琵琶湖周辺の水田は、琵琶湖の固有種であるニゴロブナなどの湖魚に絶好の繁殖環境を提供してきました。こうした水田やヨシ帯などに向かってくる湖魚の生態を巧みに利用してきた「エリ漁」は、資源にやさしい伝統的な「待ちの漁法」の代表格です。また、河川に遡上する湖魚の産卵環境の保全に寄与する、多様な主体による森林保全の営みや琵琶湖の環境に配慮した農業など、森、川、水田、湖のつながりは世界的に貴重なものです。このような琵琶湖と共生する農林水産業(琵琶湖システム)は、千年以上に渡って受け継がれてきたもので、2022年に、世界農業遺産としてFAO(国連食糧農業機関)に認定されました。
リンク:世界農業遺産・日本農業遺産【農林水産省HP】
琵琶湖は、山々に取り囲まれる近江盆地の中心にあります。面積は670平方キロメートルで滋賀県の約6分の1に相当します。盆地内で降った雨、人々が使った水は、400本以上の河川を通じて全て琵琶湖へ流入する一方、流出河川は1本のみです。
琵琶湖は、地殻変動によってできた世界有数の古代湖で、400万年を超える歴史を持ち、独自の進化を遂げた固有種を含む様々な動植物の生息・生育の場となっています。
在来魚に限っても、温水域を好むコイ科魚類から冷水域を好むサケ科魚類まで、その種類は約45種に及び、このうち固有種は16種にのぼります。こうした湖魚を含め、琵琶湖とその周辺では、約2,400種(亜種または分類群を含む。)の生物が報告されています。
琵琶湖周辺には、二ゴロブナなどの湖魚が、産卵のために琵琶湖から遡上する水田があります。こうした水田は「魚のゆりかご水田」と呼ばれ、卵から孵化した稚魚に安全で安心な成育環境を提供してきています。
こうした湖辺の水田やヨシ帯に向かう湖魚の生態、琵琶湖の水流などを巧みに利用しながら発展し、人々に湖の幸をもたらしてきているのが「エリ漁」です。「エリ漁」は、伝統的な「待ちの漁法」の代表格で、水産資源の保全に配慮する社会的な仕組みとともに、現代に受け継がれてきています。
また、多様な主体による水源林の保全や、琵琶湖の環境に配慮した農業など、水質や生態系を守る人々の取組、森・水田・湖のつながりは、世界的に貴重なものです。
伝統的な知識を受け継ぐ、こうした「琵琶湖と共生する農林水産業」は、千年以上の歴史を有するもので、「森・里・湖に育まれる漁業と農業が織りなす『琵琶湖システム』」として、2019年2月に「日本農業遺産」に認定され、2022年に、「世界農業遺産」としてFAO(国連食糧農業機関)に認定されました。
※「世界農業遺産(Globally Important Agricultural Heritage Systems)」は、農業に加え、林業や水産業も含む制度として、国連FAOが創設したものです。伝統的知識・技術の活用や、持続可能性が評価の対象となります。
琵琶湖システムの起源は、弥生時代(約2千年前)に遡ります。この時代、琵琶湖辺でも水田開発が行われました。これにより、ニゴロブナ等の湖魚は、雨季の水位上昇を利用し、それまで産卵していたヨシ帯を通り抜け、水路を伝って水田まで遡上し、そこで産卵するようになりました。
それ以来、琵琶湖に比べて温かく、エサが豊富な水田は、稚魚が成長して琵琶湖に泳ぎ出していくまでの間、「ゆりかご」のように安全で安心な環境を提供しています。
水田に向かう湖魚を、農作業の傍らで捕獲するため、人々は、待ち受け型の漁具を考案し、工夫して用いるようになりました(オカズトリと呼ばれています。)。
様々な漁法が試される中、より効果的に漁獲できたのがエリ漁です。エリは、もともとヨシ帯付近に多く設置されていましたが、湖魚に対する需要の増加に伴い、沖合に向かって伸び、大型化・複雑化しました。
こうした中、江戸時代には、エリの増設が制限され、また、エリを村落で共同管理する体制が形作られるなど、水産資源の保全につながる社会的な仕組み が作られてきました。
その後、明治時代には、琵琶湖の漁業について、琵琶湖全体で、統一的な規定が整備され、現代では、科学的な調査結果を基に、漁業者が行政と一緒に、水産資源の保全管理に取り組んでいます。
明治時代中期(1890年頃)のエリ漁の絵図(近江水産図譜)(写真提供 滋賀県立琵琶湖博物館)
平安中期(10世紀頃)の歌人 曾根好忠 の歌「ささき津に 簀がきさ ほせり 春ごとにえりさす民の しわざならしも」(早春の天気の良い日に、漁民が湖辺でエリの簀を干す情景が詠まれている。)
エリ漁の免許に関する1903年(明治36年)の申請書(網エリと簀エリの併設型。稚魚の保護のため、網目や簀目のサイズも記載されています。)
一方、琵琶湖を取り巻く水源の山林では、江戸時代から明治時代にかけて荒廃が進んでいました。保水力の低い山の地質に、河川の流路延長の短さが重なり、農漁村に甚大な被害をもたらす河川の氾濫や琵琶湖辺一帯の浸水に加え、河川の渇水も頻発していました。
こうしたことから、明治時代以降、地域住民も参画しながら山林緑化や水源林の保全が進められました。これは河川の水流の安定化につながるもので、琵琶湖から河川に遡上して産卵する湖魚(ビワマスやアユ等)の繁殖環境の保全にもつながっています。
1970年代の高度経済成長期、琵琶湖では淡水赤潮の発生が確認され、富栄養化問題がクローズアップされました。これに対し、リンを含む合成洗剤に替えて無リン石けんの使用を推進する先駆的な市民運動が展開され、1979年に琵琶湖の富栄養化防止条例が制定されました。
この条例に基づき、琵琶湖を取り巻く農地でも、肥料の節減や農業排水対策などが進められました。水を大切にし、下流に配慮する伝統的な農村の文化が、こうした先駆的な取組の後押しとなり、「環境こだわり農産物」の認証制度の創設(2001年)や、「環境こだわり農業推進条例」の制定(2003年)にもつながってきています。
さらに、こうした取組は、地域の多様な主体による活動への発展を経て、「琵琶湖の保全及び再生に関する法律」として法制化(2015年)されました。
この法律は、水産資源の適切な管理や漁業の振興、農業等に由来する水質汚濁の防止、森林の整備や保全、さらには多様な主体の協働の促進などを求めており、琵琶湖システムの継承にも大きく寄与するものとなっています。