禾津頓宮跡は、湖西南部の狭小な平野部を構成する相模川の扇状地の中央部付近に位置し、江戸時代には膳所藩の藩校である遵義堂が営まれた場所にあたる。また、その東には近世東海道が通過し、南には膳所神社が鎮座する。
平成14年度に滋賀県が実施した発掘調査では、8世紀中頃の大型建物跡が検出された。東西7間(20.8メートル)×南北4間(11.9メートル)・床面積247平方メートルの大型建物で南北二方向に庇を取り付ける。直径40センチメートル以上の柱を整然と並べ、丁寧に版築された堀方埋土など、その規模や構造は、宮都関連遺跡の中心建物などに見られるものと一致している。また、8世紀中頃の、きわめて短時間に建築・利用された後に、解体されたことも確認された。
こうした特徴などから、この建物跡は奈良時代の聖武天皇の東国行幸に際して営まれた「禾津頓宮」の中心建物であると推定された。この禾津頓宮の確認までは、頓宮といえば仮設的なイメージを抱きがちであったが、この建物跡は2日間の仮設建物という先入観を覆す、まさに本格的な大型建物であることを明らかにした。
聖武天皇は、その治世の中で、「彷徨五年」と呼ばれ、東国行幸に始まり、恭仁京、紫香楽宮、難波京を転々と移動する期間を過ごす。その理由については諸説あるが、今回の発見では、「東国行幸」が相当に計画的に進められた可能性を伺わせるとともに、それを可能にした当時の天皇権力の在り方など奈良時代の歴史を考えるうえでも、重要な成果を納めた。
また、聖武天皇の彷徨五年は、「東国行幸」において滋賀県を通過したのみならず、これを契機として、紫香楽宮の造営や、その地での大仏建立など、当時の近江国が政治・文化の中心地となる時代の幕開けであり、滋賀県の歴史とも密接に関連するものである。
禾津頓宮跡は、こうした聖武天皇の時代と近江との関係を象徴する遺跡であり、今回これを指定し、保存するに相応しいものである。
参考文献:滋賀県教育委員会・財団法人滋賀県文化財保護協会『膳所城下町遺跡大津市膳所二丁目』平成17年3月