尾張・美濃の平定後、足利義昭を奉じて上洛した織田信長は、安土城築城に至るまでの間、近江各地に多くの足跡を残しています。安土城が位置する東近江市内でもそれは確認することができます。
このたび、安土城築城450年を記念し、東近江市と連携して、安土城築城に至るまでの信長の足跡を訪ねる探訪会を開催します。この地域に残る安土城築城前夜の知られざる魅力に触れ、安土城を守り伝えていく思いを新たにしていただければと思います。
信長が上洛を開始した永禄11年(1568)、南近江を支配していた六角義賢・義治父子は、織田軍の攻撃により本拠地の観音寺城を放棄、出城であった佐生城も落城し廃城となりました。六角氏と親密な関係があった百済寺に対し、信長は自らの祈願所と定め、寺領を保証する朱印状を出して保護しています。当時の百済寺は、六角氏の協力を得て城砦化しており、近隣一帯の寺領を経済基盤として繁栄を極めていました。ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスは、その壮大さと美しさを賞賛して「地上の天国」と表現しています。しかし元亀4年(1573)、信長は潜伏する六角義治を討つため出陣、自ら百済寺に入りますが、兵糧を略奪されたため寺に火を放ち全山は灰燼に帰しました。百済寺跡は、我が国中世の宗教史や政治状況の様相を知る上で重要として平成20年に国の史跡に指定されています。
今回の探訪会では、信長の上洛に伴う戦いの舞台となった佐生城跡と、元亀争乱と呼ばれる反信長勢力との抗争の舞台となった史跡百済寺境内を訪ねます。