滋賀県には約1300の城跡があり、安土城や彦根城といった巨大城郭から、小規模な城館や砦まで、バラエティに富んでいます。また、武士以外にも僧侶や百姓など、様々な人々が城を築いており、城は、滋賀の歴史や文化の特徴を色濃く反映した、滋賀ならではの歴史・文化遺産です。滋賀の城は、滋賀の魅力を伝える地域の宝として全国の人々から関心を寄せられており、多種多様な滋賀の城の魅力を広く発信していくことが求められています。
さて、近江の戦国時代は、織田信長の近江進攻によって新たな段階を迎えます。江北の浅井氏が信長の妹と婚姻し、友好関係を結んだのに対し、江南の六角氏は信長と敵対し、居城観音寺城を追われます。こうして信長は近江を掌握しましたが、元亀元年(1570)、浅井氏が反旗を翻します。これをきっかけに、近江の反信長勢力と信長とが戦いを繰り広げる元亀争乱が始まります。浅井氏との戦いを軸に、比叡山延暦寺や一向一揆など、様々な勢力との戦いは、天正元年(1573)の浅井氏滅亡まで約3年に及びました。元亀争乱を経て近江を掌握した信長は、その後、天下統一に向けて戦いを繰り広げていくことになります。
朽木は、若狭と京を結ぶ若狭街道沿いに位置し、戦国時代には将軍足利義晴や足利義輝が京を追われて滞在した場所として知られています。元亀元年、越前国境まで攻め込んだ信長は、浅井長政の離反を聞き、急遽若狭街道を取って返して京へ戻ります。その時に、信長の帰還を助けたのが朽木の土豪朽木元網です。現地には、足利将軍が滞在した屋敷跡や、信長が京へ戻る途中に休憩したされる跡地が残っています。
今回の講座では、本県文化財専門職員の案内で朽木に残る戦国時代の痕跡をたどります。