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藤堂高虎 × 滋賀県

豊臣秀長の下で才能開花!

高虎は、浅井長政や織田信澄など多くの主君を渡り歩いてきた人物です。

そんな高虎が、秀長の下でその才能を存分に発揮し、秀長の死後も豊臣家(秀吉)に忠誠を誓い続けたのは、秀長の人柄や器量の大きさに感銘を受けていたからこそと考えられます。

滋賀とのゆかり

出生地

近江国犬上郡藤堂村(現在の滋賀県犬上郡甲良町)の出身。

高虎公園
高虎公園「藤堂高虎像」

浅井氏家臣時代

織田信長に滅ぼされる前の浅井長政に仕えていた時期があります。その後、信長の甥である織田信澄に仕え、信澄の居城でもあった安土城(滋賀県近江八幡市)にも出入りしていたと考えられます。

人物像

築城の名手

日本各地に多くの城を築いたことで知られ、その堅牢な設計は「高虎流築城術」として後世に伝えられました。

「七度主君を変え」

浅井、織田、豊臣、そして徳川と、時代の変遷に合わせて主君を変えながらも、常に重用され続けた稀有な人物。これは、彼の能力の高さと、時勢を見極める洞察力の証です。

実務家で合理主義者

感情に流されず、合理的な判断で任務を遂行しました。

“名補佐役”たる所以

豊臣秀長の実務を支える

豊臣秀長(戦国ディスキャバリー滋賀・びわこ)

豊臣秀吉の弟である秀長に仕えていた時期は、秀長の築城奉行を務め、和歌山城や郡山城の築城を指揮しました。秀長が担当する四国・九州征伐などの軍事行動にも従軍し、その成功を支えました。

徳川幕府の築城技術者

膳所城跡公園((公社)びわこビジターズビューロー)

徳川家康に仕えてからは、江戸城や丹波亀山城など、徳川の天下を象徴する重要な城郭の築城を任されました。

膳所城は、徳川家康が関ヶ原の合戦の後、藤堂高虎に最初に造らせた城です。彼の築城技術は、徳川幕府の安定に不可欠でした。

滋賀以外でも大活躍!

伊予国今治

関ヶ原の戦いでの戦功により伊予半国20万石を領した藤堂高虎は、瀬戸内海に面した海岸に「今治城」を築きました。

海水が引かれた広大な堀や、城内の港として国内最大級の船入を備えた日本屈指の海城でした。

伊賀・伊勢国

慶長13年(1608)8月、藤堂高虎は伊予国今治から伊賀・伊勢国へ移ってきました。

高虎が入封した当時の津の町は、関ケ原の戦の傷痕が残っており、500軒ほどの粗末な家が建っているだけでした。高虎は、その前の城主であった富田氏の居城を中心に本格的な都市計画を実施しました。

城を中心に武士を住まわせ、町人たちを呼び集め、城下町をつくりあげていきました。このため、津の町は富田氏の頃に比べて三倍にもなったといわれています。

藤堂高虎の最後

寛永7年(1630年)10月5日、高虎は江戸の藤堂藩邸にてその生涯を閉じました。

数多く自身の主君を変えながらも、「築城の名手」といわれる所以の卓越した築城技術で日本各地に城を築き、その名を後世にとどろかせました。

 

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【石田三成と藤堂高虎の“ゆかりの地”へ。 大河ドラマ「豊臣兄弟 !」は滋賀も舞台に!】

2026年の大河ドラマ「豊臣兄弟 ! 」(NHK)。天下人・豊臣秀吉の右腕として知られる弟・秀長を主人公にした新たな大河が幕を開けます。

今回のドラマでは、この兄弟を支えた“キーパーソン”たちにも注目が。それが、石田三成と藤堂高虎。どちらも滋賀県ゆかりの武将であり、それぞれの信念と知略で豊臣政権を陰から支えました。

その2人を演じる俳優、松本怜生さん(石田三成 役)と佳久創さん(藤堂高虎 役)が、役作りのために実際に滋賀を訪問した様子をお届けしています!

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【藤堂高虎×「甲良町(滋賀県)」】しらしがテレビ12月16日放送

「しらしがテレビ」(令和7年12月16日放送分)では、藤堂高虎と甲良町(滋賀県)の関係についてご紹介しています!

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