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溝の深さが往来の証!江戸時代の一大土木事業「車石」~京都と大津を結び今も東海道に残る~

 滋賀県の県所在地・大津。JR大津駅前には、表面に溝が刻まれた石が並んでいる。

 この石は「車石」と呼ばれるもので、江戸時代に東海道などの難所で牛車の通行をスムーズにするため、土道に2列に施設された石材。

 京都と大津の間には牛車のための専用道(車道)が街道より一段低く設置されていましたが、文化元年(1804年)から翌年にかけて牛車の車輪が通る部分に石を敷く(車石)工事が行われました。石の中央部分の溝は車輪の通行によって削られたとされるそうです!

大津駅前
大津駅前に残る車石

平安京の東の玄関口だった「大津」

■「大津」の由来

 大津という地名の由来は、琵琶湖にあった「大きな港(津)」から来ている。平安遷都により、北国や東国からの物資が琵琶湖の水運を通じて大津に集まり、そこから陸路で京都へと運ばれていきました。まさに「平安京の東の玄関口」としての役割を担っていた。

 江戸時代には「大津百町」と呼ばれるほどの賑わいを見せ、湖上交通の拠点として、また東海道の宿場町として日本の経済を支えた。

京都と大津を繋いだ江戸時代土木工事 ・石に残る溝は頻繁な往来の証

■難所を克服する秘訣「車石」

 大津から京都へ荷物を運ぶには、険しい「逢坂越(おうさかごえ)」を越えなければならない。当時の道は土道だったため、雨が降れば牛車が思うように通行できなかった。そこで牛車の輸送をスムーズにするため、文化元年(1804年)から翌年にかけて、大津八町から京都三条の間に石を敷き詰める大工事が行われた。

 これが「車石」である。牛車の車輪が通る部分にだけ石を敷くことで、ぬかるみにはまるのを防ぎ、重い荷物を積んだ車を効率よく動かすことが可能になった。

 展示されている石に見られる深い溝は、長年にわたって数え切れないほどの牛車が通り抜けた「努力の跡」そのものです。

 東海道沿いには今なお各地に「車石」が残され、郷土の記憶を伝えています。

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