滋賀県平和祈念館は、
県民の戦争体験を語り継ぎ、戦争の悲惨さや平和の尊さを学び、
平和を願う心を育むための拠点となる施設です。
いまから60年以上前、日本は戦争をしていました。
その戦争で亡くなった人は、滋賀県だけで3万2千人以上にのぼります。十分な食べものやクスリがなかったために亡くなった赤ちゃんや、電車に乗っていて戦闘機がうった弾にあたって死んだ人はふくまずにこれだけの人数になるのです。 この本は、戦争中に私たちの地域で起きたいろいろなできごとをまとめたものです。もちろんこの本に書いていない、たくさんのできごとがありました。もしみなさんが、いま自分が暮らす地域と戦争とのかかわりについて興味がでてきたら、この本を参考にして、ぜひ調べてみてください。
■発行:平成15年3月
■ページ数:25ページ(B5版)
弟のただおさんの名前は正しくは『忠雄』です。
昭和20年6月、滋賀海軍航空隊(滋賀空)の隊員たちが比叡山の山頂で工事を始めた。山を切り開いて飛行機の発射台をつくる工事だった。発射されるのは、「桜花」と名付けられていた、敵の艦隊に体当たりをするための特攻機で、新たに編成された特攻隊が飛び立つことになっていた。「桜花」は体当たりをするために飛んでいく飛行機だから、着陸はできなかったんだ。そんな飛行機に乗る人は、どんな気持ちだったんだろうね。
「桜花」を運びやすいように分解し、ケーブルカーで山頂まで運んで、そこで組み立てた。カタパルトという発射台の完成予定は8月15日だった。でも、その日、日本は終戦を迎えたので、比叡山から特攻機が発射されることはなかったんだ。
大津海軍航空隊と滋賀海軍航空隊の位置関係が逆になっています。正しくは、滋賀海軍航空隊が北に位置します。
6月26日
彦根市の福満国民学校の昭和20年当時の名称は「城南国民学校」です。10人が亡くなり、10人がケガをしました。(彦根市史による)
7月25日
彦根市内を通過中の近江鉄道の電車への機銃掃射があり、当日の彦根市内の空襲で、6人が亡くなり、35人がケガをしました。
7月30日
守山駅の列車への機銃掃射で11人が亡くなり、24人がケガをしました。
(守山市史による)
このほかにも、30日に近江八幡市内で列車への機銃掃射に巻き込まれて1人が亡くなっています。
入館料 | 無料 |
---|---|
開館時間 | 9時30分~17時(入館は、16時30分まで) |
休館日 | 月曜日・火曜日(祝日にあたる場合は開館)・年末年始・※その他業務の都合により休館する場合があります。 |
滋賀県東近江市下中野町431番地
Googleマップ