さらに6月半ばまで天気は悪く、5月の降水量・降雨日数などは彦根気象台開設以来の記録となった。
【昭和40年9月 台風23・24号】
9月9日以来、秋雨前線による雨が続くなか、10日に台風23号が・17日に24号が立て続けにやってきた。台風24号は、この年の最も大きい台風で、各河川はこれまでの増水した水量に加え、さらに急速に増水し、9月17日23時頃には各地で堤防の決壊が起こった。そのため、家屋の全半壊をはじめ、田畑の流失・冠水などによる水害被害・農作物被害が甚大なものになった。
【平成16年】
この年は、梅雨前線や台風の影響で集中豪雨が頻発に起こった。台風の上陸数は、10月末までに記録を更新し10個となった。
特に、大型で強い台風23号は広い範囲で大雨をもたらし、浸水害が発生した。
【平成25年台風18号】
強風域半径500kmを越える大型の台風18号は、滋賀県で過去に経験したことのない暴風雨をもたらし、滋賀県・京都府・福井県に初の特別警報(平成25年8月30日から運用)が発令された。
このため、県内各地で記録的な大雨となり、高島市鴨川と草津市金勝(こんぜ)川の堤防が決壊したのをはじめ、多くの河川が氾濫し、人家や田畑等広い範囲で浸水して甚大な被害をもたらした。
9月15~16日の総雨量は、大津市葛川(かつらがわ)で635mmを記録している。