「~っぽくする」「〇〇テイストで」「なんとか風に」などいろんな表現がありますが、それらはすべて何かの真似(まね)をすることです。真似というと、「パクリ」、「オリジナリティがない」など否定的な印象がありますが、そもそも私たちは真似する動物であり、むしろきちんと真似ることが成長や独自性につながるという面もあります。
例えば赤ちゃんを思い浮かべましょう。赤ちゃんは様々なものに興味を持ちます。なかでも人に対する敏感さには素晴らしいものがあります(養育者と似た声の人が頭上から声をかけると、間違うこともありますよね。赤ちゃんは背が低いので…)。そうして「ちょうだい」「どうぞ」ができたり、「バイバイ」ができるようになっていきます。
これらはみな「模倣(もほう)」のたまものです。そうやって、適切なふるまいを身に着け、社会に招き入れられていくのです。しばらくすると「同一化」という現象が見られるようになり、周囲が持っている物を欲しがり、ファッションを真似るようになります。「推(お)し」のグッズを身に着けることもしかり。人は人生のほとんどを真似して過ごしているのかもしれません。
しかし年頃になると、「自分って何だろう」という問いが生まれます。「人と比べて自分は何が得意だろう?」「頑張ってやってきたけど、それって親の期待だったのかも」など、自分に対して疑いの気持ちが生じ、不安や緊張が訪れます。
~「私はどうやって今まで“私”をしていたのだったっけ?」~
それはまるで、踊り方を尋ねられた途端、ステップが踏めなくなった昔話のムカデのようです。こういうとき試してみたいのが、意識的に誰かに「なってみる」ということです。「発表が緊張する」のであれば、憧れの先輩になってみましょう。先輩なら、どんな話し方をしますか?どんな表情を作りますか? もちろん「先輩」になりかわるのは3分が限度かもしれません。しかし一瞬でも「誰か」になれたことは、自分でその表現をしている、という点では「私らしさ」の一歩です。「意識的に」というのがミソで、そこに自分の工夫が入るからです。
そう、オリジナリティは細部に宿るのです!真似からのズレ、原版のアレンジによって文化が発展してきたように、借り物の型から始めて、それを使いこなせるようになったときに、あらためて私たちは「自分ってまあこんなもんだよな」と受け入れられるのではないでしょうか。