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滋賀に気づいた人INTERVIEW #01 河野至宏さん

写真:河野至宏さん/愛知県→滋賀県/1992年生まれ/高島市在住/農業公園勤務

「就職活動でスーツも着てみたけれど、高島の自然の前で悩みが吹っ切れました」

立命館大学びわこ・くさつキャンパスに在学中に、高島の自然を大好きになった河野さん。就職活動をしている自分に違和感を覚え、自分の生きる道は、大好きな高島の自然の中にあると気づきました。現在は、高島市にある農業公園・マキノピックランドに就職し、心も仕事も豊かな暮らしを実践しています。

始まりは大学時代の体験から

―――河野さんは愛知県の出身なんですよね?

そうなんです。愛知県が地元なんですが、大学を決めるタイミングで滋賀県草津市にある立命館大学に進学しました。もともと関西弁が好きだったので京都や大阪に暮らしたいと思ってたんですが、受かった大学は滋賀県にある。でも京都の隣だし、関西弁だし「よし、ここだ!」と決めました。関西弁が好きという理由で、滋賀に来てしまいました(笑)。

―――滋賀に来てみてどうでした?

最初は京都も近いし、関西弁が飛び交っているし、楽しいと思っていたんですが、自分でも意外なことに山とか自然の素晴らしさに興味を持って。
愛知の地元には山が身近になかったので、新鮮に感じたのかもしれません。それで大学2年生の頃に、課外授業で高島市のボランティアに参加したんですが、見事にハマってしまいました。

―――そこで高島市に興味を?

そうなんです。高島市の集落に行き、冬は雪かき、夏は雑草刈りをしたり。作業は大変でしたが、山や空気、そこに流れる水が本当にきれいで!こんな環境に住みたいと思いました。それに、地元の人たちとの交流が楽しかったんです。70代以上の方が多い地域だったので、そこでの風習や日々の暮らしのこと、いろんなお話を聞かせてくれるので、もっと知りたい!という興味も生まれてきました。

―――移住するぞ!と決めた理由は?

実際に移住を決めたのは就職活動がきっかけでした。自己分析にエントリーシート、スーツを着て東京や大阪を歩き回ったり、自分を取り繕うことに違和感を感じたり…。そんな毎日につかれた時、ふと「自分にとって豊かな生活ってなんだろう?」と思ったんです。そこに気づいたらもう決断は早かったですね。「高島に移住したい」と、大学時代のボランティアでお世話になった集落の方に相談すると、空き家を案内してくれました。それが、築100年ぐらいの立派なお屋敷!「借り手がいないから2万円でいいよ」と。それまで1ルームで暮らしていた僕には夢のような話でした(笑)

集落の中で育まれる、心地よいつながり

―――移住後の暮らしの変化を教えてください

住んでる家(写真)が集落の中にあることもあり、ご近所付き合いがすごく増えました。「夜ごはん食べにおいで」と声をかけてもらうことも多いです。みなさん僕が一人暮らしで自炊も適当だと知っているので(笑)。

―――それは、ご近所付き合いも大変ですよね?!

いやいや、そこが楽しいんですよ~。昨日もご近所の80代のおじいさんの家で夜ごはんを食べていました。おじいさんの娘さんご夫婦も一緒に、もう、家族のような心地よさがあります。僕が仕事に出かけている時、ちょうど雨が降ってきたことがあって。洗濯物を出しっぱなしにしていたんですが、帰宅すると「濡れないように片付けておいたよ」とご近所のおばさんが。そんな距離感がとてもうれしくて、心が落ち着きます。

移住先で見つけた地元の仕事

―――そもそも高島での就職先はどうやって見つけたんですか?

農業に関わる仕事がしたいと思っていたので、地元の方を通じて高島市マキノ町にある「マキノピックランド」を紹介してもらいました。僕の住んでいる場所が「上開田(かみかいで)」という集落で、ピックランドはそこから車で3分ぐらいの場所。すぐに紹介してもらえてラッキーでしたね。

―――でも、初めての環境で就職。苦労することも多い?

職場では果樹の摘果作業や草刈りなどが中心です。敷地内にはりんごや栗、ぶどうなどの果樹園が広がっていますが、いちばん難しいのがぶどう。ハサミでぶどうに傷をつけないように、邪魔な粒などを取り除く作業が繊細なので苦労します。集中力と体力どちらも使い疲れますが、ぶどうが形よく実った姿をみると達成感がありますね。

ここで暮らす決意を受け入れてくれる環境

―――面接をした桂田支配人は河野さんにどんな印象を持ちましたか?

マキノピックランドでは、地元出身者のスタッフがほとんどだったので「移住したい子もいるんだ」と驚きました。でも河野さんは、すでに高島で住む場所も決まっていたので、その行動力とやる気に意志の強さを感じました。

―――ピックランドでは移住者の受け入れもありますか?

特に移住者の枠は設けていませんが、農業に興味がある方なら大歓迎です。未経験者でもベテランの職員が丁寧に教えるので、働きながら勉強もでき「農業のとっかかり」としても良い環境ではないかと思います。

いまは農業の担い手も減ってきて、40代でも“若手”農家と言われる時代。ここで勉強後、独立して新たな農業者として巣立っていって欲しい。人材を育てたいという思いもあります。実際に、河野さんはピックランドに入社1年で滋賀県の青年農業賞を受賞し、若手の中でぶどう作りの一番に選ばれたんですよ。

人生のどこに豊かさを求めるのか?

―――最後に、移住を考えている人にアドバイスを!

僕はいま25歳です。人生でみるともう3分の1は終えている。じゃあ、残りの人生をどう過ごすか?と考えた時に、僕は都市で働くよりも、豊かな自然の中で、心が落ち着く環境で、自分らしく生きていきたいと思ったんです。働くことはもちろん大事だけど、山がきれいで、湧き水が冷たくて、流れる川の音が心地よくて、四季を体で感じることができて…。そういうことが豊かなんだと気づきこの高島に移住しました。僕の場合は「移住」よりも「引っ越し」という感覚に近いかもしれません。良いところを見つけたから「引っ越す」という気持ちの方が、場合によってはスムーズなのかも?でも、移住して何より良かったのは、やっぱり“人との繋がり”ですね。人と人との関係に温もりを感じられることが、ここで暮らす醍醐味のひとつだと思います。

河野さんのある一日のスケジュール

  • 7時00分起床 職場まで3分。朝ごはんもしっかりと
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