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遠隔病理診断ネットワーク

滋賀県における全県型遠隔病理診断ICTネットワーク事業の紹介

この度、滋賀県では全県型遠隔病理診断ICTネットワーク事業を始動させることになりました。本稿では、この事業はどんなものなのか、なぜこのような事業を必要とするのか、現在、どの程度運用され、今後どのように発展させていくのかを紹介します。

目次

1. がんの確定診断に携わる病理医の現状

死因の第1位であるがんは、団塊の世代が後期高齢者に突入する10~20年先にはさらに増加すると見込まれます。しかも、医療の在り方、がんの診断や治療についても課題は山積しているのが現状です。

がんの確定診断に不可欠とされる病理診断を行うのが病理専門医(以下病理医)です。病理医が行うのは病理診断だけではありません。同じ検査材料から、病気の原因や発症のメカニズム、現在の状態、今後どうなっていくか(予後)、治療はどうしたらよいのか、治療後であれば治療効果はあったのか、も知ることが出来ます。その他、病理医は臨床医にとって必要な知識を随時提供しています。このため、昔から病理医はDoctor’s Doctorと呼ばれていました。しかし、このような病理医は、我が国全体で2000名ほどに過ぎず、486認定病院の実に4割が一人病理医で、常勤のいない施設もあります。この数の病理医が、およそ年間1200万件の病理組織診断、1600万件の細胞診断、10万件の術中迅速診断と2万2千件の病理解剖に従事しています。がん患者を例にとると、一人の病理医が年間約740名のがん患者さんの、360名のその年の新規がん罹患者の病理診断に携わっています。この病理医数は、対人口比でみて、アメリカの病理医の5分の1、イギリスの3分の1です。

また、我が国における病理医の平均年齢は約53歳と高齢化が進んでいるため、10年後には危機的状態となることが懸念されています。実務面をみると、複数人の病理医がいる大きな施設では、専門性を持って働くことも出来ますが、一人だと10臓器以上の病理専門知識に精通する必要があります。勿論、がんの診断だけではなく、炎症性疾患などの診断にも関わります。とてもすべてをマスターしたり、医学・医療の進歩に対応できていないのが現状です。病理医は病気になっても休み難く、週日では学会や勉強会に出ることも困難です。復帰してみると診断すべき標本が山積みとなって放置されていることになるのです。同様のことは、病理解剖にも当てはまります。病理解剖が昼にあると、その間外科病理の仕事は滞ってしまいます。知らないことがあり、考えたり調べたりするうちに時間がかかることも多く、他の病理医に相談できれば、臨床への対応も適時に行うことが出来るのですが、なかなかそうはいきません。気軽に相談できる態勢や代行者が得られる制度が求められます。見落としや誤診、報告書の記載漏れなど、病理医がヒトである限り起こり得ます。人が少ないので誤りを見つけ出し、是正する精度管理の体制を敷けない状況です。

2. 病理医のいない病院や診療所での病理検体の取り扱い

病理医がいない病院や診療所でも病理診断を必要とします。標本作製には技師や設備が必要ですが、このような施設でそれを常備することは出来ません。このような場合、衛生検査所に検体を搬送し標本を作ってもらうことになります。病理標本を作るのには通常の場合、複雑な標本作製工程があるため顕微鏡標本(ガラススライド)が出来上がって病理医が診断するまでには検体採取から3日くらいかかります。出来た標本は病理医のいる施設まで搬送され、診断されます。大学の病理学教室や研究所の病理医や余力のある病院の病理医、それに最近では開業病理医が診断にあたっています。診断が付けられると、逆の経路を辿って依頼施設に届けられます。このため通常病理診断返却までに1週間から10日くらいの所要時間を要します。実は、このような病理医のいない施設の方が我が国には多く、病理検体の約7割が検査所で取り扱われているのです。そのため、診断結果を得るまでに時間がかかり、患者さんに不要に長い不安な時間を強いることになっています。病・病・診の連携がうまく構築されていない現段階では、例え診療所でがんの病理診断が得られても次のステップに進むまでに、随分と長い時間がかかってしまうことになります。

3. 滋賀県の病理事情

日本病理学会に登録されている滋賀県の病理専門医の数は24名です。県内には59の病院がありますが、病理医がいるのは9施設に過ぎず、湖南地区に密集する傾向があります。その他、非常勤の病理医が週に幾度か行っている病院が4施設で、全く病理医が関与していない病院は残りの46施設です。この中には病理医はいないが病理検査技師がいたり病理検査室がある施設が5施設もあります。幸いなことに、滋賀県には複数人の病理医のいる病院や大学病院、病理学教室が存在し、他施設の病理診断に関与してくれています。

滋賀県内には大手の検査所が一つと3つの子会社が存在します。また、近隣の京都地区にも検査所が一つあり、県内の精神科を除く約760の診療所からの病理検体を取り扱ってもいます。

滋賀県には、もう一つの地勢上の問題点があります。それは、琵琶湖が県の面積の1/6を占め、周辺部は山間部となっていて、平野部は少なく、交通網が遮断され、物流が阻害される要因となっていることです。

4. 顕微鏡のパラダイムシフト、ICTの発展と遠隔病理診断

この十数年で顕微鏡や、情報・コミュニケーション技術(ICT)が革命的に進化しました。今までは出来上がってきたガラススライドを伝統的な顕微鏡で覗き込んでいました。これが、顕微鏡にデジタルカメラを取り付け、撮影した画像を電送し、他所に備えられたモニター上で観察できるようになったのです。遠隔地で病理診断が出来るということで遠隔病理診断(テレパソロジー;TP)と言います。静止画像を送っていたものが、やがて動画として送れるように替りました。観察画面も遠隔地から操作し場所を動かしたり倍率を変え見えるようにもなりました。さらには、標本全体を強拡大でまず撮影し、それをコンピュータに取り込み、合成して全画像がみれるようになりました。これが仮想的標本、バーチャルスライドあるいはホールスライドイメージ(全スライド画像;以下WSI)です。WSIは、モニター上であたかも自分の顕微鏡を操作するように自由自在に動かし、倍率を変えることが出来ます。このカメラ付き顕微鏡でWSIを作成する“画像取り込み装置”をバーチャルマイクロスコピー(VM)と言います。新時代の顕微鏡です。現在では、取り込み時間は秒ないし数分単位でなされるようになりました。画像の観察も、すべての画像情報を送る必要はありません。必要な部分とその周囲の画像を回線を介して覗き込むようにすれば、容量も小さく、画像送信の時間もかかりませんので、操作性が著しく改善されました。

また、この画像の送付と臨床情報や診断書の書式もすべて同じように電送できます。両者を連結すれば、同一患者の情報すべてを間違うことなく一緒に送れますので、照合の手間がいりませんし、作成した診断書は同様に正確に送り返すことが出来ます(テレリポーティング)。この方法ですと、搬送の手間も照合の手間も省け、病理業務の正確性と省力化をもたらします。これが現在の遠隔病理診断の技術です。

5. 術中迅速診断の重要性

手術中に病理診断がなされると、効果的で、安全・安心な手術を行うことが出来ます。「効果的で安全・安心な手術に役立つ」というのは、手術中に確定診断がつけば、安心して手術を終えたり、適切な次の対応が出来るということです。例えば、手術中にがんではないということが分かり手術を中断し過剰な切除を避けたり、がんであるというのが分かっても手術よりも他の方法で治療した方が良いタイプのがんということが分かれば手術を中断することがあります。手術が必要と判断された場合でも、どこまで切除すればよいのかの確認が行えます。この手術中に病理診断を付ける操作を術中迅速診断といいます。確認しながら手術を行う。これが安心・安全な手術に役立つのです。

先ほど、病理標本を作るのに検体採取から3日くらいかかると書きました。これでは手術中に病理診断を得ることはできません。運が良いことに、我々の身体組織は、その70%位が水から出来ていますので、凍らせて固めるという方法をとればすぐに硬くすることが出来、薄く切って切片として色付けし、顕微鏡観察することが出来ます。勿論、この工程には特殊な機器や技術が必要です。現在の方法でもうまく行えば、標本を受け取ってから15分から20分くらいで診断をつけ手術場に連絡することができます。これらの操作は病理医と病理技師がいる病院ではすでに行われています。このような病院は、安心・安全な手術が約束されていると言えます。しかし、病理医のいない病院では、術中迅速診断の裏付けなしで手術を終えなければなりません。そのような施設でも術中迅速診断が出来る体制にする必要があります。

現状でも、他医療機関の病理医が週何度か直接現場に行って術中迅速診断に対応している施設も少なからずあります。しかし、病理医が来れなくなると診断ができなくなってしまいますし、病理医が現地に向かうために多くの不必要な時間を費やしています。数少ない病理医の貴重な仕事時間をさらに奪う結果にもなっているのです。

6. 病理診断支援・教育センター

院外の病理診断の支援体制と精度管理体制の構築、医療従事者の教育支援を行うことを目的として平成22年度から開設されました。医療の根幹をなす正確な病理診断を早く県内各医療施設に提供し、県民の健康創生の一環をなすネットワーク作りを行うため、病理診断体制のあり方、多施設間精度管理に関する研究を行い、大きく県内そして我が国の医療の流れを変える方向性を模索しています。

病理診断支援・教育センター

病理診断支援部門

  • 病理診断支援
    • 病理医や細胞検査士のいない施設の病理診断を支援します。
  • コンサルテーション
    • 各臓器の病理専門医を擁する施設作りを目指します。
    • 他施設の臓器別病理専門医とのコンサルテーションネットワークを作ります。
    • 上記体制の下、他院で遭遇した診断困難例の病理診断を支援します。
  • 遠隔病理診断ネットワークの管理
    • 県内病院や診療所を結ぶ電話回線ネットワークを提供、管理します。
    • このネットワークによる迅速な病理診断返却を目指します。
    • 滋賀県下の病院病理医との間のネットワーク形成を支援します。
    • 病理診断の精度管理に貢献します。

教育部門

  • 理医の育成・教育
    • 病理医育成の研修プログラムを提供します。
    • 診断支援、コンサルテーションを通じて病理医の育成を図ります。
    • 総合病院・病理診断科と共同で病理医育成の実践教育を行います。
    • 定期的に若手病理医のための勉強会を開きます。
    • 臨床各科とのカンファレンスを通して臨床医学を学びます。
  • 病理セミナー開催
    • 地域連携を図るための病理医同士のセミナー開催を援助します。
    • わが国の病理診断の向上を図るためのセミナーを開催します。
  • 県民公開講座への協力
    • 滋賀県立総合病院が行う公開講座等に協力し、県民の健康教育に貢献します。

7. 滋賀県の未来戦略と全県型遠隔病理診断ICTネットワーク事業

滋賀県の未来戦略の中に「みんなで命とくらしを守る安心・安全プロジェクト」や「地域を支える医療福祉・在宅看取りプロジェクト」なるものがあります。これらのプロジェクトを円滑に動かすためには、人と人との連結を図らねばなりません。連結を密に、そして早く行うためには、情報・コミュニケーション技術(ICT)の導入が必須と考えられました。従って、これらプロジェクトを推進する一環として、「ICTによる連絡網の形成と県内医療の緊密化と迅速化/人材育成」を目指す事業(「病理診断迅速返却システムの構築」と「地域を支え繋ぐ医療専門職育成事業」)が、滋賀県立総合病院を中心としてスタートしたのです。実際には、総務省の「地域ICT利活用広域連携事業」、厚生労働省の「地域医療再生計画事業」へ申請し、採択していただいた事業でもあり、ようやく平成23年度末から実施可能の目途がついたものです。

人材を中心とする医療資源、逼迫する医療経済の視点も含めて、県内いずれの病院や他医療機関においても病理診断を可能とし、迅速かつ質的向上が図れる方法を検討した結果、全県型遠隔病理診断ICTネットワーク事業を展開することとし、平成22年度から始動することになりました。これは、冒頭で述べた数々の病理に関する問題点を軽減する一環として立ち上げられたものです。うまく構築、運用されれば、医療の流れを迅速化し、質を向上させるとともに、患者さんのQOL向上に貢献するのみならず、医療資源の有効利用、医療費軽減をもたらすものと期待されます。この事業の中に、(1)いつでも安心・術中迅速診断プロジェクト、(2)病理検査技師養成プロジェクト、(3)遠隔病理診断・診断書迅速返却プロジェクト、(4)病理診断精度管理プロジェクト、と(5)病理診断相互支援プロジェクト、を組みました(表1)。

滋賀県内、そして京都府の病理の先生方に相談すると、13名以上の方が、診断者として参加してくれることになりました。これで、診断者のネットワークを結成することが出来たのです。本事業がまた、将来的には、日本全国を視野に入れて病理医不足で悩んでいる諸都道府県との広域連携や定年退職者による支援や女性病理医などの一時離職者の再就職支援も図りたいと思っています。

表1 全県型病理診断ICTネットワーク事業の各プロジェクトの内容

  1. いつでも安心・術中迅速診断プロジェクト

    病理医はいないが病理検査技師あるいは一般検査技師がいる病院での術中迅速病理診断が安定的にできる仕組みを構築。

  2. 病理検査技師養成プロジェクト

    病理検査技師の初期教育、実習による再教育の場や教育資料の提供。

  3. 遠隔病理診断・診断書迅速返却プロジェクト

    通常の病理診断に使用し、診断書返却までの所要時間を大幅に短縮。

  4. 病理診断精度管理プロジェクト

    病理診断の精度管理と質の向上に貢献。

  5. 病理診断相互支援プロジェクト

    必要時に病理医同士が助け合う制度を構築。(1)業務の他者による 代行、(2)他施設専門病理医による診断支援(コンサルテーション)、(3)診断書返却前の相互相談による質の高い診断の提供。

8. 全県型遠隔病理診断ネットワーク形成の現状

現在どこまで出来ていて、平成25年度末までにはどのような形となるのかを示します。

8-1. ネットワークの意味合いと確保の現状

ネットワークと言っても皆さん思い浮かばれる姿は異なると思います。もう少し、ネットワークの意味を違った形で説明します。今回形成したネットワークには、人同士の繋がりとしてのネットワーク、言い換えれば「ヒューマンネットワーク」と、物と物を回線でつなぐ「物理回線ネットワーク」からなると言えます。ヒューマンネットワークとして診断者グループがあります。現在、13名の病理医が参加・協力することになっており、ネットワーク形成の諸問題を一緒に協議しています。出来上がるネットワークは、お互い助け合うものとなります。やがては、病理医のいる“病理診断依頼先施設”と病理診断を依頼する“依頼元医療施設”の間を連結した大きなネットワークが出来上がります。現在依頼元施設として、病理医のいない2病院と病理医がいて診断の支援を望む2病院が参加しています。

「物理回線ネットワーク」は、滋賀県立総合病院の協力で、NTTの回線をすでに確保しました。2012年半ば頃から、京都の病理診断科クリニックとの間で、テレリポティング、テレパソロジーの試験運転を幾度か行い、システムの開発・改良を図ってきました。

機器購入補助に関しては、VMを5施設に設置することに決定され、公立甲賀病院、国立病院機構滋賀病院、近江八幡市立総合医療センター、草津総合病院、滋賀医科大学附属病院臨床検査学教室の5施設すべてに設置されました。各施設間で試験運用を始めており、平成25年4月から正式にコンサルティング運用を開始、7月からは術中迅速診断を開始予定です。条件が整えば、以前にVMを保有している、他の3病院が参加することになっています。

8-2. 運用方法と各施設の役割分担

このネットワークでは、以下の様に、複数の施設を互いに連結しているため、複数の病理医が一つの症例を同時に検索し、協議した後の同意診断を依頼元病院へ提供したり、不在時には他の病理医が代行できます。今回のネットワークでは、2施設の病理医が同時に担当する「術中迅速診断の診断返却前精度管理体制」を敷く予定です。

8-2-1. 術中迅速診断に対するネットワークシステム

このネットワークでは、以下の様に、複数の施設を互いに連結しているため、複数の病理医が一つの症例を同時に検索し、協議した後の同意診断を依頼元病院へ提供したり、不在時には他の病理医が代行できます。今回のネットワークでは、2施設の病理医が同時に担当する「術中迅速診断の診断返却前精度管理体制」を敷く予定です。

8-2-2. 教育体制の設立と病理診断者の参加前教育および生涯教育

凍結切片による術中迅速診断やWSIによる診断に不慣れな参加者のために、滋賀医科大学附属病院臨床検査学教室にお願いして、教育資料を提示してもらうことにし、準備してもらっています。これを使用して、参加前に経験を積み、診断の付け方や報告の仕方を学んでもらうのです。また、希少症例の提示なども行い生涯教育にも使用していくことにしています。

8-2-3. コンサルテーションと精度管理

相互支援の中に、コンサルテーションと精度管理があります。コンサルテーションとは、ある病理医が診断行為を完結するために別の専門病理医の意見を聞くことをいいます。専門医診断としての意見を診断書の形で返却して貰う場合と、診断書の返却を求めず支援的な意見を聞くのみの場合がありますが、一般的には、前者の形態に限定して使用することが多い言葉です。このネットワークでは、診断書の発行を伴うものは有料で、診断書を発行せず単に相談するための目的で使用する場合は無料です。ただ、診断書を発行しない場合もネットワークを使用しますので、回線使用料等は発生します。

ある作業やその工程が正確に、しかも高品質のレベルで行われていることを調べ検証することを精度管理といいます。この中には、個々の技術やその精度に関するもの、全体の管理運営に関するものがあります。本事業における精度管理では、まず病理診断の精度管理を行う予定にしています。例えば、術中迅速診断時のように、同時に複数人で診て付けた合意診断(総意診断)が精度の高いものとして捉え講じる手段がその一つで、今回行う「術中迅速診断の診断返却前精度管理体制」がそれに当たります。その他、ある個人が行った病理診断を後日一定の割合で抽出し、第三者としての病理医が、その人の病理診断や診断書の報告内記載項目、誤字などを調べる“同僚検閲”によって常時注意を喚起する方法があります。いわゆるホーソン効果を狙って質の向上に役立てようとするものです。近い将来、この方策をとる予定にしています。

8-2-4. コンパニオン診断への利用

治療には経験的治療や、病理組織診断などに基づく選択的治療があります。同じがんであっても、ある治療薬が個人によってその薬効や副作用の発生率が異なります。薬効が期待できることを知る手段や副作用を起こさないことをあらかじめ知る手段が、最近開発されてきました。これに基づいてより選択的な治療を行うのが個別化医療、個別化治療です。

免疫組織化学が発達し、いろいろなタンパク分子や遺伝子が組織切片上で確認できるようになりました。現在、これらの分子や遺伝子の存在の有無によって、用いられる治療法が選択される時代を迎えています。このように、がんの病理診断には、通常の病理組織診断の他に、治療選択に直結した組織学的情報が同時に求められるようになったのです。これをコンパニオン診断と言います。多くの場合、その結果は陽性か陰性かを問うばかりでなく、陽性率やグレーディング(悪性度)が必要とされますので、正確を期すためには、多くの細胞で計測する必要があります。病理医による手動計測では時間がかかってしまいますので、計測機器あるいは計測ソフトを利用する方が良いのです。

今回のネットワークでは、個別化医療のためのコンパニオン診断(例えば乳がん細胞のエストロゲンリセプター、プロゲステロンリセプターやHer2の発現、増殖能をみるMIB1インデックスなど)による治療薬選択を行うように計画しています。参加病理施設の一つが陽性細胞の判定や陽性率を検索するソフトを購入すれば、ネットワークに参加している他施設がここに標本や画像を送って判定してもらうことも可能です。現在、その運用方法や使用料などを検討してもらっているところです。

8-3. 診断料設定について

ネットワーク事業を永続的に行っていくには、維持・管理のシステムを確立しておかなければなりません。その一つにネットワークを使用して診断した場合の診断料を設定する必要があります。1年弱にわたって、作業部会および診断者グループで話し合ってきました。今回、保険医療として行うこと、術中迅速診断体制に精度管理の概念を導入することしました。術中迅速診断では、遠隔病理診断は保険診療として認められ、診断料の保険請求が可能です。そこで、術中迅速診断には二人の病理医による診断返却前精度管理制度をとることにしています。診断書の発行を伴うコンサルテーションは有料で、保険診療に基づく診断料を、診断書を発行しない意見の交換にとどまるものに対しては回線使用料のみとしました。保険医療の形となり得ない関係での病理診断に関しては、施設間同士の討議によって決定することになります。

8-4. 運用マニュアルの作成

一年前に運用マニュアル(案)を作成し、現在検討を続けています。システムの骨子については完成していますが、実際の運用法は施設同士の関係や施設内の状況によって変わりますので、その都度ソフトの改良とマニュアルの改訂を行っていくことにしています。

9. 病理検査技師養成プロジェクトならびに病理教育の進捗状況

数少ない病理医が病理医本来の仕事に専念するためには、病理医でなくてもできる業務部分を病理医に代わって正確に遂行してくれる病理検査技師や細胞検査士の存在と協力が必要です。また、適切に業務を行ってもらうためには、十分な教育を行って、理解してもらうことが大切です。例えば、病理医のいない施設で術中迅速診断を行おうとする場合、病理検査技師は、提出された検体から診断を付けるために必要な部分を正確に認識し、的確に切り出しを行い、薄切・染色しきれいな標本を作ってもらうようにしなければなりません。そして、遠隔病理診断の場合には、正しくバーチャルスライド作りを行わねばなりません。これが出来る病理検査技師を育成していかねばなりません。平成23年度には、滋賀県立総合病院病理診断教育支援機構で、病理検査総論、病理組織検査法、細胞診検査法、臓器別切り出しに関するマニュアルを作成し、病理診断教育支援のホームページ(https://www.palana.or.jp/ipath/)へ掲載し、閲覧可能としました。平成24年度には、これを改良し、現在、切り出しの実際をビデオで紹介するプログラムを作成中です。

また、病理検査技師、病理医の教育コースを提供しました。病理検査技師教育コースでは、第一期生が1名受講し、病理総論講義、病理細胞診総論講義がなされ、病理標本作製術、凍結切片作製技術、細胞診標本作製技術、細胞診スクリーニングの実習がマン・ツー・マンで教えられました。病理業務の流れを知るために病理部での実地研修も行い、病理解剖業務にも従事しました。約5か月の研修の後修了証書が授与されました。

その他、病理検査技師育成のための「おもしろ病理学講座総論」講義、細胞診に関するセミナー「第2回びわ湖細胞病理テュートリル」、川崎医科大学医学教育博物館と共催で実際の臓器をみて切り出し部位や病変の意義などを考える「病理技術向上講座外科材料の切り出し法」を行い、病理医や臨床医に対しての勉強会の場を提供してきました。

10. 遠隔病理診断ICTネットワーク形成によってもたらされる効果

遠隔病理診断ネットワークがうまく機能すれば、患者にとっては診断までの精神的ストレスが軽減され、治療早期開始によって治癒率が高くなり、安心して手術を受けることも出来ます。臨床医にとっては、治療方針を早期に決定し、早期に開始することが出来、安全な治療や手術体制を組むことが出来ます。患者の精神的負担は軽減され、安心感を感じるでしょう。病院にとっては、在院日数を短縮し病床利用率を向上できるので病院収入も増えます。患者サービスは向上し、医療の質向上にも繋がります。病理、病理検査技師、細胞診検査士にとっては、サポート体制があることによる安心感が得られますし、病理診断の質の向上や精度管理による安心感が得られ、臨床、ひいては患者へのサービス向上に対して大きな満足感を感じます。検査所にとっては、梱包、搬送、確認などの作業の手間や時間の削減が得られ、経費を削減することが出来ます。検査・診断返却に対する所要時間を短縮でき、臨床へのサービス向上に満足感が得られます。精度管理の向上にも貢献できます。関連する人達の多くに、良い結果や効果をもたらします。

11. 全県型遠隔病理診断ICTネットワーク事業:今後の展望

次年度には、参加診断依頼元施設の数を増やしていくことにしています。その中には我が国の病理検体の多くを取り扱っている衛生検査所を加え、診療所から病院への医療の流れを促進したいと考えています。また、検査所が参加することによって診断依頼先施設としての病理医の数が必然的に増えてきます。さらには、この事業に定年退職した病理医や一時離職している女性病理医にも参加してほしいと考えています。特に定年病理医は臓器単位での専門性を持った人が多いので、その意義は大きい。

このようなネットワークは各県で設立可能です。お互い少ない病理医を利活用することで助け合っていける広域の連携体制を作っていきたいと考えています。

12. 近未来の医療体制における本プロジェクトの位置づけ

本プロジェクトは上述したように、わが国において臨床病理医が著しく不足し、一方で臨床における病理医の重要性がますます増加する状況にあって、この課題をいかに解決するかについてICT利活用が種々の観点から見て極めて有効かつ有用な方策であることを示しました。そして、本プロジェクトは技術的あるいは効率的な側面にとどまらず、わが国が直面する近未来の医療における重要な視点を包含するものです。最後に、本プロジェクトの医療全体における位置づけをまとめてみたいと思います。

12-1. わが国の医療の現状と重要課題

わが国は世界で冠たる長寿国となり、超高齢化のスピードは世界一となっています。その結果、疾病構造は大きく変貌しました。更に、1945年後の急速な出生増加によるいわゆる団塊の世代が今後10年あまりのうちに寿命を迎え始めます。私共はこれを2025年問題として捉え、この時点での医療対策が重要であると考えています(表2,3)。

表2 : 我が国の医療の現状と将来

  • 超高齢化と疾病構造の変化
  • 医療資源(医療施設・設備、医療人材など)の不足
  • 医療経済の逼迫
  • 人々の意識、望む生活像の変化

表3 : 2025年の医療を乗り越える対応策

  • 高齢者に適切な医療(からだとこころにやさしい医療)
  • 医療関連人材(医療情報、医療専門職など)の活用、育成
  • 合理的医療体制(病病診在宅連携)、診断・治療システムの構築(ICT活用など)
  • 治療から予防へ:先進的疾病予防対策の構築
  • 国民の自立と健康生活の創生

医療の視点からまず挙げるべきは「がん」です。がんはわが国において死因の第一位であり、今後もこの状況は変わらず、がん患者さんは増加を続けると予測されます。従って、がん医療は今後その対策を考える上で現在と比べて大きな違いが指摘できます。がん患者さんは増加するが、かなりの割合で治癒が可能となり、今後人々が長寿となるにつれて一人の人が生涯に複数回がんの治療を受けることも稀ではなく、がん医療の需要は益々増加すると考えられます。多くの高齢患者はしばしば血管病(脳梗塞、心筋梗塞)や認知症を併せ持っています。このような状況が2025年に訪れることを考え、その時必要とされる医療を想定した医療施設、医療システム、そして人材育成の三要素を含めた医療体制の構築が必要です。本プロジェクトはいずれの要素とも深くかかわっているのです。

12-2. 近未来型医療における本プロジェクトの意義

ここで具体的な課題、特に今後とも疾病の中で重要な課題の1つであるがん医療を考えてみましょう。診断に不可欠な病理医が著しく不足し個々の病院レベルで対策を立てることは困難な状況であることは今まで述べた通りです。さらに診断の迅速化や精度向上が求められますので、現在推進中のICTを活用し広域を対象とした遠隔病理診断システムの構築は必須で、施設、人材、経費の点からも合理的であり、かつ医療関連職(医療専門職や情報専門職等)の人材育成を含めた事業に発展させることが可能と考えています。

本プロジェクトを代表的な好例として、将来の医療を企画立案していけば、2025年の大きな壁は充分に乗り越えられると考え、種々のプロジェクトを始動させているところです。

一般社団法人PaLaNA Initiative 代表理事 真鍋俊明

一般社団法人PaLaNA Initiative

【代表理事】
真鍋 俊明(まなべ としあき)

【専門】
診断病理学、皮膚病理学、肺病理学

【略歴】
1971年山口大学医学部卒業後、1971年11月からアメリカ合衆国ハワイ州クアキニ病院にてインターン・レジデント、1973年7月からアメリカ合衆国ニューヨーク州アルバート・アインスタイン医科大学でレジデント(病理)、1976年7月からアメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク医科大学病理学講師lecturer)、assistant professorを経て帰国。1977年11月から川崎医科大学病理学講師、1983年同助教授、1994年教授。2002年4月から2010年3月まで京都大学大学院医学研究科基礎病態学教授 兼 京都大学医学部附属病院病理部 教授を勤めた。2010年4月から京都大学名誉教授、および現職、滋賀県立総合病院病理診断科・科長、同研究所・所長を務めている。2015年1月研究所所長を辞し、滋賀県立成人病センター総長に就任。2017年4月成人病センター総長を辞し、研究所顧問・遠隔病理診断ネットワークセンター長に就任。2019年1月一般社団法人PaLaNA Initiative 代表理事に就任

 

【抱負】
今まで、肺胞II型上皮細胞内層板小体の微細構造、肺胞における気液界面の構造の解明、肺線維症の成り立ちなどの基礎的研究を行うとともに、病理組織診断へのアプローチの仕方を組織パターンの認識、それによる疾患の分類に求め、皮膚病理学、肺病理学を体系づけてきた。教育面では、病理学の学部学生教育、卒後教育の改革に努めるとともに、病理検査室のあり方、病理検体の目的外使用に関する倫理と手続きのあり方、生涯教育の普及に努めた。6年間開催してきた倉敷診断病理学セミナーを引き継いで、過去7年間京都病理診断学セミナーを開催・提供した。滋賀県立総合病院でも京都病理セミナーを続けるとともにびわ湖細胞病理テュートリアルなどいろいろなセミナーや勉強会を開催している。
現在、滋賀県を中心とした全県型および広域連携の病理診断支援ネットワーク作りに専念している。我が国の病理医数は少なく、全国で2085名、多くが一人病理医として働いている。滋賀県の病理医数は24名で、県内60病院中9病院にいるに過ぎず、湖南に密集している。琵琶湖が県の面積の多くを占め、交通網を遮断し、物流を阻害しているとも言える。これら障碍を乗り越え、精度の高い診断を早く提供し、県内医療の向上に貢献するシステム作りが求められていると言える。最近、遠隔病理診断なる技術が発達してきた。顕微鏡で写真撮影後電子化しコンピュータ上で組み合わせ、あたかもいままでの顕微鏡のように操作し観察することのできる“バーチャル(ないしデジタル)スライド”を作成することができる。こうすれば、距離や時間を超え、瞬時に病理診断することもできるため、いつでもどこでも他施設の病理医によっても診断され得る。病理診断支援用サーバーと運用ソフトを確保し、回線網を設置した。これで、各病院や診療所、検査センターと病理医間を接続する。これにより、病理診断から治療にまでかかる所要時間を半減することができると考えている。

 

【臨床検査技師】
黒住 眞史(くろずみ まふみ)

【専門】
病理学:細胞検査士(JSC / IAC)


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