戦争体験談集シリーズ「記憶の湖」第5巻 戦場と県民

記憶の湖5表紙

兵士として、また看護婦として中国やアジア、太平洋地域などの戦場に赴いた方々、そして戦後においてもシベリアに抑留された方、一方、戦時中、国内で軍属として海軍の工場におられ空襲を経験された方、また、予科練生やその教員をしておられた方々などの体験談を掲載するとともに、戦地から故郷の家族に宛てたはがきや手紙も紹介し、当時の戦場におけるさまざまな県民の思いを伝えるものです。
■掲載体験談数:15
■ページ数:253ページ(B5版)
■発行年:平成11年(1999年)12月

目次

ヨーチンと衛生兵

大別山の戦闘から中国軍を追って一日、五十キロから七十キロ歩いてました。とにかく歩くのですが、兵隊の足の裏はマメができて水がたまってブヨブヨしていました。それで、私は晩にたこ糸とタタミを縫う針を手に入れて、ヨーチンをつけた針に糸を通して、マメに針をつきさしてたまった水をぜんぶぬきました。

フィリピンのジャングルでの負傷

私も弾丸がある限り撃ちつづけてたんですが、右腕と大腿部を棒で殴られたような痛みを感じたんです。弾が背中から右大腿部を突き抜けたわけです。それからしばらくして、後続の部隊が応援に駆けつけてくれてようやく助かったわけやな。

海軍少年飛行兵の募集

宣伝したとこは、学校の講堂が多いですな。ほの当時は軍のいうことやったら、どこでも何でも聞いてくれましたしな。聴衆もかなり入ってましたしな。十七,八歳くらいになったら、いずれは兵隊に行かんならんちゅうので、少年飛行兵の希望は多かったですよ。陸軍も募集してたけど、海軍の方が人気がよかったですよ。

海の底の特攻隊

昭和二十年の七月の終わりに横須賀に行きました。横須賀では、潜水服を着て海のなかに沈んどって、本土決戦のとき敵の上陸用舟艇がきたら棒機雷を突き上げようという「伏竜」特攻の訓練を受けました。

軍馬の遺髪

私の馬は「八連」ちゅう馬で、品のええおとなしい馬でしたけどな。馬が犠牲になってくれよったと思って馬に感謝して、形見に馬の前髪切って大事に持ってもんてきた。

後方部隊で

わしら、小銃くらいしか持ってへん。そんなもので撃ったかてあたらへん。高射砲も何にもない。されるがまま。あれはしかし往生したな。

戦死の誤報

「兄は戦病死した」って知らせがきやはって、戦死公報をずっと待ってたんやけど、ちっともこうへんかった。兄が病気になってラバウルの病院に入ってたんは、ほんまやったけど死んでなかったんや。

呉海軍工廠

ほんで、海軍工廠は壊滅状態。ほんだけのでかい工場がほとんどやられて、屋根もみな飛んでしまってな。変電所とかちょっとした頑丈なもん、コンクリートやレンガでつくったもんだけ残ったあるですわ。亡くなった人は、各工場合わせて何百人いたでっしゃろな。

赤道を越えて

そのときは夜中だったんです。日本の飛行機は夜間はあまり戦闘ができなかったんですが、アメリカの飛行機は夜間でも攻撃できたんですよ。ちょうど月が下弦でしたけれども、煌々と照っていたんですよ。そこへ船が走っていると夜行虫も出ますやろ。そりゃあもう飛行機から艦隊は丸見えですわ。暗闇と違うからやられてしまったんです。

終戦の日の特攻出撃命令

天皇陛下の放送を聞いても、上官も僕らも何のこっちゃわからへん。ただ、なんやただごとではないという感じはしましたけど。ほんでね、二時間ほどしてから、もう一回整列するようにという命令がでて、「これは、もう出撃せなならん」と思てたら、「作戦中止」と言われたんです。「負けた」という言葉は言わなんだなあ。

天山山脈を越えて

中央アジアの砂漠のなかで亡くなって、冬は土が凍って掘れしませんから、春まで死体は放ってあるんですわ。それを土の蔵のなかに積み重ねていくんです。春になったら埋めにいくんです。もちろん裸体です。着ていたものは、誰かがそれを着んならんから取ってしまうんです。

さんご礁での毛布洗い

病院の裏は海ですんでねぇ。毛布に大便やら小便やらみなしはるさかい。いかい毛布を海で洗わんならんのですわ。そうするとねえ、あっこの海は熱帯魚やら色のついたるウミヘビやらいて、かまれるとあかんちゅうことやったけんど、きれいなもんですわ。軍隊の毛布は重たいでねえ、たいへんでしたけどねぇ。

海軍の白い服と黒い雨

一点の雲もない、実に快晴の朝やってんで。それが原爆を落としよって広島の街が燃えてきたらなあ。ほしたら、一転、空がかき曇って夕立雲が出てきよったんや。黒い黒い雲が出てきよったんや。そしたら、ダーッと雨が降ってきよったんや。夕立やと思たけど、違ごたんやねえ。

ビルマでの夜襲

みんなバァーと突撃したんや。ほんだら、敵は手榴弾とかを準備しとるやろ。ほんで、自分の陣地の前に缶詰の空き缶をおいときよん。私らが行ったら空き缶がカンカラ、カンカンカンと音がしてそれを目がけてバババーンや。みんなバタッと倒れよった。そんときに、私も左足をやられたんや。

戦地からの手紙

  • 無事に皆様と出会い一同笑って暮らす日を楽しみに
  • 僕の帰る日を待っていて下さい
  • その後長らくご無沙汰をしておりました
  • 父上母上様お変わりはございませんか
  • デンシャミチヤ、イケヘアソビニ行ッテハイケマセン

解説 戦場と県民

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