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延暦寺慈眼堂

  • 名称 延暦寺慈眼堂【えんりゃくじじげんどう】
  • 員数 1棟
  • 構造形式 正面三間、側面三間、一重、宝形造、桟瓦葺

附厨子1基、一間厨子、入母屋造、妻入、正面軒唐破風付、こけら葺 附釣燈籠2個、承應元年壬辰十月二日の刻銘があるもの 附石燈籠16基、慈眼大師御寶前、承應元年の刻銘があるもの6基、慈眼大師御霊前、承應二年の刻銘があるもの6基、慈眼大師御霊前、承應三年 の刻銘があるもの2基、慈眼大師御寶前の刻銘があるもの2基

  • 所有者 延暦寺
  • 所有者の住所 大津市坂本本町4220
  • 所在地 大津市坂本四丁目
  • 時代 江戸時代(正保3年=1646年)
  • 説明

延暦寺慈眼堂は、慈眼大師天海(てんかい)大僧正(?〜1643)の廟所であり、木造慈眼大師 坐像(重要文化財)を祀っている。天海は、徳川家康・秀忠・家光の三代将軍に仕えて その信任厚く、慶長12年(1607)比叡山南光坊(なんこうぼう)に住し、織田信長の焼き討ちによ り荒廃した延暦寺の再興に尽力した。また、日光東照宮・輪王寺や東叡山寛永寺などを 創建するなど、多くの業績をのこした近世天台宗の傑僧である。慶安元年(1648)、 後光明天皇から慈眼大師の諡号を賜っている。
慈眼堂の建立年代は、棟札などの直接的史料を欠くが、『天台座主記』『山門堂社由 緒記』などによると正保3年(1646)と伝え、木鼻(きばな)や虹梁(こうりょう)、火灯窓(かとうまど)の様式などから も、その頃の建立であると考えられる。
建物は高く築かれた基壇上に建ち、四面とも中央間を広くとった方三間で、屋根は宝 形造(ほうぎょうづくり)、桟瓦葺(さんがわらぶき)で、頂部に露盤(ろばん)・宝珠(ほうじゅ)を載せている。軒は二軒繁垂木(しげだるき)とし、内部は後方2本に来迎柱を立て、来迎壁、須弥壇、厨子を設けている。全体として、桟唐戸(さんからと)、火灯窓(かとうまど)、頭貫木鼻(かしらぬききばな)の彫刻、床を張らない内部など禅宗様の建築様式を特徴としているが、軒の平行垂木や中央間の吹寄菱格子などに和様の要素を採り入れている。本県において遺 構の少ない禅宗様式の近世における典型例として、内部の厨子・須弥壇ととに質の高い 貴重な建築である。
また、堂の建立からあまり時を経ず整備された、釣燈籠や石燈籠などが堂と一連の存在となって独特の廟所景観を形成しており、その点でも高く評価できる。

延暦寺慈眼堂
火灯窓