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【展示】鉄路の表参道~比叡山坂本ケーブル~

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今年は、大正13(1924)年10月に設立された比叡山鉄道比叡山鉄道線(通称:比叡山坂本ケーブル)が、昭和2 (1927)年3月15日に開業して90年を迎える年にあたります。同線は比叡山延暦寺とその門前町として栄えた坂本とをケーブルカーで結び、参詣・登山客の利便を図っている鉄道です。全長は2,025mにおよび、現在日本最長のケーブル鉄道となっています。
同鉄道は、昭和20年3月に太平洋戦争の激化にともない営業を休止、同年5月には海軍に接収され、車輌やレールは特攻機発射基地設置のための機材や軍事物資輸送のために用いられました。しかし、特攻機が投入される前に終戦を迎えると、その基地もすぐに取りこわされ、昭和21年8月に旅客用として営業が再開されます。現在のケーブル坂本駅とケーブル延暦寺駅の駅舎は、開業当時の建物をそのまま維持しており、平成9(1997)年7月には、国の登録有形文化財に指定されています。
今回は、会社設立時から開業時にかけて、どのような経緯で敷設・営業されるようになったのか見ていきたいと思います。

【コラム】比叡山坂本ケーブル

叡山の風景

「御山のしをり」 天保3年(1832)

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天保三年に出版された日吉大社のガイドブックです。日吉大社は、最澄が比叡山延暦寺の守護神として崇敬したことにより、人々から信仰を集めました。元亀二年(1571)に、織田信長による比叡山焼き討ちを受けて建造物のほとんどは灰燼に帰し、ここに載せられている建物は安土桃山時代に再建されたものです。【明か22合本3(6)】

「延暦寺境外墓所取調記」 明治16年(1883)11月

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延暦寺が提出した比叡山内に点在する墓所の調書です。坂本ケーブルが横断する一帯には、元亀以前の墓所地といわれる蓬莱墓や、土佐日記の作者として知られる紀貫之の墓所などがあり、現在でもケーブルを利用した数多くの人びとが墓参に訪れています。【明す539(93)】

設立にむけて

「比叡登山軽便電軌鉄道(株)平面図(縮尺2万分の1)」 明治45年(1912)1月

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坂本から延暦寺根本中堂までの鉄道経路が描かれています。図内の比叡登山軽便電軌鉄道(株)は、明治45年に、資本金50万円で鉄道免許を許された会社です。請願者は、栗太郡常盤村(現草津市)出身の政治家吉田虎之助ら19名でした。しかし期限内に工事を着手できず、翌年免許を失効します。本図はその動力源となる水力発電計画書の添付図です。【明ぬ56合本2(21)】

「比叡登山鉄道敷設免許申請書」 大正11年(1922)11月11日

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比叡山ケーブルカー構想が生まれると、大津電車軌道(株)と比叡山鋼索鉄道(株)、叡山電気鉄道(株)の三社は、それぞれで敷設申請をしていました。しかし大正11年には、三社合同による出願が目的達成に不可欠であるとして、改めて鉄道大臣への免許申請を行います。結果、大正13年には許可を得ることができ、鉄道敷設は加速していきます。【大と22(6-1)】

「起業目論見書」 大正11年(1922)11月

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「大津電車軌道株式会社」、「比叡登山鋼索鉄道株式会社」、「叡山電気鉄道株式会社」の三社合同請願により、社名は「比叡登山鉄道株式会社」、資本金は1株50円を2万4千株募集して120万円(実際は100万円集まる)とされました。資本金の大半は京都電灯株式会社が所有し同社の傍系となりますが、同社が関西配電株式会社に統合された後は系列を離れて営業、現在は京阪電鉄系列となっています。【大と22(6-2)】

「土地測量立入願」 大正13年(1924)11月

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鉄道敷設工事にあたっての測量調査願いです。霊山である比叡山への鉄道敷設は難工事の連続でした。延暦寺や日吉大社の要望を受け、大津方面から山を見上げてケーブル線路が一切見えないように、工夫が施されます。2ヶ所のトンネル・7ヶ所の橋梁などが造られ、左右に蛇行して敷設することにより景観の維持が図られました。【大あ70(125-3)】

「創立総会決議録」 大正13年(1924)10月23日

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創立総会は、大正13年10月23日、滋賀県公会堂で開かれました。先の4月28日に開催されていた発起人会で創立委員の一人に推されていた羽室亀太郎(京津電車常務取締役)が社長に就任し、本社を大津市上京町17番地(当時)に置きます。同年11月6日には大津区裁判所に登記を完了し、この日正式に比叡登山鉄道株式会社は設立されました。【大と31(7)】

「坂本停車場平面図」 大正14年(1925)3月23日

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昭和2年(1927)に完成したケーブル坂本駅はケーブル延暦寺駅とともに開業以来の建物であり、モダンな洋風建築としてのたたずまいを見せています。外観には縦長に伸びる窓や珍しい模様のレリーフなどが施されています。大正ロマンの名建築として名高く、平成9年(1997)には両駅ともに国の登録有形文化財に指定されています。【大と36(10)】

「官有土地無料貸付願の理由書」 大正14年(1925)8月10日

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坂本村の住民が、飲料灌漑用水として利用している権現川を村への永久貸付地として現状維持させてほしい、と請願しています。この付近は、比叡登山鉄道の起点となる工事地に予定され、村には特別保護建造物の景観や火災、飲料水の汚濁などへの懸念がありました。しかし、比叡登山鉄道の工事を優先する県の方針から、請願は不許可となります。【大な196(66-7)】

「道路敷設願」 大正15年(1926)4月28日

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比叡山延暦寺から提出された、山上駅から根本中堂までに道路を敷設する願書です。工費は比叡登山鉄道が負担、竣工後は同社に無償提供する契約で、50日間の工程が予定されていました。比叡山に「近代的交通機関の設備を完成し、延暦寺参拝客の登山を容易ならしむること」を目的とする同社にとって、延暦寺との協力関係は必要不可欠なことでした。【大す23(8)】

開業した鉄路

「商号変更届」 昭和元年(1926)12月27日

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比叡登山鉄道株式会社は第4回株主総会において、商号を比叡山鉄道株式会社へと変更し、鉄道大臣井上匡四郎へ届けを提出します。これは大正から昭和へと変わった二日後のことであり、この社名で開業をはたした比叡山鉄道の名は、平成29年で開業90周年の節目を迎えます。【大と39(11)】

「開業年運輸状況」 昭和2年(1927)6月

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昭和2年2月22日に建設費110万8千円をもって完成した比叡山鉄道は、同年3月15日より営業運転を坂本~叡山中堂間(2.025km)で開始します。第5回株主総会で報告された同日から5月までの運輸状況では、合わせて16万9千人の人々が乗車しました。乗車代は、大人上り45銭・下り40銭・往復70銭で、最終的に同年は38万人余りの人々が利用しています。【大と31(12)】

「坂本停車場付近平面図」 昭和5年(1930)5月

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坂本停車場(現ケーブル坂本駅)から始まる線路は、両端高低差484メートル、勾配は最も急な所で333.3パーミル(約19度)、最も緩い所でも169.4パーミル(約10度)あります。その長さは日本で最長であり、今も時速11キロメートル、所要時間11分間で運転しています(平成29年現在)。【大と3合本2(4)】

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