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【展示】時代を映す国勢調査~「文明国」の象徴から総力戦体制へ~

展示期間 平成27年8月31日~平成27年10月9日

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本年は第20回目となる記念すべき国勢調査の年にあたり、これを機として今回の展示を企画しました。国勢調査のはじまりは、明治33年(1900)に世界人口センサスへの参加勧誘を受けたのがきっかけです。そして国内でも、欧米列強と対等な文明国の証として、また国民を統治する上で経済の分野を含む国内の世情を明らかにするために、国勢調査実施への機運が高まり、同35年「国勢調査ニ関スル法律」が成立・公布されました。
今回は、県内において国勢調査がどのように準備・実施されたのか、実施中に生じた出来事も織り交ぜご紹介します。また、琵琶湖の漁師や船舶による輸送を生業とする人々への調査対応など、滋賀県ならではの特徴が見られる史料も展示しました。

【コラム】「文明国」の象徴から総力戦体制に至る国勢調査

第1回国勢調査

「国勢調査に関する法律」 明治35年(1902)

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統計学研究の目的で設立された統計学社と東京統計協会が、明治29年3月、貴族・衆両院の請願委員へ「国勢調査ニ関スル建議」を提出しました。調査以前に行われてきた戸籍に基づく人口推計は、正確な数値を把握する上で問題が生じていたのです。そのため、欧米各国が行う同33年の「民勢大調査」と歩調を合わせて国内の調査を計画し、同35年にこの法律が成立しました。しかし、その2年後に始まる日露戦争により、実施は無期延期とされます。【昭あ158(22)】

「国勢調査唱歌に関する件」 大正9年(1920)6月

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大正9年に実施された第1回国勢調査に際し、人々の理解を得るために行われた宣伝活動の一事例です。県では、唱歌を懸賞付きで県民から募り、1等は当時の公立小学校教師の初任給に相当する金50円、2等は金20円などと定めました。そして選定後は、早々に歌詞の説明をして、各学校の児童・生徒、幼稚園にまで唱歌を一斉に歌うよう周知徹底が図られました。【大さ10(13)】

「一般調査区より除外すべき箇所」 大正9年(1920)5月1日

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大正8年5月に「国勢調査施行細則」が定められます。しかしその中で、一般調査区から除外すべき地域として、宮城・離宮など皇族の住まい、外国大使館・公使館・軍艦、陸海軍の部隊・艦船、監獄が挙げられました。県内では、陸軍の部隊施設と監獄が該当したようです。史料中にある「大津衛戍(えいじゅ)病院」の衛戍とは、当時の大日本帝国陸軍が永久に配備駐屯する地である意味を示しています。除外区域は別に調査手続きを定める旨の規定がありました。【大あ46(151)】

「国勢調査当日琵琶湖水面に於ける船舶居住者の調査」 大正8年(1919)

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琵琶湖で漁業や貨物輸送を営む人々に対する調査方法を示したものです。自宅より出漁し、当日あるいは翌日帰宅する者は住所地で申告させ、船舶で居住生活している人に対しては、漁獲物の水揚げした土地あるいは港湾所在地に一時寄港させ申告させる方針をとりました。【大さ8(6)】

「国勢調査事務視察の件」 大正9年(1920)10月3日

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臨時国勢調査部職員が、調査当日、八幡町(現近江八幡市)に事務視察を行った際の様子を記したものです。この中で、町長と助役の話によると、雨天で相撲が順延した力士約150人が町内に宿泊し調査を行ったが、出生地など不明確な記入箇所があるため便覧を用いて徹夜で記入し、当日の相撲に間に合わせたようです。【大さ9合本2(8-5)】

「第1回国勢調査記念章授与者下調書記載人員表」 大正10年(1921)11月28日

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大正10年6月、第1回国勢調査の記念章が設けられました。章を与えるため、県では各町村から調査業務に関係した対象者氏名を提出させ、その数をまとめ国へ報告しました。実際贈られた記念章は青銅製で、大化年間(645~650年)に中央から地方に派遣された官吏国司が、戸籍の巻物を手に持つ姿を描くデザインでした。【大さ11(3)】

「大正8年末現住戸口と国勢調査に於ける世帯人口との比較」 大正10年(1921)2月7日

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国勢調査以前に行われてきた戸籍に基づく人口推計は、正確な数値を把握する上で問題があり、戸籍への記載漏れも多く発生していました。今回の調査によって、これまでの居住者数と調査後の数値との間で違いが生じていることがわかります。【大さ10(5)】

「国勢調査員ノ新宿御苑其ノ他拝観方ニ関スル件」 昭和4年(1929)12月

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この史料は大正9年の国勢調査員に対し、新宿御苑・京都御所・二条離宮への拝観を許可する旨の通知です。拝観する人員は団体でも可能であること、服装は非礼にならない洋服か、和服であれば袴を着用すること、当日は晴雨によらず拝観することなどが定められています。 【大あ29(32)】

昭和5年の大規模調査

「市町村長会提出事項」 昭和5年(1930)7月8日

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この史料は、大津市の県公会堂で行われた市町村長会において、話し合われた案件の一つです。「欧洲戦乱」、いわゆる第1次世界大戦(1914~1918)後に発生した不況の影響を受け、日本の社会経済事情が著しく変化し、人口分布や産業・職業構成が激変した地域も多く生まれました。そのため2度目の大規模調査では政治経済・社会的資料の収集を重視し、「失業」や「住居の室数」の項目が追加されます。【昭こ341(41)】

大正9・昭和5・昭和15年「国勢調査申告書」

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大正9年の調査用紙は、説明文にふりがなが付けられていることがわかります。また、例えば右上冒頭分にある「国勢調査」の説明において、「国勢調査(このしらべ)は、国民(ひとびと)の生活(くらしかた)、社会(よのなか)の実況(ありさま)をよく知(し)り、・・・」と、意味を理解しやすい言葉で表現されていました。一方、昭和5年の調査用紙からは、政治・社会・経済関係の資料を重点としていたこと、同15年では、日中戦争の影響により、国が軍事動員の際に必要な情報として国勢調査を用いていたといえます。

総力戦体制時における調査

「欧文申告用紙雛形送付の件」 昭和15年(1940)9月2日

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この史料は、国内に居住する外国人を対象とした調査用紙の雛形です。記入の際は、たとえ外国人であっても漢字またはひらがなの日本語によって記入すること、もし日本語の記入ができない時は、国勢調査員が代筆にて記入するよう指示されていました。ここには、当時県内在住の外国人が表としてまとめられており、その中に建築家として有名なウィリアム=メレル=ヴォーリズの名も見ることができます。【昭さ42(67)】

「昭和15年国勢調査ポスター」 昭和15年(1940)8月

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「皇紀2600年」の記念すべき年とされた昭和15年の5回目調査は、同12年より始まる日中戦争が激化する時期にあたり、その影響を受けて調査事項は従来にないほど複雑な調査となりました。そして戦争以前の産業及び職業、指定技能の申告など、国は軍事動員の際に必要な情報としたのです。県が作成したこのポスターデザインも、銃身に付けた日の丸が掲げられ、「正シイ申告興亜ノ礎」と戦争の世情が見られます。【昭さ42(78)】

占領下で行われた調査

「配偶及び分娩周期の関係」 昭和25年(1950)

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7回目調査は、太平洋戦争後、連合国軍総司令部(GHQ)の管理下で行われた初めての大規模調査でした。未婚・既婚の別や、子ども一人に対する分娩周期を調査したことに特徴があります。戦争で死別した配偶者の再婚増加、第1次ベビーブームへの対応がこの調査目的だと考えられます。(滋賀県所蔵)

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