問い合わせ/彦根仏壇事業協同組合
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時は江戸時代。徳川幕府が安定し、泰平(たいへい)の時代を迎える。やがて戦(いくさ)がなくなり、彦根の城下町では武器を製作していた職人が技術を活かして仏壇づくりをはじめた。幕府がキリスト教を禁止したため異教徒でない証拠として、民家に仏壇を設けるようになったのもこの頃からだという。仏壇づくりは彦根藩の保護のもと分業で行われ、城下町と中山道を結ぶ、通称「七曲(ななま)がり」に職人が集まって暮らすようになった。城下へ入る人々は必ずここを通ったため、商売もやりやすく、いろいろな物資や情報が行き交ったことだろう。資料は残っていないが、彦根仏壇の起源はこのように考えられている。現在も七曲がりには仏壇の製作・販売店が軒を並べる。文字通り、道は何度もL字に曲がり、敵の進入を阻む、当時の面影を色濃く残している。
彦根仏壇は当時の分業を引き継ぎ、部品が七種の職人から職人へ移動して完成される。これを工部七職(こうぶななしょく)という。そのため部品は「ほぞ組み」という分解可能な構造になっている。
「木地師(きじし)」欅(けやき)、檜(ひのき)、杉などの木材を吟味して、仏壇の本体を作る。設計図はなく、注文によって「杖(つえ)」と呼ばれる棒を新しく作って製作する。
「宮殿師(くうでんし)」1600種にも及ぶ小さな木片の部品を造り、組み立てて柱や屋根を造る。
「彫刻師(ちょうこくし)」仏壇の装飾部に花・仏・鳥などを100種の彫刻刀を使い分け、丹念に彫りあげていく。
「漆塗師(うるしぬりし)」漆塗りをすることで材木の耐久性を高める。下地→中塗→上塗の順で漆を塗り、さらに研ぎだし、磨くという20工程の作業がある。木材の木目が見えるように塗る「木目出し塗り」は彦根仏壇の特徴である。
「蒔絵師(まきえし)」漆などで下絵を描き、その上に金粉、銀粉、貝などを蒔き、研いで、磨いて、仕上げの線を加筆して仕上げる。豪華さや立体感を出す技法は「泥盛り」と呼ばれる。
「金箔押師(きんぱくおしし)」仏壇の単位は「本」、仏壇一本に千枚以上の金箔を一枚づつ張り付ける。息づかいにも気を遣う繊細な作業である。
「錺金具師(かざりかなぐし)」真鍮板や銅板にタガネを使って彫金(手彫りや手加工)し装飾金具を造る。一本の仏壇に300〜800の金具が使われる。
こうして七種の職人が製作した部品は仏壇問屋が組み立て、仕上げを行って、ようやく一本の仏壇ができあがる。いずれも決して機械化できない、熟練の技を要する手仕事だ。製作には2ヶ月、長いと2年かかるものもあるという。
今は葬祭を機に購入する場合が大半で、仏壇が本来の仏教崇拝ではなく故人崇拝のためになってしまっている。昔はほとんどの家に仏壇があり、ご先祖様に手を合わせ、時に仏教の教えに耳を傾けた。祖父母も同居が普通で家の中でいろいろなことが伝えられてきた。核家族化、価値観がずいぶん変わり、信仰心とともに人間関係も薄れてしまったのではないだろうか。人のゆがんだ心が引き起こす悲痛な事件が後を断たない。産地では伝統を守りながら、同時に仏壇のあり方を見つめ直している。
(取材:2008年1月)
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