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横森元一さん
株式会社G-FARM代表取締役
埼玉県→滋賀県
メカニックから農家へ
自分の手で人生を切り開いた
覚悟の移住
暮らす場所を選ぶことは、生き方を選ぶこと。「ここで生きていきたい」と思う場所に、滋賀を選んだ人たちがいます。
今回ご紹介するのは、埼玉県出身の横森さん。大手自動車メーカーのディーラーのメカニック職を退職し、全く経験も知識もない農業の世界に飛び込みました。
「俺はここで死ぬって決めてる」と語る横森さんに、移住の決断、農業への挑戦、そして家族との時間について伺いました。
頑張った分だけ返ってくる
農業という仕事への転身
多賀大社にほど近い、横森さんが経営する『G-FARM』。主力商品である多賀にんじんをはじめ、お米、小麦、イチゴ、シャインマスカットなど多品目の栽培に加え、最近ではにんじんジュースの加工・販売や、クラフトビールの開発にも挑戦しています。
31歳のとき、何の経験も知識もない農業の世界に飛び込んだ横森さんは、以前は東京都港区にある大手自動車メーカーのディーラーで、メカニックとして働いていたそうです。
「レインボーブリッジのすぐ近くに会社がありました。主に、タクシー・ハイヤー・福祉車両などの事業者用車両の整備・点検を一手に請け負うような会社だったので、なかなか触れることのできない高級車や限定車もたくさん扱うことができましたが、仕事がある日は朝6時には家を出て、家に帰るのが夜11時過ぎと激務。10年と少し働きましたが、収入面は家族5人を養っていくにはめちゃくちゃ厳しかったですね」
メカニックの仕事だけにとどまらず、フロントマンとして顧客対応をこなしたり、新規ルートの獲得や新しい仕組みを構築したりと、社内でも重要な人材として活躍。空港などセキュリティの厳重な施設から専用IDを渡されるほど顧客との信頼関係を築き、会社に貢献してきた横森さんですが、待遇は改善されず、家族との時間はどんどん失われてきました。
「心身ともに限界だった」と、横森さんは当時を振り返ります。自分はこの会社でやり切った、自動車業界から離れたい、そんな思いが頭をよぎったとき、最初に浮かんだのが、妻の実家である多賀町の景色でした。お盆やお正月に家族で帰省すると、農業をする義父をたまに手伝って畑に出ていたという横森さん。農作業の合間にときどき義父がポツリと「もうわしも歳やしな……」と呟いていた言葉を思い出します。
「誰かに雇われて仕事するのは、もう限界だなと思いました。朝から晩まで働いて、収入は変わらず、休みの日は疲れて寝ているだけで家族との時間も犠牲にして……それなら、自分が頑張った分だけちゃんと返ってくるような仕事がしたい、と。転職と移住を決め、自分の両親には『俺はもうこっち(埼玉)には帰ってこない。あっちで死ぬ決意だ』と伝えました。長男でしたし、そのくらいの覚悟がないとやるべきではないなと思ったからです」
一旦は単身で滋賀へ。その半年後、小学校や幼稚園の新学期が始まるタイミングで妻と3人の子どもたちも滋賀へ移住。家族5人の新しい生活が始まりました。
ゼロからのスタート
サラリーマン経験が経営に活きる
農業の経験が全くなかった横森さんは、移住後、まずは義父の仕事を手伝いながら農業の基礎を学びました。新規就農者として動き出すため、義父の紹介をきっかけに、役場や県の担当者とも接点を持つようになったといいます。
「義父に教わりながらとはいえ、知識も経験もないので、自分が何を作ればいいのかすらわからない状態でした。そこで、市場関係の方を紹介していただいたところ、多賀町近辺では農家の高齢化が止まらず小松菜を作る農家さんが少なく、市場としては小松菜が欲しいと聞いて、最初は小松菜から始めることに。借金してハウスを2棟建て、栽培をスタートさせました」
ミリ単位の精密さが求められるメカニックの仕事で培った丁寧さと探究心は、農業にもそのまま活かされました。試行錯誤を重ね続けた結果、わずか2年ほどで、通常よりも丈夫な小松菜を作り上げることに成功し、地域でも評判になったそう。
「農業って、畑で農作業をするだけが仕事じゃないんです。営業活動も必要だし、電話対応やクレーム対応、見積書・納品書・請求書などの伝票を作ったり領収書を切ったりする必要もあります。サラリーマン時代にそういう仕事は一通り経験してきましたし、会社で研修も受けることができました。辛いことも多かったですが、サラリーマン時代の経験がなければ、今こんなにスムーズに会社を立ち上げることができていないと思います」
また、接客・営業や事務作業といった経験だけでなく、メカニックとしての技術も、意外な場面で武器になっているといいます。
「トラクターなどの農機具は、形は違えど、基本的な部分は車と同じ。メカニックだったので、万が一壊れてもある程度修理することができます。だから、会社を立ち上げるとき、定款に整備工場も開けるように記しました。他にも、複数の事業目的を定めています。農業で絶対に成功するという強い覚悟を持っていましたが、同時に家族の生活を守るために何とかしてお金を稼がないといけなかったので、当時は自分にできることは何でもやろうという思いでしたね」
第二の故郷で生まれる新しい出会い、つながる縁
G-FARMを立ち上げて3年目くらいまでは、経営が非常に厳しかったという横森さん。赤字が続くなか、大さや形が揃わず出荷できない廃棄野菜を利用して少しでも売り上げにつなげられないかと考え、主力商品である多賀にんじんを使ったジュースの開発を進めます。
「にんじんだけでも、市場に出せない商品が年間20%ほど。形や大きさの問題で出荷できないものでも素材自体の味は変わらないので、食品ロスの観点からも、加工品の開発・販売はきっと今の時代は必要なことだと思って」
実はにんじんジュースを作るには、成分上にんじん単体をただ絞るだけではジュースとして出荷できません。しかし、横森さんの目指したのは、にんじんの持つおいしさをできるだけそのまま味わえる、シンプルで純粋なジュース。このこだわりの味を実現してくれる会社がなかなか見つかりませんでした。道の駅などで美味しい野菜ジュースを見つけると、裏のラベルに書かれている加工会社に直接電話をするなど、自分のこだわりを形にしてくれる会社をひたすら探した横森さん。現在の商品が完成するまでに、1年以上を費やしたと言います。
一つのことを決めたらとことん追求し、果敢にチャレンジする横森さん。小松菜栽培で結果を出し、にんじんジュースの開発にも成功する一方で、地域の方々とも積極的にコミュニケーションを取り、少しずつこの土地に溶け込んでいきました。
「ここにきて最初にできた友達は、70過ぎのおじいさんでした。近所の農家さんで、畑で作業をしていたら話しかけてくださったんです。農業の相談に乗ってもらったり、反対に『横森くん、その新しいやり方教えてよ』って聞かれたり、その方のつながりで別の農家さんや市場の人に紹介していただいたりして、人のつながりがどんどん広がっていきました。実は、高齢の方々は若者にどう話しかけていいかわからず、なかなかコミュニケーションが取れないことも多いと後から聞いて。それからは、地域の集まりでも仕事でも、特に高齢者の方にはなるべく自分から話しかけるようにしていますね」
若い農業の継ぎ手として、地域を担う人として、横森さんに協力を依頼する人はどんどん増えていきます。一つ一つのご縁を大切にし、徹底的にやり切る。その姿勢が、第二の故郷となったこの地で、新しい出会いを生み、次のつながりへと広がっています。
「どこもかしこも高齢化で、畑や田んぼを続けていくのが難しいという方がたくさんいて、イチゴハウスを継いでくれないか、田んぼを引き継いでくれないかって話が舞い込むようになりました。栽培したことのない作物でも、『初めは教えるから、わかんないことがあったら聞いて』って。人との出会いやつながりって本当にすごい。最初は小松菜だけだったのが、こうして今いろんな作物を育てているのは、たくさんのご縁をいただいたからです。もちろん新しいやり方や最新の機械を使うことに懐疑的な人もいますが、若い人がこの地に住んで、農業を担っていくことを喜んでくれている人の方がずっと多いんです」
「ここにきてよかった」と心から言える
この場所で生きていく、横森さんのこれから
農家といえば、朝から晩まで畑に出て、忙しく働くイメージも。しかし、『G-FARM』では、社長も従業員も時間になればきっちり仕事を終えるのがルールです。
「長く農業をやっている人たちのなかには、日が暮れるまで外にいてなにかしら動いていないとダメ、特にやることがなくても見回っておけ、といった昔からの考えもあるようですが、うちは時間になったらきっちり仕事を終えてもらっています。従業員を雇うくらいになったら、メリハリをつけて働ける環境にしようと決めていました。特に冬は5時ぐらいになったらもう真っ暗じゃないですか。暗いなか無理に仕事をしても効率が良くないので、その日の仕事が終わればさっさと家に帰って、家族と過ごす。うちで働いてもらう人には、自分の人生や家族との時間を大切にして欲しいんです。僕もこっちにきて、家族との距離がすごく近くなりました」
移住して13年。当時小学生だった長男は、今年成人を迎えました。父親に負けず劣らず、大きく育った3人のお子さんたちは、今ではときどき横森さんの畑を手伝ってくれる心強い助っ人に。
「ここにきて本当に良かった」と、横森さんは断言します。
「この地域は、人との出会いに溢れています。どこの誰かもわからない農業未経験者の僕のことを、役場の人、県の人、地域の人、みんなバックアップしてくれました。新しい生活を始めるのは強い覚悟が必要でしたが、こうした人と人とのつながりがあったからこそ今がありますから。会社に雇われて働く道もありますが、僕のように自分の頑張った分だけ返ってくる働き方を求めている方、自分の手で人生を切り開きたいと思っている方にとって、意欲さえあれば活躍できる環境・可能性が広がっています。家族との時間を大切にしながら、自分らしく生きていける。滋賀県って、そんな場所ですね」