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大津市 昭和42年7月豪雨

水害履歴

位置図
位置図

山中町 昭和42年7月豪雨

位置図
位置図
水害写真

土砂崩れで家が破損

写真:山中町自治会提供


体験者の語り

県民 男女の7人(昭和17年・昭和22年・昭和24年・昭和25年・昭和27年・昭和28年・昭和31年生まれの方)

【地区の特性】

この地区は比叡山ドライブウェイの料金所から約2km京都寄りで民家が約80戸の山間部の集落である。

山と山との狭間に鼠谷川と道路が並行している。家屋も川と道路に並行して建物が並んでいる状況で、川は蛇行して流れており、7つの橋がかけられている。

この川の上流は田畑作りに利用していた小川であったが、比叡平団地が造成されたことにより、雨水が調整池を経由して鼠谷川へと流れるようになった。

また支流の北谷川があり鼠谷川へ流れ込んでいる。

【当時の状況】

この豪雨を降らせた低気圧は7月9日から10日にかけて近畿地方を猛スピードで通過した。

同地区では7月9日夕刻から鼠谷川の水かさが増し危険な状態になったため、同日夜に避難するよう指示が出て元山中保育園他2箇所に避難した。

この豪雨により各所で山崩れ、家屋の全壊や流失など大きな被害があった。

川は一瞬にして濁流となり市道と一体化し土砂と大木がいたるところに転がり道路としての機能は完全にストップした。市道脇の鼠谷川も土砂で埋もれ、川の跡形もなかった。

山中町の北谷では山津波が発生して、民家の土砂を除去するため消防団が出動した。

地元消防分団50人が出動し土のうを築き応急処置にあたるとともに、大津市の災害救助隊に応援を要請した。

しかし現地に通じる県道は数カ所にわたり土砂崩れが起こり、土砂で埋まって通行不能となったため、翌日朝に土砂を取り除くのを待って、9時くらいに救助隊員30人が現地到着、さらに作業員が30人、午後からは陸上自衛隊大津駐屯地からも隊員30人が加わり、本格的に復旧作業が始まった。

【各住民の経験談】

◎私は災害当時30歳手前でした。京都の大水害を両親が経験しており小さい時から防災意識は高かったため、6月頃から降水量が増える時期になると災害に対しての心配(備え)がありました。今回の豪雨でも特に心配で、気になっていました。

◎私は当日午後9時ごろから急に川の水かさが増え、大きい石が流れてきたのを見ました。大きい音だったので危険だと思いすぐに子供たちを裏山へ避難させました。その時、急に床下に水が流れ込んだので、着の身着のまま、近くの樹下神社に避難して水が引くのを待ちました。居間や奥の間は完全に泥で埋まり、家財道具は一切使えないし、ほとんどが流されてしまいました。

また近所の家も家族総出で家に入り込んだ濁水をバケツリレーでかい出す作業に懸命でしたが、あまりの濁水のすごさに手の付けられない状態だったと聞いています。

◎私は最初に経験した水害がこの水害で、当時20歳くらいの学生でした。

・当時は青年団が、雨が降った時に見回りなどをしており、私自身もその活動に参加していました。

・その時は家の近くの北谷川から濁水が流れてきました。午後10時頃、北谷より山津波が発生し、土砂や流木で北谷川が埋没して、濁流が道路に溢れ、土砂が家屋に侵入し、大惨事となりました。

◎私は少し高いところに家があるので災害は免れましたが、近所では山津波が家を突き抜けて行きました。

◎私は当時小学生(11歳)で、夜遅くに雨がひどくなり昔の保育園(現在は公園)に避難しました。家の前の道が川のようになり、流木が流れてきて昭和10年の災害復興碑の横で止まり、50cmから1mくらい土砂や木が溜まりました。

◎私は当時高校生で、家の近くで災害があったのはおぼろげに覚えています。消防団を手伝っていましたので何かあればすぐに駆けつけていました。

午後2時頃より雷を伴った豪雨となり、午後6時頃から消防分団員・町役員等が出動し、警戒にあたっていました。

◎私は当時小学校5年生でした。北谷川から洗濯機が流れてきたのをよく覚えています。

それがトラウマで、雨のたびに心配になってその時のことを思い出します。豪雨の時期は怖いです。

【教訓】

・昭和42年7月豪雨の資料を先人の方々から受け継いできました。その資料は実際に災害が起こった時にどのように行動すればよいかの指標となりました。

・昭和10年6月29日にも同じような山津波にあい、死者を出しています。

・その時の災害復興碑は集落の中心に建っていて、土石流で転んできた岩で作られたといいいます。災害の経験を、若い世代にも伝え、避難の大切さを知って欲しいと思っています。

【その後の対策】

・土石流対策として砂防ダムを6基設置してもらいました。

・当時支流の北谷川からの濁水が多かったが、砂防ダムが設置されてから被害はなくなりました。

・昭和42年から水害対策として家の前に壁を作るようにしました。しかし、そこから20年近く水害などは起こらなかったので、その壁が劣化してしまい、最近の水害を防ぐことができませんでした。

・天気予報を見て事前に土のうを積むようになりました。

【各家庭の前兆現象】

・災害には個々の感覚があります。またその敷地毎の直感があります。それぞれの家で個々の現象を考えていくことも大事であります。

・川が近いところでは、水位が上昇する時間を各家庭ごとに予測しているので、それで判断します。

・石が流れてゴロゴロという音がしてきます。

・屋根の樋が豪雨で溢れてザーと雨水が落ちてくるのが10分以上続くと、危ないです。

・川の匂いの変化や川の流れる音の変化が危険信号であるとの言い伝えが私の家には昔からあります。

【地元の水防活動】

・自治会では毎年避難訓練を行っています。

・災害の危険性がある場所は、今も過去の経験を生かしています。

・被災箇所の把握、市とのスムーズな連絡・連携、炊き出し、停電・断水対応を考えて訓練しています。

・被災箇所の応援作業、流出物の除去、土のう作り、土のう積、搬送、浸水に伴う消毒、浸水時の廃棄家財等の一時置き場所の確認等の訓練があります。

【思い出・助けあい】

・応援者の方に、連日の土砂撤去の激しい労働に対して地区住民で夜食に豚汁を作っていささかなりともその労に対して報いました。

・この地域での楽しいことは、樹下神社祭りで神輿を担いだことです。また子供神輿も楽しいです。

・地区では盆踊りもあります。皆さん、一緒に出来て一体感が出ます。地区外に出た人も呼んでいます。

・豪雨の時は濁水になりますが通常はきれいな川です。魚は少ないですが、沢蟹や養殖のイワナ、アマゴがいました。

土砂崩れ
土砂崩れ

土砂崩れで家が破損

写真:山中町自治会提供

土砂を地区全員で搬出

写真:山中町自治会提供

土砂崩れ
土砂崩れ

土砂崩れの岩を地区全員で撤去作業

写真:山中町自治会提供

豪雨が過ぎ去った後でも道路に濁水が流れている状況

写真:山中町自治会提供

通常時の地区街並み
通常時の地区街並み

通常時の地区街並み

写真:滋賀県(令和4年11月撮影)

通常時の地区街並み

写真:滋賀県(令和4年11月撮影)

土のう積
土のう積

常に土のうを玄関に確保

写真:滋賀県(令和4年11月撮影)

玄関前には取り外しできる止水板と土のう積

写真:滋賀県(令和4年11月撮影)

濁水対策用に道路沿いに塀を設置、玄関入り口前には取り外しできる止水版用金属枠設置
玄関入り口前には取り外しできる止水版用金属枠設置

玄関前には取り外しできる止水板用金属枠設置

写真:滋賀県(令和4年11月撮影)

玄関前には取り外しできる止水板用金属枠設置

写真:滋賀県(令和4年11月撮影)

昭和10年の豪雨による災害の復興碑
通常は奇麗な鼠谷川

昭和10年の豪雨による災害の復興碑(今回の豪雨も教訓にしている)

写真:滋賀県(令和4年11月撮影)

普段はきれいな鼠谷川

写真:滋賀県(令和4年11月撮影)


伝承・言い伝え