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【コラム】比叡山坂本ケーブル

はじめに

今年は、比叡山鉄道株式会社が開設した比叡山鉄道比叡山鉄道線(通称:比叡山坂本ケーブル)が、昭和2年 (1927年)3月15日に開業して90年を迎える年にあたります。同線は比叡山延暦寺とその門前町として栄えた坂本とをケーブルカーで結び、参詣・登山客の利便を図っている全長2,025mの路線で、日本最長のケーブル鉄道となっています。
今回は、比叡山坂本ケーブルがどのような経緯で敷設・営業されるようになったのか見ていきます。

設立の経過

伝教大師最澄の創建による天台宗の総本山として、古代から人々の篤い信仰を集めていた比叡山延暦寺は、多くの参拝客を受け入れる全国屈指の観光地でもありました。ふもとの坂本には延暦寺と密接な繋がりを有していた日吉大社もあり、比叡山への登山を目指す人々にとっては、反対側の西麓に位置する京都八瀬とならび、有力な出発地点でした。大正末期から昭和初期にかけて、関東および関西地方の各名山にケーブルカーの建設計画が相次いで起こり、比叡山でも琵琶湖方面からの延暦寺参詣を容易にしようと、その敷設事業が計画されます。
そうした中、大津電車軌道株式会社、京都市の柴田弥兵衛ほか19名(比叡登山鋼索鉄道株式会社発起人)、大阪市の上田弥兵衛ほか35名(叡山電気鉄道株式会社発起人)の三者は、大正8年以降、滋賀郡坂本村(現大津市)から比叡山延暦寺に到達するケーブルカー敷設願いを申請し、競願対立の状況に至ります。
しかし、競願では免許の交付は困難でした。そこで彼らは、比叡山に近代的交通機関を整備して延暦寺参拝者の登山を容易にするためには、三者が合同で申請することこそ必要不可欠である、との結論に至ります。
そして、あらためて同11年11月29日、三者合同の形式をとり、比叡登山鉄道株式会社発起人連名のもと、鉄道大臣大木遠吉へ免許申請を出願、二年後の同13年4月、敷設免許を得ることに成功しました。これを受けて、同月28日、発起人集会が開催されます。柴田の他、当時の京津電車常務取締役であり教育界にも関わりのあった羽室(はむろ)亀太郎、琵琶湖鉄道汽船役員薮田勘兵衛と重役藤井善助、そして藤安三之助、川口源之輔の6名が創立委員に選ばれました。5月19日には創立委員会で羽室亀太郎が委員長に推挙され経営の骨格が定まります。
彼ら経営陣にとっての課題は、安定した経営のための資金集めでした。作成された起業目論見書では、1株50円を2万4千株募集して120万円の資本金を得る計画でした【大と22(6-2)】。実際には2万株の応募があり100万円が集められます。そして10月23日、滋賀県公会堂において創立総会が開催され、比叡登山鉄道株式会社が成立します。社長には羽室亀太郎が就任し、本社は大津市と定められました【大と31(7)】。

解体の危機

大正14年(1925)に起工された坂本駅(現ケーブル坂本駅)から叡山中堂駅(現ケーブル延暦寺駅)間2,025メートルの工事は、昭和2年2月27日に竣工します。昭和元年12月27日に社名を比叡山鉄道株式会社に商号変更していた同社にとって(【大と39(11)】)、延暦寺や日吉大社の景観を維持するため数々の困難と工夫を施した難工事でした。そして昭和2年3月15日、ついに比叡山坂本ケーブルは営業運転を開始しました。風光明媚な琵琶湖を望むそのルートは評判を呼びました。その長さは、現在では日本最長として運行されています。また、開業当時の姿を今に残すケーブル延暦寺駅とケーブル坂本駅は、縦長に伸びる窓や珍しい模様のレリーフなどが外観に施され、当時からモダンな洋風の建築として評判になりました。大正ロマンの薫り高い両駅は、平成9年(1997)に国の登録有形文化財に指定されています。
このように現在まで広く人々に親しまれている比叡山坂本ケーブルも一度、解体の危機に陥ります。それは戦中期の昭和20年5月、滋賀海軍航空隊に全施設を接収されたことでした。太平洋戦争が激化する中、来る国内戦に備え、比叡山山上に航空機発射用のカタパルトが建設されることになりました。これは、胴体に爆薬を装備して敵艦隊に体当たりをする航空特攻兵器のための悲惨な装置でした。ケーブルカーは資材運搬のため改造され車掌室のみを残した無蓋車となり、「桜花」と名づけられた航空機の台車走行訓練も成功し、後は実動機の投入を待つばかりとなります。しかし、そのまま終戦を迎え、実際に運用されることはありませんでした。そしてこの装置は、戦後になって米軍の進駐軍により破壊され、一度も実戦に使用されることなく、その役目を終えます。

時代とともに

こうした危機を乗り越えながら、比叡山坂本ケーブルは開業90周年を迎えました。戦後、複雑化する交通網やレジャー産業の多様化の中、車両の新造・線路の改修などのリニューアル工事により時代の波に対応していきますが、比叡山の表参道としての役割は開業当初から継承されています。平成4年からは京阪電鉄グループの一員となり、現在では、年間20万人の人々に利用され親しまれています。

お問い合わせ
滋賀県総合企画部県民活動生活課県民情報室
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