薬師堂は、滋賀県最北部の余呉町を南流する高時川上流の狭小な谷間に開かれた上丹生の集落に所在する。
薬師堂は、現在、上丹生の源昌寺の所属となっているが、隣接する八幡神社の神宮寺と伝える。宝永5年の棟札によると、医王山長福寺と号し、延暦年中(782〜805)の草創と伝え、本尊薬師如来立像を安置している。現在所属する源昌寺は元は真言宗の寺であったが、永享年中(1429〜1440)に余呉町菅並の洞寿院末となり、曹洞宗に改宗され、現在に至っているが詳細は不明である。
薬師堂は、棟札や、奉加帳の版木などから、宝永5年(1708)に建築された。
建物は桁行七間、梁間三間の妻入、屋根は切妻造の桟瓦葺で、ほぼ南面して建っている。外観は、屋根を切妻造の桟瓦葺とし、正面一箇所、右側面一箇所に入口、正面二箇所、右側面二箇所、左側面二箇所に窓を設ける以外は全て竪桟付きの板壁とする。
正面から奥行き五間を広い一室の外陣とし、中央間の後方二間を内陣とする。内陣は周囲を間仕切り、入母屋造、妻入の一間厨子を安置し、まわりに多数の仏像を祀っている。
薬師堂は、一般的な仏堂とは趣が異なり、切妻造、妻入で、奥行きが長く、身舎と庇によって構成される古代以来の二面庇形式の仏堂である。柱が太く、大梁、繋梁による架構で、束を立て屋根を造り、装飾性を排した素朴な建物である。このような独特の形態を持つ仏堂は、本県においても、伊香郡の限られた地域にのみ伝えられ、また、この建物がこれまで地域住民の信仰のよりどころとして守られ続けてきたこともあわせて、本県の地域性を帯びた建造物として、極めて貴重である。