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滋賀県民一人ひとりの戦争体験および当時の資料等を紹介しているサイトです

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HOME > ライブラリー > 滋賀県民戦争体験談集シリーズ「記憶の湖」 第1巻 女性たちの戦争体験

第1巻 女性たちの戦争体験

 戦場へ行った夫の帰りを待っていた方、満州で終戦を迎えた方、夫の戦死後教師になった方や食糧不足のなか子どもを亡くされた方など、女性たちの戦中戦後の生活の様子や思いなどを掲載しています。

■掲載体験談数:12
■ページ数:207ページ(B5版)
■発行年:平成9年(1997年)8月





目次

「もんたで」

「帰ってくるで、あとたのむ」ちゅうて出ていかれましたんやでなあ。戦死公報がくるまではずーっと待ってました。戦死公報がきても、二、三年は「もんたで」ちゅうて帰ってきてくれはるかなと、ほんまに思いましたなあ。

☆地図 「昭和十八年頃のアジア・太平洋地域」

「遺骨」の音

遺骨とかあらへんしね、もう木の箱にね、木の端が入ってたんです。死亡通知みたい簡単なもんと、木切れが送ってきたんです。カタカタ、カタカタと音がしたんや。

わからない戦死した場所

戦死公報は、昭和二十一年の十一月二十五日にきたから、一年以上待ってたわけです。でも主人の友達の方から届いた内報では別の場所で戦死したことになっているんです。内報と公報とどちらの内容が正しいんやと聞き直したら、内報は私信、私の便りやから、この公報が正しいという証明書がきたんですわ。

凍った土

八月に内地に引揚げる時、前の年の冬に死んだ赤ん坊の遺体を、掘り起こして焼いてもらって、お骨だけは持って帰りました。掘った時、まだそのまんまの姿でしたわ。腐りませんから。満州は零下四十度からになりますから。

「満州」とは

☆地図 「満州国地図」

終戦二十日前の出征

主人は昭和二十年七月二十五日に入隊して、それっきりです。入隊して二十日で終戦になりました。負けるに決まってたのに、何で連れって行ったんやろうと思ってほんとうに悔しかったんですわ。

戦争で教師に

私のように戦争で主人を亡くした人を教師にする制度があって、私は教師になれたんだけど、終戦当時は二百五十万人のそういう人がいたの。思えば、主人の戦死公報が、もっと後になってきていたら、教師になれなっかたかもしれないの。終戦後、私が熊本女子師範に入ってる時に、師範学校に入りたいといって来た人がいたけど、もうマッカーサーが来てて、その制度はなくなっていたの。みな断られていたけど、あの人たちはどうなっているのかなぁ、と思う。

☆地図 「昭和十八年頃のアジア・太平洋地域」

病院の空襲警報

肺炎を起こしている子を動かすわけにもいかんし、もう度胸をきめて、もしもここに爆弾が落ちて死んでも、この子といっしょならしょうがない、私だけ助かるわけにはいかんし、この子といっしょに死のうと思って、病室におりましたわ。情けないけど、もうしょうがないしね。

かわいそうな紀代子

おじいさんが亡くならはったその後ですわな。七つの紀代子が死んだんは。おじいさんの葬式のとき、紀代子が泣いて、泣いて、焼香に行きませんねん。その後、すぐに死ぬなんて、私にはわかりませんやん。あの紀代子が死ぬとは。もう、痩せて、三つぐらいの子どもみたいになって、「おっかちゃん」言うて、死んでいきました。食べられませんのや。食べるもんがないんやて。注射かて、ええのがありませんしな。

夢枕

主人が亡くなったその前の晩に、夢を見たんです。うちの玄関に、主人が軍服を着て、すっと立ってるんです。私、びっくりして、「凱旋ですか」って言うたんです。ほしたらしょぼんと静かに立って、もの言わないんです。その次の日に亡くなってたんですけど、最後に会いにきてくれたんやなあと思います。

安らかになっていった死に顔

主人の持って帰った水筒にお湯を入れて、湯たんぽがわりにして、主人の遺体のそばに三日間いました。三日目に主人の死に顔をのぞき込んだら、戦地でかかった病気で化け物みたいになっていた顔が、腫れもひいて、顔がこうきれいになっていました。私になあ、あんな顔見せてたらいかんで、こんな顔になってくんねやろかと思って、だんだん顔がきれいになってきてね。もう、惜しいように思いました。

紙切れで知らされた戦地への出発

ほんなにわかに戦地に発たはるとは、思うてやしませんなんだら、どこでほかさはったんか知らんけど、紙切れに、こうして発つさかいに、出会いに来られたら来てくれちゅうて、京都の叔母の家の宛名に書いて、ポイとほかしとかはったらしわ。ほれを拾うてくれはった人が、親切にございましてんなあ。叔母の家に知らしてくれはったんです。

早かった戦死

家もいろんなところをさがしたけど、思うようなところがないし、小さいけどこれを買っといて、また大きいところにかわるわ、いうて出征していったんですよ。子どもが学校に行くようになるまでには帰ってくるいうて、手を振り上げて出ていきましたけどなぁ。その時は戦争も激しい時とちがうし、まだ勝ち戦のときやったから、まさか亡くなるとは思ってなかったしね。みなは提灯行列で帰ってはるのに、うちとこは帰ってきはらへん。あの時はほんまに悲しかったですよ。

滋賀県と戦争

一.戦争と人々のくらし
二.満州へ
三.子どもたちのくらし
四.空襲の被害
五.戦地の体験
•陸海軍市郡別戦没者数
•年代別戦死者数
•陸海軍地域別戦没者数
•年表 「国内外のできごと」
•年表 「滋賀県のできごと」

滋賀県民戦争体験談集シリーズ「記憶の湖」 各巻の目次


▶各巻の概要紹介


第1巻
女性たちの戦争体験


第2巻
子どもたちと戦争


第3巻
戦争の中の青春


第4巻
「外地」の県民


第5巻
戦場と県民


第6巻
「暮らしの中の戦争」


第7巻
戦場と県民 2


第8巻
「暮らしの中の戦争」 2


第9巻
中国・朝鮮半島での県民の体験

県民の戦争体験冊子「戦争なんか大キライ」県民の戦争体験冊子「戦争なんか大キライ」

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