体験者の語り(男女18名) 聞き取り日 平成26年8月9日
【この調査は、立命館大学歴史都市防災研究室と協働で行いました】
上丹生は、山間部丹生川沿いの集落で、集落内に18本の橋がある。1つの橋を数軒または1軒で所有し、災害で橋が流れると所有者が修理。橋の材料用の山や、共有の山をいくつか持っている。
川の流れは速く、土砂崩れは少ないが、岩がよく流れていた。
「上流から大きな石が流れてくる音が激しかった。昔の橋は木製で、壊れた上流の橋桁などが次の橋にぶつかり、さらに被害が拡大した。住民が総出で、山から木を切ってきて杭とロープを用いて、竹流し工法を行った。自警団が半鐘を鳴らし避難を促したので、近所で声掛けをして、地盤の高い神明神社や公会堂に避難した。」
地元の方たちの体験から、昭和13年の水害・昭和28年台風13号・昭和34年伊勢湾台風・平成25年台風18号の水害履歴をまとめてあります。
体験者の語り 地元男女13名による 聞き取り日:令和6年7月18日
この調査は、関西大学景観研究室と協働で行いました
【昭和前半までの岩脇の水害リスク】
〇天野川の水利用に有益な岩脇の立地
かつて岩脇では真綿の生産が盛んであり、岩脇公民館はかつて、真綿組合所として機能していた。繭を茹でる際に水が必要となり、どの家庭にも容易に取水できる必要があったことが、集落立地に関係していると思われる。
岩脇の集落には、中河原井・立岩井という2つの井堰があり、これらの井堰から取水をおこなっていた。集落内には水路が張り巡らされており、各家からの取水が容易であった。取水が容易であった一方で、水害リスクのあった岩脇では、上多良・中多良の方へと上手く排水を行うことで、氾濫による被害を最小限に抑えていた。
〇天野川の無堤区間からの氾濫被害(写真天野河絵図)
天野川の左岸堤防には無堤区間が存在した。天野川の増水時には、岩脇側へと水が流れてくる。無堤区間を通って、左岸側に氾濫している様子や、西円寺の田畑が浸水している様子が分かる。無堤区間は飯の集落の範囲にある。飯としては、集落のある右岸側に氾濫することを避けるために、あえて左岸側には堤防を設けなかったと考えられる。
〇氾濫被害を抑えるための知恵
1.「集落立地」集落は岩脇の中でも標高が高い位置にある。集落が自然堤防に上に位置している。
2.「堤防」堤防を設けることで、水害の被害を食い止めようとしていた。飯の集落内に直接堤防を築くことはできないため、岩脇の集落内に小高い堤防を設置することで、被害を最小限にしようとしていた。
A堤防:高さ約2mの石積み堤防。堤防の高さを巡って飯と岩脇の間で争いが多かった。
B堤防:飯と岩脇の境界にある高さ50cmの堤防。
【鉄道敷設による治水への影響】
明治期に至るまで、標高の高さと堤防を活かし、浸水による被害を最小限にしてきた。明治期の鉄道建設は、岩脇の水害リスクに大きな影響を与えたと考えられる。
1、「氾濫水の滞り」以前までは標高の低い上多良・中多良の方へ水が流れて行ったのに対し、北陸本線および東海道本線が盛土構造で敷設されたため、排水が滞る可能性が高まった。
2、「岩脇山の一部が切通(きりとおし)*に」岩脇山の中央部分が切通となりました。これにより、西円寺で溜まった水が標高の低い切通の部分を通って、岩脇の南部に流れ込んでくる可能性が高まった。
*切通:山や丘などを切り開いて作られた道路のこと
【1953(昭和28)年台風13号】
〇岩脇集落内の浸水状況
夕方頃:天野川の水位が急激に上昇し、降水量も増加した。
夜頃:集落内の水路が氾濫し、浸水被害が発生した。道路などから水が湧き出した。
翌朝頃:既に水が引いていた。氾濫水が標高の低い上多良の方へ流れて行くこと、地下水位が下がると砂質の土壌に水は浸透することが考えられる。
〇湧水発生の仕組み
岩脇の地質は砂礫質であり、天野川は河床が高く、地下水位が高い。大雨によって天野川の水位が上昇し、当時未舗装であった道路や家の土間等、至る所からの湧水が起こった。
〇家屋の浸水被害状況
集落の広範囲の家屋が床下浸水した。岩脇では、集落内に水路が張り巡らされている。これらの水路が氾濫したと考えられる。
〇体験談女性
・大雨により仕事を早めに切り上げ、昼頃に坂田駅から帰宅した。天野川の増水によって天野川橋を渡れなかった。北陸本線の鉄道橋を四つん這いになりながら川を越えた。当時の県道は未舗装であり、表面の細かい土が流されていたため、山石が露出し、歩くのも一苦労であった。
体験談男性(当時小学5年生)
・水路から水が溢れて家の前の道が浸かっていた。大人の膝下程度(約20cm~30cm)まで浸水していた。
・夜間の浸水被害から、稲荷神社の拝殿に家族と避難した。集落内で標高が高く、かつ雨風をしのぐことができる稲荷神社が避難場所だと考えられていた。稲荷神社の拝殿に避難していたのは、2,3件のみであった。
【近年の土木事業による水害への影響】
〇その1「天野川災害復旧事業」
河床掘削および川幅の拡幅がなされた結果、天野川の水位が低くなった。これにより、以前に比べて地下水位が上昇しにくくなり、道路や土間から水が湧きにくくなった。
天野川の川幅が一定化されたと同時に、上流部から下流部に至るまで両岸に新たな堤防が築かれた。これにより、飯村をはじめ、天野川流域に存在した無堤区間はほとんどが消滅し、氾濫する頻度が減少したと考えられる。
〇体験談
・河川改修以降、浸水リスクが下がったものの、井戸が干上がってしまった。
〇その2「東海道新幹線の敷設」
昭和39年に東海道新幹線が開通。当初、盛土構造での建設が予定されていたところ、岩脇の方々は水害の氾濫流が堰き止められてしまう可能性を懸念し、交渉を行った。その結果、現在の県道付近から東海道本線上り線までを高架化してもらうことに成功した。
〇その3「国道8号線米原バイパスの建設」
昭和52年以降米原バイパスが順に開通。ほとんどの部分が高架化されているものの、天野川に橋脚が建てられたことで、天野川の流れが変化した可能性が住民から指摘されている。