横山丘陵南端尾根東よりの丘陵上に立地する全長四六.二mの前方後円墳である。この古墳は、明治一五年に神社参道拡幅工事に際して発見され、家形石棺を納めた横穴式石室の存在が明らかになったもので、石室の内部から倣製(ぼうせい)の銅鏡二面(獣文鏡・五鈴鏡)、金銅製冠、鉄刀、水晶製三輪玉(みわだま)、鉄製刀子(とうす)、馬具(轡(くつわ)・杏葉(ぎょうよう)・鞍金具(くらかなぐ)・鐙(あぶみ)・雲珠(うず)・辻金具(つじかなぐ)・吊金具(つりかなぐ))、須恵器(蓋杯・提瓶(ていべい)・台付広口壺・広口壺・大型器台)、赤色顔料、前方部から銅鏡一面(内行花文(ないこうかもん)鏡)、鉄剣、鉄塊、墳丘から埴輪が出土したと伝えられている。
当古墳は、古代天皇家と深い関わりのある息長(おきなが)に関係する古墳と考えられ、近江だけではなく、日本の古代史を理解する上で欠かすことのできないものとして、その出土品の一部が昭和三二年八月二六日に考古資料として県の指定を受け、県立琵琶湖文化館の開館にあたる昭和三六年四月一日に同館に寄託された。さらに、昭和四四年九月一二日には、古墳そのものが県の史跡に指定されている。しかし、出土品の中で、渡来系氏族や朝鮮半島との関わりを示す金銅製冠、馬具のうちの木製壺鐙に付属する鳩胸金具および吊金具、鉄刀・鉄剣などの武器の一部、時代を決定する須恵器類の一部、葬送儀礼の解明に必要な赤色顔料など、寄託品以外のものが未指定の状態のままで山津照神社に残されていた。その後、平成六年度に、京都大学文学部考古学研究室により調査・報告され、また、既指定品が平成一三年一二月二五日に県立安土城考古博物館へ寄託替えされたのに伴い、同館によって未指定分を含めて保存処理・整理が行われた。そこでこれを機に明治年間に出土した資料を一括指定することとなった。
※?=金へん+交