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石山寺蓮如堂

石山寺蓮如堂
  • 名称 石山寺蓮如堂【いしやまでられんにょどう】
  • 員数 1棟
  • 構造形式 懸造、桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、妻入、桟瓦葺附板札1枚瓦葺替之事文化八年辛未六月中旬の記がある
  • 所有者 石山寺
  • 所有者の住所 大津市石山寺一丁目1-1
  • 所在地 大津市石山寺一丁目
  • 時代 慶長7年(1602)
  • 説明

蓮如堂は、本堂の東側にあり、硅灰石の崖にせり出して建っている。当初は三十八所権現社の拝殿として建築されたもので、明治以降は蓮如上人6歳の御影や遺品を祀る堂として使用されている。
建築年代は、東妻破風板(はふいた)に慶長6年(1601)の墨書があり、寺蔵文書に慶長7年修造の記述があることから慶長7年(1602)に建立されたことがわかる。
建物は桁行(けたゆき)五間、梁間(はりま)四間の懸造(かけづくり)で、屋根は入母屋造(いりもやづくり)、桟瓦葺(さんがわらぶき)、妻入で東面して建っている。平面は、正面一間通りは建具を立てず吹き放しで、本殿側の一間通りを広縁とし、間口三間、奥行き四間を建具等で仕切り、室としている。
蓮如堂は、舟肘木(ふなひじき)の形状や垂木(たるき)の反り増し、柱・舟肘木・垂木・小舞(こまい)の大きな面取りなどに慶長期の技法がよく表われている。建物全体に建立当初材がよく残り、極めて保存状態が良好で、すべて良質な材料で造られた建物全体に質の高い建築である。
寺蔵文書から淀殿による慶長期の伽藍復興の際に、三十八所権現社本殿と同時期に建立された主要な建物の一つであることがわかり、また、文書からも拝殿として神事に使用されていたことが明らかである。一方仏事にも使用されていたこともわかるなど非常にまれな建物である。懸造で妻を正面入り口とし、その突きあたりの妻面を壁とし閉鎖的に扱い、さらに本殿側の一間通りを広縁とする礼拝空間を構成するなど、独特の平面構成を持つ建築として、数少ない寺院における鎮守拝殿の一類型として、建築史上からも極めて貴重である。