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滋賀県民一人ひとりの戦争体験および当時の資料等を紹介しているサイトです

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HOME > ライブラリー > 滋賀県民戦争体験談集シリーズ「記憶の湖」 第4巻 「外地」の県民

第4巻 「外地」の県民

 戦時下を開拓団や青少年義勇隊等への参加で満州(中国東北部)で過ごされた方、朝鮮半島で学生生活を送られた方など、いわゆる「外地」で戦時下を過ごされた方々の当時のくらしの様子や戦後の引き揚げの際の体験談を掲載しています。

■掲載体験談数:16
■ページ数:327ページ(B5版)
■発行年:平成11年(1999年)8月





目次

鍬と銃

学校の床の上で死ぬくらいなら開拓地へ帰ろう、帰れば自分たちの農作物の残りがあるからそれでも食べて、そこで死ぬんやったら本望やと言うて、皆また歩いて琿春の街へ帰ったんです。琿春の街に着くまでに八日ほどかかったんやね。遅い人は二十日以上かかりました。

満州吉林の「近江屋」

近江屋ちゅう店を出したんです。物を仕入れてきて、ほれを隊員が売りに歩くという生活になったんです。タバコの葉を刻んで、辞書を破ってそれで巻きタバコにして売りに行ったり、餅を仕入れて売りに行ったり、それがけっこう売れるんです。

浜千鳥のうた

妹をなんとかして連れて帰らなあかんと思って、私は行ったんですねん。そうしたら妹は日本語をすっかり忘れてしまったみたいで、中国人のかっこうをしてるんですわ。そりゃあ預けられて半年以上になるから。私は妹をなんとか誘い出そうと思って、「あっちゃん、あっちゃん」と小さい声で言うんやけど、ぜんぜん見向きもせえへん。それで、「あっちゃん、姉ちゃんやがな」、言うたらふっと見て、「あっ、姉ちゃんや」とやっと日本語で言うたんやわ。

子どもの目で見た満州

駅から三時間くらい馬車に乗って行ったと思うんですがね。青溝子村というんでしたかね。そこの、もういっせいコウリャンがなる畑の景色というのは忘れられないです。

田んぼの足跡

年寄りが田んぼしてはるさかいに手ったいに行ったら泣いてはった。ほして、田んぼに足跡がついたると「あの子の足跡やで」ゆうて泣いてはるで、ちゅうてよう手紙がきてましたがなあ。

淡海郷の二人

もう次々とほとんどの男の人は兵隊に行ってしまって、あとは女と子どもばっか。部落の真ん中に集会所があってそこに皆いっしょに寄って、何かおきたら私が本部へ連絡に馬で走るの。夜中でも本部から連絡がくると馬で行くんだけど、オオカミが前に立ちよったら馬が動かへんの。ビャンズという綱でバンバンと馬をたたいて、馬を走らせて行きました。

「田桂芝」という名前

主人は私より五つ上でした。私は言葉もわからへんし、どこにも誰もいやへんし、日本には帰れへんのやし、もう死んだ方がましやと思ってました。川が近いから川辺に行くと、主人がじきに追いかけてきて死んだらあかん、死んだらあかんって。グイッて引っ張って帰ってくる。そんなことが何回かありましたよ。

新婚の開拓村

ほかの郷ですと年寄りがいてはるとこもありますけど、私のとこは全部新婚家庭でしたでな、尋ねるとこあらあしませんやろ。ほいで本を見て産婆さんの勉強しましてな。近くの奥さんらの子どもさん、何人も面倒見ましたわ。

満州の平原を夢見て

その中に山中峯太郎さんの書いた少年向きの小説『大東の鉄人』、『亜細亜の曙』というのがありました。『大東の鉄人』の舞台が興安嶺で、『亜細亜の曙』の舞台は満州の大草原であったと思います。少年小説の影響か、その頃から満州に行ってみたいなと思ってたんです。

行きは大勢、帰りは一人

いっしょに義勇隊として満州に行った甲賀郡の仲間は二十数人だったけど、引揚船の中では義勇隊の人間はぼく一人やった。帰国すると、近所の年寄りが「うちの息子が満鉄に行ってるのやが、どうしていたか」いうて聞いてこられた。いっしょにいった仲間は、広い満州でバラバラになって、わからないと答えるしかなかった。

襲われた開拓村

次の順番の者が前の者を順番に殺していくんです。軍刀で介錯とかもやっていたんですけどね。撃つ方、殺す方もはじめてで、なかなか死ねへん。

兵隊さん生きてるやないか

入隊した者は行く順番が番号で決められてましてね。敵が来た時にはお前が出て行くんだちゅうのははじめから割当てされている。肉弾でもって敵を防ぐ。それ以外に方法は何もなっかたんやないですか。実際、戦友なんかが順番に死んでいくんですね。

☆地図「満州国地図」

解説 「満州移民と滋賀県民」

満州移民の始まり
滋賀県からの移民
いろいろなかたちの移民
移民の奨励
満州の土地
満州の人々
開拓の村
青少年義勇軍開拓団
満州移民の「終戦」
帰らぬ人々

南満州鉄道(満鉄)勤務

朝鮮からの学徒出陣

将来は内地で商売させる者と外地でやらせる者という予定だったんだけど。終戦で外国資本が閉ざされて店がつぶれちゃったでしょ。店員さんは滋賀県の人にお願いして朝鮮や満州に行ってもらったのに裸一貫で帰ってこられた。

北京の女学校

祖母が、北京に行く時に、海渡るんやったらいっしょよ、と言ったの。その頃は、日本がわりあい外に広がってるから、北京に行くのは遠い外国とは思わなかったんかも。

小指の遺骨

次男と三男は、父親の跡を継いで、二人とも陸軍幼年学校、陸軍士官学校へと進みました。軍人の道を選んだこの二人は、戦死しました。それに対して悔いはないと思います。覚悟はできていたと思います。

解説 「外地」とは

三百万人の帰還
「外地」というもうひとつの日本
「外地」の人々

☆地図「外地」の範囲図

滋賀県民戦争体験談集シリーズ「記憶の湖」 各巻の目次


▶各巻の概要紹介


第1巻
女性たちの戦争体験


第2巻
子どもたちと戦争


第3巻
戦争の中の青春


第4巻
「外地」の県民


第5巻
戦場と県民


第6巻
「暮らしの中の戦争」


第7巻
戦場と県民 2


第8巻
「暮らしの中の戦争」 2


第9巻
中国・朝鮮半島での県民の体験

県民の戦争体験冊子「戦争なんか大キライ」県民の戦争体験冊子「戦争なんか大キライ」

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