江戸時代の速水村絵図より洪水から村を守る知恵
長浜市湖北町速水、在住の女性(昭和39年生まれ)のお話
江戸時代の速水村(現速水自治会)全体を表す絵図(写真1)がある。【寛延2年(1749年)作成、天保13年(1842年)写し。伊豆神社所蔵。長浜城歴史博物館寄託】以下、「速水村絵図」と記載する。
速水村の位置は、滋賀県の北部、長浜市のほぼ中央部、北陸本線河毛駅の西方、高時川右岸にあたる。北国街道に沿う村で、かつて東浅井郡に属し郡の中心であった。昭和30年、平成22年の合併を経て、現在の地名は長浜市湖北町速水。
絵図の上方に高時川(写真2A)が流れ、川の右岸に堤防が二重に作られている。(写真2B参照)
また、北国街道(写真2D参照)沿いに並ぶ家々を囲むように堤防(写真2C参照)が築かれている。以下、「町囲み堤」と記載する。一部東に向けてふくらんだように見える位置(写真3参照)は、伊豆神社がある場所である。現在も伊豆神社を囲むように盛り土と盛り土に沿った水路の跡(写真4-1、4-2参照)が残されている。
町囲み堤は、人が通れるように、ところどころ切られていた。堤の切れた場所には、切込みの入った石柱が建てられ、高時川沿いの堤防が決壊しそうになると、石柱の切込みに止水板をはめて家々に水が迫るのを防いだそうである。
町囲み堤は、昭和になってからも残されていたが、近年は高時川沿いの堤防が決壊することがなく、徐々に壊されていったそうだ。
現在、人の通り道を挟んで左右に堤の一部が、石柱とともに残っている場所が一か所残っている(堤沿いに水路も見られる)(写真5-1、5-2、5-3参照)。また、盛り土は撤去されているが石柱が二本並んで残されている場所が一か所(写真6-1、6-2参照)見ることができる。
祖母【大正6年(1917年)速水村の生まれ、平成27年(2015年)逝去】が、台風の季節などによく聞かせてくれた話がある。「子どものころ、よく高時川が氾濫して、家の近くまで水が迫った。大人の人が止水板をはめて水をくいとめた。とても怖かった。」