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更新日:2026年9月15日
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~司馬遼太郎が愛した滋賀・近江~ 豊臣ゆかりの地をめぐる
滋賀・近江を愛した作家の司馬遼太郎(公式の表記では「遼」は二点しんにょうです)。
今年で没後30年となるが、生前は度々滋賀の地を訪れたという。なぜ滋賀を訪れたのか、どこに魅かれたのか、それを振り返りながら滋賀の魅力を改めて見つめなおそう。
司馬遼太郎が魅了された滋賀・近江の地
第24巻「近江散歩」の冒頭の文章「私はどうにも近江が好きである」は有名だ。
司馬氏は、出身や育った地でもないこの滋賀県を、『街道をゆく』のスタート地点とした。約25年にわたって国内外を歩いて書かれた『街道をゆく』の全43巻のうち、6つもの巻に滋賀が登場する。
歴史の舞台であり続け、多くの人が往来する滋賀の地には、司馬氏が強い関心を寄せた渡来人、武将、忍者たちの跡や、行く末を心配された琵琶湖がある。
——そして、この滋賀の地は、司馬氏の名作『豊臣家の人々』に登場する豊臣秀吉や秀長、淀殿らのゆかりの地でもある。
激動の運命が始まった「小谷城跡」
秀吉がはじめて城持ち大名となったきっかけは姉川の戦いと小谷城の戦い。どちらの戦でも活躍し、とくに小谷城では奇襲をかけて制圧した。
また、この戦で自害した小谷城主・浅井長政の娘である茶々(後の淀殿)は、その後秀吉の妻となり、激動の人生を過ごすこととなる。
現在でも、その激戦を彷彿させるような城の遺構が多く残っており、見応えのある城跡となっている。さらに登っていくと、北近江の穏やかな風景が広がり、琵琶湖に竹生島を望む絶景ポイントへと辿り着く。山頂でなびく心地よい風、景色の豊かさは、この地で戦国時代を駆け抜けた人々が感じたものと、今も変わらない滋賀の情緒を、五感のすべてで感じさせる。

琵琶湖を一望、戦国期の重みを今に伝える「長浜城」
姉川の戦いと小谷城の戦いで戦功を挙げた秀吉は、織田信長から拝領した土地のうち、琵琶湖の岸辺にある小さな漁村「今浜」を、「長浜」という名に改めた。
秀吉が初めて自分の居城を築き、城主として過ごした長浜城。1983年、その旧跡に天守を模した長浜城歴史博物館が建てられた。その2、3階にある展示室では、秀吉と長浜との関わりをメインテーマに長浜とゆかりの深い人物達を紹介している。また、期間ごとに特別展や企画展が開催されている。5階の展望台からは、長浜の街並みと琵琶湖を一望でき、戦国時代における長浜の重みが伝わってくる。

秀吉が築いた街、歴史情緒のある「黒壁スクエア」

長浜の城下町の面影を今に伝えるのが、滋賀を観光する上では外せない名所「黒壁スクエア」である。江戸~明治時代の建物を活用した古き情緒ある街並みの「黒壁スクエア」では、ガラスショップでのギャラリーや体験教室、カフェやレストランでの食べ歩きが楽しめる。その中でも明治時代から続く書店である「長浜 文泉堂」は温かみ・風情ある建物。カフェも併設されており、秀吉にちなんだグルメ「秀吉の黒カレー」が食べられる。
ゆかりの地・長浜で楽しむ朗読会が開催!
滋賀・近江を愛した司馬氏の名作『豊臣家の人々』の朗読会が、令和8年10月10日(土)に、豊臣家ゆかりの地である長浜で開催されます。
豊臣秀吉・秀長とその家族や家臣たちの人間模様や葛藤、激動の時代を繊細に描いた物語の朗読や、上村洋行氏(司馬遼太郎記念館 館長)による特別講演「司馬遼太郎 歴史小説の視点」を、ぜひお楽しみください。
詳細、応募フォームは特設サイトまで。
