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研究所報2002

化学発癌機序に関する研究―ラットDMBA白血病での研究― 杉山武敏・逢坂光彦・小網健市・入野 保

研究所プロジェクト

 研究所発足後3年であるが、平成7年から研究所の前室としての遺伝子実験室が発足していたので、その時期を含めて<プロジェクト1>癌における遺伝子異常の解明について記す。(6年継続,平成7-13,1995-2001、杉山,逢坂)本研究では環境発癌物質などの化学発癌物質がどのように癌を引き起こすかという重要な課題を動物を用いて研究した。我々は独自に開発したラットを用いた実験白血病の系(Huggins,Sugiyama,1965)を持っているので、一貫してこの系で発癌研究を進めた。この研究に関する総説を2002年に書き上げたのでこれをもとに解説をする。

背景

 実験白血病の1938年にJacob Firth、Morton、Miderによって3,4-benzopyrene(3,4-BP) や3-methylcholanthrene (3-MC) をマウスに投与することによって開始された。ラットではShayらによる3-MC(1951)白血病、Hartmanらによる2-acetylaminofluorene(2-AAF)(1959)白血病、Prigozhinaによる7,12-dimethylbenz[a]anthracene(DMBA)白血病(1962)があリ、いずれも発症率は50%止りであった。HugginsとSugiyamaが1964年にDMBA静注法、OdasimaがN-nitroso-N-buthylurea(NBU)経口投与法で100%の発症を確立した。

誘発

我々の白血病では、強力な芳香族炭化水素発癌剤DMBAを油性乳剤にして10-14日間隔で数回の静脈内注射をすることでLong-Evans(LE)系ラットに高率に白血病を誘発した。このさい、DMBA投与はこの間隔で投与できる最大投与量を与える。乳剤にする機械は入手しにくいために、経口投与をすることも出来る。なお、7,8,12-trimethylbenz(a)anthracene (TMBA)でも同じような白血病が誘発できる。

発症

白血病が進むと肝臓が腫大し、貧血が進み、痩せてくるので、進行期の発見は容易である。体重の低下である程度発症を早期をとらえることが出来る。体重の増加が停止したら、血液像や肝臓の生検で確認する。なお、発症したラットの血液を0.2ml、新生仔に移植すると9割は生着するので、白血病細胞を移植系や培養系に移すことが出来る。

特異的染色体異常

 この白血病の31%に2番染色体のトリソミー(+2)が見られる。TMBA白血病では雌雄とも16%程度とやや低い。また、DMBA、TMBAとも数%は2番染色体の部分過剰Long#2(2q+)を示す。2q+の染色体構造の分析から、#2上の重複が必要な遺伝子部位は2q-26-2q34と断定された。染色体異常にはその他の異常も見られたが、恒常性、再現性が注目されたのはこの2つであった。

白血病の病理学

 1,000例ほど誘発したが、うち350例の白血病の86%は白血病細胞が好んで肝静脈胴で増殖する肝臓の腫大する肝型であった。血液像は,赤芽球性であった。その他、リンパ性、胸腺型、骨髄型が見られた。

細胞株化

 幾つかの細胞株を確立できた。まず、Prigozhinaが1962年に最初の培養株を確立した。Klugeらは1976年に正常核型のD株、+2を持つC株という2つの移植系からD1-10、C1-10などの多くの培養株を確立した。このうちD5株では白血病細胞のDMSOによるベンチジン染色での赤芽球誘導とHb合成の誘発が証明され、このことから本白血病は赤芽球系であることが確認された。その他、Maeda、Kohらによっても多くの細胞株が作られ、染色体異常の二次的な変化が追加される過程が観察された。また、培養純化された細胞の遺伝子変異の研究に使用された。中でも、K3D、K4D、D5A1などはabl、Hras、rDNA遺伝子を巻き込む興味のある染色体異常を認めた。

特異的なNras変異

 これまで、+2や2q+の意義は不明であったが、1994年に至りオランダで、先にあげた2番染色体の重複部位2q-26-2q34に含まれる2q34に我々の早くからの予想通りNras遺伝子があることが示され、またNrasの全塩基配列が決定された。この配列を用いて、Osakaらは1995年にMASA法を使用して、培養白血病細胞のNrasの61番のコドンの2番塩基に特異的な変異があることを証明した。ついで、同じ変異が核型の如何を問わず、新たに誘発した9割の原発白血病にもあることが証明され、この異常が本白血病の特異的遺伝子変異であることが判明した。

N-ras変異は48時間で出来る

 N-ras変異がDMBAを投与した未発症(前白血病期)ラットの骨髄にも見られることから、DMBA投与後のどの時期に誘発されるかを見ると、DMBA投与後、僅かに48時間ですでにNras変異が発生していることが明らかになった。48時間というと、1細胞周期を経る時間である。誘発Nrasの頻度は100万骨髄細胞に1-10個の頻度であった。

ras変異と発癌剤

 これまでの研究で、ニトロソ化合物のras変異は12番コドンに、DMBAの変異はrasの61番コドンに生じることが示されていたが、今回の結果はこれを確認する結果となった。

ras変異と腫瘍

 人や動物の腫瘍でras変異が見られることが多いが、多くは、Hras、Krasに起きる。しかし、ヒト白血病や前白血病とされるMDSではNras変異が20-40%程度に報告されている。なぜ、Nras変異が白血病に見られるか、その理由は現在不明であるが、おそらく、血液細胞の増殖や分化でNras遺伝子が一定の役割を担うものと考えられる。その意味で、本白血病はヒト白血病のNras変異のモデルになると考えられる。

ras変異と細胞の情報伝達異常

 ras変異が腫瘍に見られる例が多いが、我々の研究でNras変異が、発癌剤投与後の癌の最初の引き金になっている可能性が明らかになった。この変異が細胞の情報伝達機構にどのような異常をもたらせて癌に至るかは興味のある問題であるがなお解決されていない。我々の白血病の系は遺伝子、染色体、異常、細胞の扱いの解析に有利で、ヒト癌でのras異常の意義を解明する好材料になると考えられる。

Nras変異とLOH

 正常核型白血病の2例がNrasの野生型アリルを喪失していたことから、多くの例で調べると、正常型の細胞は変異Nrasのみを持つことが多く、+2例は野生型のNrasを保持していることが多かった。以上から、正常核型白血病では野生型アリルを失い、+2白血病では野生型アリルを維持しながら変異Nrasの方が重複して、何れの場合も変異Nras優位になっていると推定された。

DMBA発癌の経過

 DMBAを脈波投与するたびに末梢白血球数が低下する。DMBAは骨髄の再生の時期を効率よくアタックする。その度に染色体が切れ(CA)、細胞が壊れる。Nras変異は48時間の早期にすでに現れる。続いて,染色体の転座や異数(トリソミー)が見られる。LOHが起きるとともに白血病の発症にいたる。白血病の発生は最後のDMBA投与の2-3週後から始まる。

DMBAによる染色体切断CA

 DMBAによる骨髄細胞の染色体切断(CA)は6-72時間の出来事であるが、詳細に研究した。50mg/kg体重を投与すると最高時には分裂細胞の60%にいたる。興味のあることに骨髄を採血やなどでエリトロポイエチン(EP)投与などで、増殖刺激下に置くと切断が著明に増え、多血で増殖刺激を抑えると切断が起こらない。また、切断の染色体上の分布からも、この効果は部位特異的である。この増殖刺激の効果は白血病の発症率にも反映される。つまり、Nrasを含む特定の遺伝子や染色体部位が増殖刺激で、切れ易くなる。このことから、我々は従来、常識となっていたinitiation+promotionの発癌過程に発癌剤の作用前の遺伝子発現を加えて、gene induction+initiation+promotionという新しい視点を提唱した。

DMBAの作用のブロックと作用機序

 DMBA発癌がアゾ色素のSudanIIIの前投与で抑制されることがわかっていたが、我々はDMBAによる染色体切断の頻度がSudanIII前投与で抑制されることを示した。この研究で、SudanIIIがP450系を活性化するとともに、glutathione-s-transferase(GST)を活性化し、glutathione(GSH)をDMBAのmethyl基に結合させて解毒して、CAに影響することが明らかになった。従来から、3,4-BPやDMBAが多環系の炭素のepoxide形成で活性化されDNAの付加体adductを形成するとされていたが、我々の成果はこれを否定して、methy基を介してDNAの付加体adductを形成し発癌に関与することを示したもので、わが国の渡部の説を支持するものである。

総括

 以上から、本白血病は1964年に確立されてから37年になるが、特異的遺伝子異常、特異的染色体異常を持ち、赤芽球分化を呈し、細胞の移植や培養細胞株の確立、遺伝子解析や染色体解析も容易で、実験材料として優れた面をもつこと全貌が明らかになった。今日、高率のras変異を持つ実験腫瘍としては、BalmainらのマウスのDMBA皮膚癌、BarbacidのMNU誘発ラット乳癌が知られるが、ここにDMBA白血病のNras変異が3つ目の系として追加されたわけで、今後、癌における遺伝子異常の解析に、ヒト白血病のモデルとして国際的に広く活用されることを祈ってまとめとしたい。以上から、この成果を総説としてのほかに、mo-nograph単行本として残すことを計画している。

参考文献

1) Sugiyama T, Osaka M, KoamiK, Maeda S, Ueda N, 7,12-DMBA-induced rat leukemia: a review with insights into future research, Leukem. Res. (in press).
2) Sugiyama T. Experimental Leukmeia,Monograph from Karger, Basel, Switzerland (In preparation).
3) Kawakami Y, Sugiyama T, Takebe H, et al, Influence of electro-magnetic field on induction of 7,12-dimethylbenz[a]- anthracene-induced rat leukemia. (In preparation)
4) Osaka, Tsuruyama, Koami, Matsuo, Sugiyama, Ras and p53 genes are infrequently involved in N-nitroso-N-butylurea(NBU)-induced rat leukemia Cancer Letters.124, 199-204, 1998.
5) Osaka M, Matsuo S, Koh T, Sugiyama T, Loss of Heterozygosity at the N-ras Locus in 7,12-dimethylbenz[a]anthracene-induced Rat Leukemia. Mol.Carcinog.18, 206-212,1997.
6) Osaka M, Koami K, Sugiyama T, WT1 contributes to leukemogenesis: expression patterns in 7,12-dimethylbenz[a]anthracene (DMBA)-induced leukemia Int. J, Cancer: 72, 696-699, 1997.
7) Osaka M, Matsuo S, Koh T, SugiyamaT, Specific N-ras Mutation in Bone Marrow within 48H of 7,12-Dimethylbenz[a]anthracene Treatment in Huggins-Sugiyama Rat Leukemogenesis Mol. Carcinog. 16, 126-131, 1996.
8) Osaka M, Matsuo S, Koh, Liang P, Kinoshita, Maeda S, Sugiyama T, N-ras mutation in 7,12-dimethylbenz[a]anthracene (DMBA)-induced erythroleukemia in Long-Evans rats. Cancer Letters. 91, 25-31, 1995.


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