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ハンセン病について

ハンセン病問題を正しく理解しましょう。

<使用している言葉について>

※「癩」「らい」について

 ハンセン病は、かつて「らい」あるいは「らい病」と呼ばれていました。1996年(平成8年)「らい予防法」が廃止されたときに、「らい」「らい病」という言葉が、歴史的にハンセン病回復者が傷つき、悲惨なイメージをもたらすことから、偏見、差別を是正する目的で、らい菌を発見したノルウェーのアルマウェル・ハンセン医師の名前をとって、病名が「ハンセン病」へと改められました。

 このカテゴリ内では、医学用語、法律用語、歴史的用語としての「癩」「らい」についてはそのまま使用しています。

ハンセン病とは

 ハンセン病は、「らい菌」によって引き起こされる慢性の感染症です。発病すると、主に末梢神経や皮膚が侵されるため、感覚障害がおこり、温度や痛みを感じなくなります。その結果、気が付かないうちにやけどや怪我を繰り返したり、手足や顔面が変形するなどの後遺症が残りやすかったことから、偏見や差別の対象となりやすかったのです。

 「らい菌」は感染力が非常に弱いため、「らい菌」に対しての抵抗力が極めて弱い人が繰り返し接触しなければ感染することはありません。かりに感染しても発病することはまれな病気です。

ハンセン病は治る病気です

 昔は衛生状態や栄養事情が悪かったために感染症が広まりやすく、また有効な治療薬がなかったため、「不治の病」と考えられていた時代がありました。

 ハンセン病の治療薬として1943年(昭和18年)に米国で有効性が確認された「プロミン」は注射薬でした。その後はさまざまな飲み薬が開発され、現在はいくつかの薬を組み合わせる多剤併用療法(MDT)が行われ、適切な治療を受ければ、ハンセン病は確実に治る病気となっています。しかし、高齢の元患者の多くは、有効な治療薬のない時代に病気が進行してしまい、手足が変形したり、皮膚や知覚に後遺症が残っているため、現在はそれらの治療を受けています。

感染した人は隔離が必要だったのか?

 ハンセン病は人から人にうつることは極めてまれであること、治療薬で完治すること、生命にかかわることがほとんどないことなどから、もともと隔離を必要としない病気であったと考えられています。全国のハンセン病療養所で医療や看護などに従事する職員のうち、ハンセン病を発症した人は1人も確認されていません。このことからも感染力の弱さは明らかです。

 かつて国が行っていた隔離政策は、重大な過ちだったのです。

国は過去にどのような対応をとったのか?

 病気への偏見や差別から周囲の冷たい仕打ちにあい、家や故郷を追われて各地を放浪する人たちがいました。明治に入って、諸外国から「患者を放置している」と非難を浴びると、当時の日本政府は、1907年(明治40年)に「癩予防ニ関スル件」という法律を制定して野外生活を営むハンセン病患者を隔離収容の対象として療養所に入所させ、一般社会から隔離しました。

 1931年(昭和6年)には新たに「癩予防法」が成立し、在宅の患者も含めたすべてのハンセン病患者を強制的に隔離してハンセン病を絶滅させようとする政策が決定され、全国各地に国立療養所が設けられました。また、各県では「無らい県運動」という名のもとに、患者を見つけ出し療養所に送り込む官民一体となった施策が行われました。さらに、戦後においても、1949年(昭和24年)全国国立癩療養所所長会議において、「無らい県運動」を引き続き行うことが決定され、展開されました。

患者、家族が受けてきた被害

 官民一体となった強制的な隔離政策のもと、多くの患者が自宅から無理やり連れ出され、家族からも引き離されて療養所に入所させられました。療養所では退所も外出も許可されず、療養所での作業を強いられたり、「懲戒検束」と呼ばれる裁判を経ない収監罰を与えられたり、結婚の条件に断種や堕胎を強いられるなどの人権侵害が行われた時代がありました。また、ハンセン病であることを隠して療養所の外で暮らしていた人々も、差別や隔離を恐れ、適切な治療を受けることができないなど、大変な苦労をしました。

 また、ハンセン病の患者本人だけでなく、その家族たちも周囲から厳しい差別を受けました。当時、患者の強制的な入所や住んでいた家の消毒などが行われたことで、周囲の人々は恐怖心を植えつけられ、患者とその家族への差別意識を生んだと考えられています。家族は近所づきあいから疎外され、結婚や就職を拒まれたり、引っ越しを余儀なくされたりすることも少なくありませんでした。学校ではいじめにあい、進学の希望も叶わず、就職の際にも身元調査をされて就職を拒否される例も多くありました。このような過酷な偏見差別の中で、多くの家族は、ときには肉親である患者本人を恨んだり、やむなく縁を切らざるを得ませんでした。

ハンセン病療養所入所者の現状

 1947年(昭和22年)から日本でもプロミンの使用が始まり、そのほかにも各種の治療薬が普及していったことで、患者の多くが治癒するようになりました。現在の入所者、退所者はすでに治癒し「回復者」と呼ばれます。周りの人に感染することはありません。

 「らい予防法」(「癩予防法」を1953年(昭和28年)に改正)は変わらず存続し、明確な退所規定もありませんでしたが、なかには自主的に退所する人もいました。しかし、療養所の外では退所者への医療支援や生活支援はなく、ハンセン病患者・元患者に対する差別も根強く残っていました。病歴が知られることを恐れて十分な治療が受けられず、生活苦の果てに体をこわし、やむなく療養所に戻る人も少なくありませんでした。 

「らい予防法」がようやく廃止されたのは、1996年(平成8年)のことでした。これにより、国の隔離政策は改められたものの、療養所入所者の多くはすでに高齢となっており、ハンセン病の後遺症から重い身体障害をもつ人もいて、社会復帰して自活することは困難です。社会では今なおハンセン病に対する偏見差別が根強く残っており、療養所の外で暮らすことに不安を感じておられる人もいます。

 高齢や身体障害、周囲の偏見などを乗り越え、療養所を退所して社会復帰した人もいます。しかし、その数は決して多いとはいえません。強制隔離の経験は大きな心の傷を残しています。「自分の病気は恐ろしい」「人から嫌われる病気だ」という意識を植えつけられ、そのため、いつも「病気がばれないか」とビクビクしながら生きることを余儀なくされてきました。社会に根強い偏見差別が残る中で、実際に差別的な言動を経験したり、家族の就職や結婚などの際にも差別が及ぶこともありました。親しい友人にも病歴を明かせず、また社会で家族をもった人でも、配偶者や子どもにさえ病歴を話していない人もいます。

 また、退所しても故郷に戻れるとも限りません。かつて、家族に迷惑が及ぶことを心配して本名も戸籍も捨て、故郷では死亡したことになっている人もいます。そのため、現在も故郷に帰ることなく、肉親との再会さえ果たせない人もいます。療養所で亡くなった人の遺骨の多くが、いまも実家のお墓に入れないまま各療養所内の納骨堂に納められています。

「らい予防法」廃止以後

 1996年(平成8年)「らい予防法」が廃止されましたが、当時の厚生大臣は法の廃止が遅れたことのみを謝罪しました。療養所入所者や退所者の状況は何ら変わらず、国のハンセン病対策の間違いに政府はあいまいなままで、社会復帰などの支援策も盛り込まれていませんでした。これに対して療養所入所者13人は、1998年(平成10年)7月、熊本地裁に「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟を提起しました(翌年には東京と岡山の地裁に提起)。2001年(平成13年)5月に熊本地裁は原告勝訴の判決を下し、国は控訴せず判決が確定しました。これを受けて、国は療養所入所者など患者・元患者に謝罪し、新たな補償制度や療養所非入所者にも給与金制度を設けました。さらに、2009年(平成21年)4月に、「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律(ハンセン病問題基本法)」が施行されました。また、国は2009年(平成21年)から、新たに毎年6月22日を「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」と定めました。

ハンセン病をめぐる問題を解決するために

 「ハンセン病問題基本法」は、ハンセン病回復者の方々が地域社会から孤立せずに、安心して豊かな生活を送るための環境整備や、偏見差別のない社会の実現を謳っています。ハンセン病療養所で今も暮らす人たちが今後も安心して生活していくことの保障や、社会復帰の支援、社会生活の援助などを定めています。そのために、国だけでなく、地方自治体は地域の実情を踏まえたやり方を考えて実行する責務があると明記しています。具体的には、入所者の高齢化と減少が進む療養所を、地域にも開かれた医療拠点などとして存続させていくことが各地で検討されています。病気から回復して社会復帰した人たちにとっては、療養所以外で適切な治療を受けたり、相談したりできる場所が必要です。専門の相談窓口や生活支援には、これからも各自治体や地域の人たちが当事者として関わっていくことが求められています。被害の回復のためには、過去にどんなことがあり、現在はどうなっているのかを、よく知ることが欠かせません。ハンセン病の歴史や問題を学習する場や、地元の住民たちとの交流の場を増やしていくとともに、自治体が過去の隔離政策にどのように関わったかの検証も必要です。それぞれの地域で暮らす一人ひとりが、自分も無関係ではないという意識を持って関わっていくことが大切です。


ハンセン病に関する主な年表
内容
1873年(明治6年) ノルウェーのハンセンが、らい菌を発見。
1907年(明治40年) 「癩予防ニ関スル件」制定。
野外生活を営むハンセン病の患者をハンセン病療養所に入所させるための法律。
1909年(明治42年) 全国5か所で公立療養所を開設。
1931年(昭和6年) 「癩予防法」制定。
「癩予防ニ関スル件」を作り直した法律。この法律の制定により隔離の対象となる患者の範囲が広まった。この法律に前後して始まった「無らい県運動」により、ハンセン病をすべてなくそうという「強制隔離によるハンセン病絶滅政策」が広まる。
1943年(昭和18年) アメリカでプロミンの治療効果が発表された。
1947年(昭和22年) プロミンの予算獲得運動。
1951年(昭和26年) 全国国立癩療養所患者協議会(全患協。現・全療協)結成。
1953年(昭和28年) 「らい予防法」制定。
「癩予防法」を作り直した法律。患者が働くことの禁止、療養所入所者の外出禁止などを規定したもの。
1990年代 らい予防法廃止運動。
1991年全患協が「らい予防法」改正要請書を厚生省へ提出したことがきっかけとなり、社会でも療養所入所者に対する関心が高まった。1994年日本らい学会の「らい予防法検討委員会」、厚生省主導の「らい予防法見直し検討会」などで議論された。
1996年(平成8年) 「らい予防法の廃止に関する法律」制定。
当事者の長年の運動が実り「らい予防法」が廃止される。「らい予防法」の見直しが遅れたことについて厚生大臣が謝罪。
1998年(平成10年) 熊本地裁に、星塚敬愛園、菊池恵楓園の入所者ら13人が「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟を提起。
2001年(平成13年) 「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟で、熊本地裁は原告勝訴の判決。国は控訴せず。内閣総理大臣談話。衆参両院で謝罪決議。
「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」成立。和解に関する基本合意書締結。厚生労働大臣、副大臣が各療養所を訪問し謝罪。
2002年(平成14年) 全国50の新聞紙上に厚生労働大臣名で謝罪広告掲載。国立ハンセン病療養所等退所者給与金事業開始。
2005年(平成17年) 国立ハンセン病療養所等非入所者給与金事業開始。
2006年(平成18年) ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律の一部を改正する法律成立。
2008年(平成20年) 「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律(ハンセン病問題基本法)」制定。
2009年(平成21年) 4月「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」施行。
6月22日「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」と定める。
2019年(令和元年) 11月22日「ハンセン病元患者家族に対する補償金の支給等に関する法律」施行。
11月22日「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律の一部を改正する法律」施行。

<このカテゴリ内では、下記の資料を参考としています。>

(厚生労働省)

わたしたちにできること~ハンセン病を知り、偏見や差別をなくそう~

(公益社団法人日本広報協会)

向き合おう。語り合おう。いま、問われるハンセン病の過去と未来

(ハンセン病療養所の将来構想をすすめる会・関西実行委員会)

ハンセン病問題啓発パンフレット


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お問い合わせ
健康医療福祉部 健康寿命推進課 がん・疾病対策・母子保健係
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