滋賀県教育委員会発行の保護者向け情報誌「教育しが」に掲載しています。
昨年、息子が、「白杖(はくじょう)って知ってる?」と聞いてきたことがありました。学校の授業で習ったそうで、「目の不自由な人が歩く際に、使う杖のことだね。」と返したところ、学校では、アイマスクをした友だちに「何かお手伝いできることはありますか?」と声をかけ、相手の半歩前に立ち、肘の少し上をもってもらい、歩く練習をしたと話してくれました。
今年度、私の職場が変わり、電車通勤になると、実際に白杖をもち、移動されている方をよく見かけるようになりました。
ある時、駅前で白杖をもった方が、動かずに立ち止まっておられ、首をかしげ表情が戸惑っておられるようにも見えました。今までの私なら、「たまたま止まっているだけかもしれない。」「必要なら相手が声をかけるだろう。」と自分が声をかけない理由を探して、通り過ぎていたと思いますが、以前の息子とのやりとりを思い出し、「どうか、されましたか。何かお手伝いできることはありますか?」と声をかけてみました。すると、「友人との待ち合わせをしている店を探しているが、初めて来たのでどの店が待ち合わせの店か分からない。」とのことでした。店までは100mほどの短い距離でしたが、いつもよりゆっくり歩くことや段差の少ないルートを選ぶことを意識して歩きました。無事に店へ到着した際に、その方から「助かりました。」とお礼の言葉をいただき、私は緊張しましたが声をかけて良かったと思いました。
まだ友人が来られてなかったようで、少しお話しをさせていただきました。案内した道中を振り返り、「段差があるとつまずきそうで、街中がバリアフリーだといいですね。」と話したところ、「車道と歩道の境目に段差がなく、気づかずに車道に出て危ない思いをしたこともあります。」と話されました。また、「新しい場所に出かける時は、誰かが一緒じゃないと不安ですか?」と質問すると、「同行者がいれば安心ですが、一人の時でも、音や空気の流れなどを感じ、たいていの場所は出かけていけます。」とおっしゃいました。
私は、誰にとっても段差がない方が良いと考えていました。また、白杖をもつ方は誰かの助けがないと外へ出かけられないのではないかとも思っていました。今回、白杖をもつ方と出会ったことで自分の思い込みや先入観をもっていたことに気づくことができました。
息子から声のかけ方や歩き方を教えてもらっていたことで、少し勇気を出して声をかけられたこと、また、白杖をもつ方から聞いた話を、息子や家族に話したいと思いました。
ある日、地元を離れ一人暮らしをしている息子から、私の携帯電話に「晩御飯めちゃ上手くできた!」と料理の画像が送られてきました。画像をよく見ると、どう見ても二人分の食器が並んでいます。画像を覗き込んできた娘が「彼女できたんじゃない?」とからかい気味に言いました。女性とは限らないかもしれないよ。」と私が答えると、娘は「ハッ」とした顔をしていました。そんな娘を前に、私は元同僚のことを思い出していました。
社会人になりたての頃、仲良くなった同僚がいました。それぞれが故郷を離れ一人暮らしだったこともあり、仕事の後も共に過ごすことが多くありました。時には仕事の愚痴を言い合ったり、心配事や悩み事も相談し合ったりしていました。
ある時、異性のことで話していると、同僚は「同性に関心がある」と言いました。私は「エッ」という言葉を飲み込みながら、続けて話を聞くと、子どものころから好意を寄せる相手は同性だったようです。ただ、そのことは誰にも言わず、一人で悩み続けたそうです。「どうして私に?」と言うと、「いろいろなことを相談してもしっかり聞いてくれるし、一緒に考えてくれるから。でも、君に恋愛感情はないよ。」と笑いながら言われました。同僚は決して軽い気持ちで発言したのではないと思い、「大事なことを教えてくれたんだね。ありがとう」と私は言いました。
もちろんそれからも私と同僚の関係は変わらず続いていましたが、ある年の人事異動で離れてしまいました。それからは毎年送り合う年賀状が唯一の接点となっています。
私は娘に「性が多様だってこと、聞いたことある?」と尋ねました。「そういえば学校で、性は体の性別だけじゃなくって、心の性別とか、好きになる相手の性別とかいくつもあるって習った。」と言いました。「あと、別の日だけどね、学年集会でLGBTQの方のお話を聴いたの。『一人でいいから、気持ちを聴いてくれる人、理解してくれる人がいると安心できる。』と言っていたし、私もそうなりたいと思ってた。けれど、お父さんに言われるまで、同性かもって全然気づけなかった…。」と娘はしみじみと自分の発言を振り返っていました。
そんなことを話しているうちに、私は久しぶりに同僚に連絡をとり、いろいろ話してみたいと思いました。
小学4年生の息子にはブラジル国籍の友だちがいます。その子は、昨年ブラジルから日本に引っ越してきて、別の学校に通っていましたが、今年4月から今の学校に転校してきました。家が近かったこともあり比較的早くに息子と仲良くなりました。
そんなある日、家族で晩御飯を食べているときに息子が「今日の帰り道であったことなんやけど」と話し始めました。
「『来週から始まるラインサッカーの授業が楽しみやなぁ。』と言ったら、暗い顔になって、『サッカー、やりたくない。』って。『なんでや?』って聞いたら、『サッカーは好き。でも、前の学校でサッカーしたとき、“もっとうまいと思ってたのに。”とか“期待外れ。”とか言われた。また嫌なこと言われるかも。だからやりたくない。』って。ブラジルの子やから、サッカーの話をしたら絶対盛り上がると思ったのに…。」
すると横で話を聞いていた中学2年生の娘が、
「それってこの前、学校の人権学習で習ったで。『ブラジルの子どもはサッカーが得意』という無意識の思い込みがあって、それが相手を傷つけることになるんやって。『アンコンシャスバイアス』っていうみたいやで。」
と教えてくれました。
初めて聞いた言葉だったので、私も子どもたちと一緒に調べてみました。特に気になったことは、アンコンシャスバイアスによって、相手に良かれと思って親切心から話したことが、相手を傷つけてしまうことがあるということでした。例えば、生まれも育ちも日本で、見た目だけは外国
の人に、「日本語上手ですね」や「おはし使うの上手ですね」など褒めるつもりで話したとしても、本人にしては、「そんなことは当たり前」、「自分は日本人だと思っているのに、どうして『外国人』扱いされるのかと悲しい気持ちになる」といったことが書かれてありました。すると息子は、
「そや、僕も学校で『決めつけはよくない』って習った。僕も『ブラジルの子やから』って決めつけてたけど、気をつけないと。もし、決めつけて言う子がいたら、『それはおかしい』って言ってみるわ。勉強したことやから、うっかり言っちゃった子もきっとわかってくれるはず。」
すると娘は、
「おっ、かっこいいやん。友だちも心強いんとちゃうか。」
と話していました。
1週間ほど経ちました。ちょうど授業参観があり、ラインサッカーの授業でした。息子もブラジルからの転校生も周りの子どもたちもニコニコと楽しみながら活動する姿がありました。
私自身、子どもたちに教えてもらわなければ、知らず知らずのうちに誰かを傷つけていたかもしれません。よりよい人間関係を築くため、今後も、子どもたちと一緒に知識をアップデートしていきたいと思います。
私が娘の「上靴洗い」をするようになったのは、娘が幼稚園に通い始めたことがきっかけです。「仕事がいそがしいことを言い訳に、子どものことをほとんど妻に任せてきた自分に、何かできることはないか」「子どもの靴のサイズぐらいは知っておきたい」と考え、週末に自主的に洗うようになりました。
小学一年生になった娘が、ある日、「友だちは自分で洗っているって。少し恥ずかしくなった。」と言いました。娘と相談し、翌週から一緒に片方ずつ上靴を洗えるようブラシを二つ準備し、どちらが綺麗になったかを見せ合いながら、洗うことにしました。ほんのわずかな時間ですが、この時間に娘とゆっくり話をしようと思いました。
一・ニ年生の間は、勉強や先生、友だちのことなど、自分からどんどん話してくれていました。しかし、学年が上がるにつれて、娘から話し始めることが減ったので、会話が広がるようにとの思いで、「今週は何かあった?」「今はどんな学習(遊び)をしているの?」と、こちらから質問するようにしました。
ある日、娘が自分から友だちとのことを話し始めた際に、「でも…」と口を挟んで話を遮り、自分の考えを話してしまいました。すると、娘は黙ったまま、上靴を洗い終えると自分の部屋へ閉じこもってしまいました。
後日、娘が「お父さんに話そうと思う前に質問されたり、でも…って話を遮って意見されたりするのが嫌だ。」と妻に話していたことを聞き、独りよがりだったと反省しました。そして、「上靴洗い」の時間は、娘のペースで話したいことを話す時間にすること、私が伝えたいことがある時は、別の機会に話すことを娘と約束しました。
上靴を洗いながらなので、会話が続かなくても過ごせましたし、たくさん話したいことがある時は、そのまま散歩や買い物に行きながら話の続きを聴きました。
娘が中学生になると、上靴を持ち帰る機会は減りました。その代わりに、塾から家までの車の中で一緒に過ごす時間が、娘の話を聴く時間になりました。時には、成績や受験、スマホの使い方で、お互いの考えがぶつかることもありましたが、まずは娘の思いを聴くことを大切にしました。
思春期になると会話がなくなるのではと心配していたのですが、高校生になった今でも、学校や友だちのことを時々、自分の話したいタイミングで話をしてくれます。
これからも、子どもの思いを聴く時間を短時間でも大切にしたいと思っています。