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大津市 昭和28年9月台風13号

水害履歴

位置図
位置図

南大萱 昭和28年9月台風13号

位置図
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水害写真
水害写真

体験者の語り

 長沢川の藤の森地先で決壊し、土砂が田んぼに溢れ出した。
 1・2町程の土地が土砂に埋没してしまったが、集落の無い右岸側での決壊だったため、家屋などに大きな被害は無かった

藤尾奥町 昭和28年9月台風13号

位置図
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【藤尾奥町の状況】

 藤尾奥町は、京都府と滋賀県境近くの、藤尾川流域の山あいの集落。台風13号は、典型的な雨台風で、藤尾川上流や周囲の山地に降った雨や、大量の土砂や流木が橋等に詰まって溢れた水があふれ、上流の流域では家屋浸水などの被害をもたらした。

体験者の語り1 男性 70歳(昭和20年3月生)聞き取り日:平成27年5月28日

  わしが小学校1年ぐらいのときや。藤尾川に土砂が溜まって水が溢れて、道が川になって流れてた。上流から、少し下流の普門寺まで歩けへんようになって。

体験者の語り2 男性 74歳(昭和16年8月生)聞き取り日:平成27年5月28日

 今の藤尾自治会館の前、普門寺のところで、川が直角に曲がってて、ここに流木が曲がりきらんと詰まった。それで水が溢れて、道を水が流れて。
 その当時は道は舗装してないから、水の勢いでこのあたりの道はものすごく掘れた。私が小さいときや。
 その頃やし、通行は歩いてやから、どんななってても行けるけど、ひどいもんできつう穴が開いて。水があふれて、川か道かわからへんし。
 この時から数えて72年目(平成25年)に、うちはまた、同じ流域で同じ被害に遭ってるんや。

石居(いしずえ) 昭和28年9月台風13号

位置図
位置図

【この調査は、関西大学環境都市工学部マネジメント研究室と協働で行いました】

 住民の方たちの体験から、「地域の特性」「昭和28年多羅尾豪雨の水害」「昭和28年台風13号の水害」「昭和57年の水害」「平成25年台風18号の水害」をマップにまとめてあります。

【石居の概要】

・大戸川を挟んで、右岸は現在の石居1丁目と3丁目。山地から大戸川への坂地で、集落の地盤標高は付近の集落より高い。坂の下付近は、大戸川が増水したら溢れやすい。

・左岸は現在の石居2丁目。平地で田地。住居はない。大雨が降って大戸川の水位が上昇すると、農業用排水路である古川に集まった多量の水が排出できなくなるため、梅雨の頃など、浸水しやすい。

【台風の状況】

 多羅尾豪雨よりひと月後、記録破りの大暴風雨の襲来で、県内の各河川は8月の水害復旧工事の完成を見る間もなく、再び随所で氾濫・決壊。

 田上地区での降雨量は、多羅尾豪雨の時よりも多く、石居で記憶されている水害の中では、平成25年以前では最大。

【台風の被害】

・朝方、住民による左岸堤防警戒の中、決壊した。

・大戸川左岸の羽栗橋より約50m下流の白山神社(現:森1丁目)あたりの堤防が決壊し、その洪水が石居の田地に押し寄せて、数m冠水。その洪水と大戸川本流の両方向からの水位上昇により、石居橋上流側の、大戸川左岸堤防70~80mほどが決壊し、白山神社付近の決壊箇所からの水が、大戸川本川に戻った。

・左岸石居橋たもとで大戸川に流れ込む古川に、多量の水が流れ込んだ影響により、古川沿岸の田地が崩れ、削られた。

・水が引いた後、左岸沿いの田地には、40~50cmの土砂が堆積していた。

・右岸の石居集落には被害はなかった。

【復旧活動】

・堤防決壊口の仮閉鎖・仮復旧には、田上地域全体から人夫が招集された。

・決壊口を塞ぐために、大戸川の流れの中に入り、かけや(大型の木づち)で板や杭を打ち込んだ。水流の中の難工事だったため、塞がるまでに半月かかった。

 当時はまだ重機がなかったため、大戸川左岸堤防沿いに線路を敷き、手押しのトロッコで土砂の運び出しを行った。

・初めて業者による土砂搬出が行われたが、その後もニコ(細かい泥。乾くと固くなり、除去が困難)が農地に残っていたため、住民らが総出で撤去し、次の田植えの時期になんとか間に合った。農地の復旧に、約半年かかった。

・こののち、水防団による水防活動が始まった。

伝承・言い伝え