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この子らを世の光に

『この子らを世の光に』と『この子らに世の光を』の違いについて
「を」と「に」が逆になれば、この子どもたちは哀れみを求めるかわいそうな子どもになってしまいます。しかし、この子らは、みずみずしい生命にあふれ、むしろ回りの私たちに、そして世の人々に、自分の生命のみずみずしさを気づかせてくれるすばらしい人格そのものであります。
この子らこそ「世の光」であり、「世の光」たらしめるべく、私たちは努力しなければなりません。糸賀一雄は最後の講義で「この子らを世の光に・・・」の言葉とともに、大きな福祉の思想を私たちに託して逝かれました。

無財の七施(むざいのななせ)

愛は深めていけばいくほど、どこまでもどこまでも深まっていきます。
そしてそれは純化されていきます。
そのことを私たちは知っておきたいと思います。
 

財産がなにひとつなくても出来ること

  • 眼施(げんせ)・・・人にやさしいまなざしをもって接すること
  • 和顔悦色施(わがんえつじきせ)・・・にこやかなほほえみをたたえた顔で接すること
  • 言辞施(げんじせ)・・・言葉の美しさ、やさしい声で接すること
  • 身施(しんせ)・・・勤労奉仕のこと
  • 心施(しんせ)・・・感謝の心
  • 牀座施(しょうざせ)・・・席をゆずってあげること
  • 房舎施(ぼうしゃせ)・・・一宿一飯の施しということ

私たちの人間関係というものには、「無財の七施」というものがあるんだということを、どっかで聞いたことがあったなあと、思ってくださればありがたいと思います。(糸賀一雄の言葉から)

母子像のこと

母子像

近江学園の表坂を上ってくると正面に母子像が立っています。
森大造の手になる、箒を手にした母子像です。
散歩から帰ってくる子どもたちや、また遠来のお客様を第一番に迎えてくれます。
糸賀はこの母子像に「世の光」と名付けられました。
糸賀はこの言葉の中に、「知的障害といわれる人たちを世の光たらしめることが学園の仕事である。知的障害を持つ人たち自身の真実な生き方が世の光となるのであって、それを助ける私たち自身や世の中の人々が、かえって人間の生命の真実に目覚め救われていくのだ」という願いと思いをこめられました。

「この子らを世の光に」糸賀一雄の著書から

この子らを世の光に著書

すべての人間は生まれたときから社会的存在なのだから、それが生きつづけていくかぎり、力いっぱい生命を開花していくのである。
問題は子どもたちの発達の段階をどのようにしたら豊かに充実させることが出来るかということである。教育技術が問われるのはこの一点においてである。
教育技術を生み出すもの、それは子どもたちとの共感の世界である。
それは子どもの本心が伝わってくる世界である。
その世界に住んで私たち自身が育てられていくのである。
子どもが育ちおとなも育つ世界である。
あらゆる発達の段階において、子どもたちは、このような関係の中におかれ、あわてたりひっぱたかれたりしないで、豊かな情操をもった人格に育つ。
それはちょうど木の実が熟して木から落ちるように次の発達の段階にはいっていくのである。
近江学園やその他多くの施設は、社会でもてあまされた子どもたちの終着駅であってはならない。むしろ始発駅であり、健全な社会そのもののいとなみである。すべての人間生命の発達を保障するという考え方が、真に日本の社会計画のなかみを形成するようになるための、ささやかではあるがもっとも具体的な試みであり、訴えである。むしろそれは発達を保障するための社会資源のひとつである。
 

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滋賀県立近江学園
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