滋賀県教育委員会発行の保護者向け情報誌「教育しが」に掲載しています。
私には小学二年生の子どもがいます。自分から積極的に動くことは少なくて、引っ込み思案な性格です。学校でも、授業で発表したり、友だちを自分から誘って遊んだりすることはほとんどありません。「これからもっと活発に振る舞えないと、周りと馴染めず困ったりしないだろうか。友だちがいなかったら、寂しい思いをするんじゃないか。」そんな不安が頭をよぎり、親としてどうサポートしたらよいか悩んでいました。子ども自身は、特に困っている様子でもなく、自分のペースで日々を過ごしているように見えました。そんな子どもに対して、私はいつも、
「もっと周りの子に自分から声をかけたら?」
と、アドバイスをしていました。
そんなある日、思い切って担任の先生に相談してみました。すると先生は、
「確かに、どちらかというと静かに過ごしていることが多いですが、その分、じっくり考えて、想像力を広げていっているように感じます。」
と言って、教室の後ろに飾ってあった粘土の作品を一つ持ってこられました。
「これ、想像の動物を創ったのですが、背中のとげの形やおなか周りの鱗みたいな模様。あと、二本足で立つよう太い足にして、安定するように工夫したんですよ。時間もかかったし、何度か集中も切れていましたが、本人が納得する作品ができたようです。」
と、図工の時間の様子を話してくださりました。作品の良さは、私にはあまりわかりませんでしたが、子どもが思いを込めて創ったことは、説明から伝わってきました。最後に先生は、
「学級にはいろいろな子がいて、みんな、よりよくなりたいと願いを持っています。けれど、伸び方は、人それぞれです。子どもが伸びようとする速さや興味をもつ方面に合わせて支援することが大切だと思っています。」
と、話されました。
家に帰ってから、子どもに粘土の作品のことを話すと、
「うん、いろいろ考えながら創るのは楽しかった。持って帰ったら、どこに飾ろうかな。」
と答えた子どもの言葉に、私はハッとしました。この子なりにいろいろ考えて、行動しているのではないか。それなのに、私が勝手に心配して、できていないと思うところばかりに目が行き、アドバイスという形で私の考えを押し付けていたのではないかと気づいたからです。
わが子を見ていると不安は尽きません。けれど、子ども自身、周りに少しずつ目を向けながら、自分にできることを見つけて伸びようとしています。子どもを信じ、もっと長い目で見守っていきたいと思います。
日曜日の午後、妻と二人で近所の喫茶店に入りました。静かで落ち着いた店内で、私たちはコーヒーを二つと、ケーキを一つ注文しました。実をいうと、甘いものが好きな私は、ケーキを一番楽しみにしていました。しばらくして、注文した品がテーブルに運ばれてきました。店員さんが「ケーキをご注文された方は。」と言いながら、ケーキを持つ手が妻の方に向きかけた時、私が手を挙げたことに店員さんが少し驚かれたようで、その様子を見ていた妻が、くすくすと笑っていました。
帰宅後、リビングでくつろいでいた娘に、喫茶店へ行った話をしました。「今日のケーキ、おいしかったなあ。」と私が言うと、娘は「ずるい、私も行きたかった。」と笑いながら言いました。続けて私が、「昔からね、喫茶店でケーキを頼むと、当然のようにお母さんの前に置かれたんだ。食べたかったのはお父さんだけどね。」と話しました。それを聞いた娘が、「私もスイーツの話をよくするし、その感じ分かる気がする。でも、それって、女性の方が甘いもの好きっていう思い込みあるよね。」と答えました。
なるほどと感心していると、娘が突然、「私、大学は工学部に進学したいと思ってるんだけど、どう思う?」と言いました。私は思わず「えっ。女の子なのに?」と声を出してしまいました。「ほらね、やっぱり驚いた。」と、娘は笑いながら言いました。「知ってたの?」と妻に聞くと、「この前、相談されたの。私も同じようにびっくりしたけどね。」と教えてくれました。娘は続けて、「この間、学校の校外学習で万博に行った時、空飛ぶクルマやAIスーツケースを体験している人を見たの。その時に未来の社会って素敵だなって思った。私もこういうものづくりの仕事に関わりたいってすごく思ったんだよね。理学部や工学部の女子の割合は、まだまだ少ないけれど、社会の意識はだいぶ変わってきたって、先生は言っていたよ。私も自分のやりたいことができるところで勉強したいんだ。」と話しました。
無意識の思い込みに気づかされた私は、たしかにその通りだと納得しながら、娘の言葉に耳を傾けました。突然の進路の話には驚かされましたが、娘の力強い言葉に、頼もしさも感じました。娘がこうして素直に話してくれることをとても嬉しく思うと同時に、私の中に「○○が当たり前」や「普通は○○」といった思い込みがないか気をつけていきたいと思いました。
我が家では家族三人でつづる家族日記があります。娘が誕生したのを機に、その成長と家族の出来事を記録するため夫婦で始めました。時折読み返しては、「そんなことがあったなぁ」や「こんなことを想っていたんだ」と振り返ることができ、気が付くと十年近く続いています。今では、娘も加わり三人で書いています。
四月のある日、しばらく見られていなかった家族日記を読んでいた時に、娘が書いた言葉が目に留まりました。「お父さんに筆で書いた字を見せたら、練習するともっとうまく書けるようになるって言われていやだった。」と書いてあり、「いやな気持ちになっていたんだね。紙いっぱいに文字を書いて気持ちよかったんだよね。」と妻からの返事も書かれていました。その瞬間、あの時私が娘にかけた言葉が頭に浮かび、ハッとしました。
以前、小学三年生になる娘が初めて習った毛筆の作品を誇らしげに見せに来たことがありました。勢いはあるけれど、バランスが良い字とは言えなかったので「練習したらもっときれいに書けるようになると思うよ。」と私は返事をしました。すると娘は「うん。分かった。」と答えたきり、少しうつむいて、自分の部屋に戻りました。その後も、毎日のように学校での出来事や友だちのことは話してくれていたのですが、会話が一言二言で終わってしまうことが気になっていました。娘に対して頑張ってほしい気持ちを伝えることは間違ってはいないと思いますが、もしかして、私の言葉は、娘からすると頑張りを否定されたように聞こえてしまっていたのではないか。そんなことを意識しながら妻の書いたところを読み返してみると「鉄棒は手が痛いよね。でも、できると楽しいよね!」「合奏は緊張するよね。成功するように応援してるよ。」といった言葉が書いてあり、相手の気持ちを考えた言葉の大切さに気付かされました。
翌日、私は「この間の体育の参観でリズムに乗って笑顔でダンスしていたね。思わず笑顔になっちゃったよ。」と声を掛けました。すると娘は、友だちと一緒に練習したことや先生から教わったことをたくさん話してくれました。その時の娘は、本当に嬉しそうで、私は頷きながら聞きました。
それからというもの、娘との会話は一言二言では終わらず話が弾むようになってきています。娘に対してだけでなく、妻や職場でも相手の気持ちに寄り添った言葉がけができるよう、心掛けていきたいと思っています。