経蔵は、本堂北東の一段高くなったところ、三十八所権現社本殿の背後に建つ高床の校倉で、かつては国宝淳祐内供筆聖教(しゅんにゅうないぐひつしょうぎょう)や重要文化財石山寺一切経(いっさいきょう)・校倉聖教(あぜくらしょうぎょう)等を収蔵した建物である。
建築年代は明確ではないが、木鼻(きばな)の意匠や校木(あぜぎ)の断面形状、垂木(たるき)や桁の反り増しの形状などから、16世紀後期頃の建立と考えられる。
建物は桁行(けたゆき)三間、梁間(はりま)二間の高床校倉(たかゆかあぜくら)で、屋根は切妻造(きりつまづくり)、桟瓦葺(さんがわらぶき)で、東面して建っている。
経蔵は、桁や垂木に反り増しを用い、台輪(だいわ)と校木を同高に納める技法をもち、建物全体に極めて保存状態が良好である。
県下における数少ない校倉造の遺構の一つで、そのなかでも最古である。さらに、全国的にも類例の少ない切妻造の校倉としても極めて貴重である。
さらに、石山寺にとって重要な教典や聖教が良好な状態で収納されていた建築としても価値が高い。