「大津絵の店」5代目高橋信介さん

「庶民に愛されたユーモラスな民画”大津絵”。 独特の雰囲気は、現代のゆるキャラににも通じる」

「大津絵の店」5代目高橋信介さん

大津絵は、江戸初期に滋賀県大津市で生まれた民俗絵画です。大津絵のように無名の絵師や職人により大量生産された絵は、民芸運動の創始者、 柳宗悦により「民画」と呼ばれるようになりますが、現在、日本で商業として残っている民画は大津絵のみ。江戸時代と変わらず、今も手描きで大津絵を描き続ける唯一の絵師、五代目高橋松山を名乗る高橋信介さんにお話を伺いました。

東海道のお土産として親しまれた庶民の絵

――大津絵の発祥について教えてください。


江戸時代の初期には、すでにこの辺りで仏画を売っていたという記録が残されていて、それが大津絵の始まりだといわれています。当時はまだ仏壇も数珠もない時代。一般庶民にとって仏像や仏画は非常に高価なもので、そういった信仰の対象はお寺で拝むものでした。それが江戸時代になって平和な時代がやって来ると、庶民が手頃に買えて、信仰できる何かが求められるようになるわけです。そんな時代の要望に応えるように、名もない絵師たちが庶民の食事一回分に満たないような値段で、簡易な仏画を描いて売るようになったのが大津絵の始まりです。

――大津絵はどうやって広まっていったのでしょう?


現在でいう京阪大谷駅から山科までの間に、当時は大津絵を売る店が何軒も並んでいました。江戸時代の初期といえば、東海道を使って旅をする人が急激に増えた時代。特に京都への出入り口にあたるこの辺りは、日本でも有数の最も人通りの多い場所だったそうです。大津絵が栄えたのは、街道のお土産になったというのが大きいでしょう。当時のお土産といえば、食べ物や生ものは保存がきかないので絶対に無理。陶器は重いし割れる。では一番いいのは、軽くてかさばらずに、長い間歩いて持って帰るのに適したものなんですね。大津絵はちょうどポスター状にくるくると巻いて持って帰れるので、非常に手軽でお土産として旅人たちに好まれました。仏画はもちろん、人々の要望に沿って様々なモチーフが加わり、バリエーションも増えていって、とにかく大量に描いて、大量に売れたそうです。

効率化を極めた結果、長く描かれる唯一無二の存在に

――大津絵の特徴は?


大津絵が生まれた頃、江戸ではちょうど浮世絵が流行り始めていました。東は浮世絵、西は大津絵といった感じでしょうか。浮世絵も大津絵と同じように庶民の絵として流行していきますが、コストを下げて大量に制作するために木版画の技術を採用して、どんどん分業化されていきます。それに対して大津絵は、同じように大量に安く売る方法として、絵を単純化し、職人が腕一本で同じ絵を早く繰り返し描き続ける技術を身に付けていきます。早く描くのに邪魔になる要素は削る、という工夫がなされたんですね。同じ絵を何十枚、何百枚とひたすら描き続ける。印刷機を生身でやるようなものです。一番近いのは、陶器や人形の絵付けでしょうか。大津絵は芸術品というより、あくまでも大衆が大衆のためにつくった日用品だったのです。

――どんな道具を使って描かれるのですか?


画材は泥絵の具で、使うのは7色のみです。泥絵の具は昔、歌舞伎の舞台に使う大道具や、銭湯の壁の絵を描くのに使われた塗料で、安くて大量に手に入る画材でした。鬼の顔を塗っている朱色は「丹」という絵の具で、かつては神社の鳥居や頬紅などに使われていました。今はすっかり特殊な画材になってしまって、泥絵の具で描かれている大衆向けの絵は大津絵の他にはないと思います。

――現在、大津絵の絵師は高橋さんお一人だと伺いました。


かつてはたくさんの職人がいたそうですが、今は私一人です。うちは代々大津絵を描いてきた家なので、修行をするというより、家業を手伝って真似して描いているうちにいつの間にか覚えていったという感じ。今私が描いている絵柄は、それぞれの時代で生き残ったものです。色の配色にしても形の単純化にしても、非常に計算されていて無駄がありません。よく「1枚描くのにどれぐらい時間がかかりますか?」と聞かれますが、大津絵の場合、1枚だけで描くことはまずありません。描く時は10枚、20枚単位を1~2週間かけて仕上げます。まず色をポンポンと置いていくことから始めて、例えば「今日は黄土色をやろう」と思ったら、鬼の黄土色の部分を10枚やって、次は藤娘の黄土色の部分だけを10枚やります。非常に効率的な分、形を全部覚えていないとまず描けません。浮世絵の方は、版元が大きくなって出版社に変わった結果、明治以降は印刷に移行して職人がいなくなりました。ところが大津絵の場合は、手描きができる職人が一人でも残っていたら描けてしまうので、しつこく描き続けた結果、現代まで残っているんですね。

日本各地で愛された元祖ゆるキャラ

――今はどんな絵柄が人気なのでしょう?


今、この時代に一番人気があるのが「鬼」です。鬼が衣を着て念仏を唱えている絵(「鬼の念仏」)は、いつの時代でもベスト3に入るぐらい人気があります。もともとは元禄時代にできた絵で、「いくらお坊さんの格好をしていても、中身が伴っていないと鬼にしか見えませんよ」という意味が込められた、偽善を戒める絵といわれています。大津絵にはこのように風刺的な意味のあるモチーフもありますが、辛辣な社会風刺というよりは、もう少しキャラクターが前面に出たユーモラスな感じ。関西好み、京好みの雰囲気があって、今のゆるキャラににも通じるのかもしれません。

――かつて旅人たちに持ち帰られた大津絵は、日本中に残っているのでしょうか?


昔、大津絵を買った人が関東や東北に持って帰ると、鬼だから厄除けになるとか、子供部屋に貼っておくと夜泣きが止まるとか、手にした人それぞれの解釈でお守りに使われることもあったようです。今でも群馬県や栃木県に行くと、小さい頃、この絵がわざと逆さを向けて部屋に貼ってあったとか枕の下に大津絵の鬼の絵を敷いて寝たとか、独特の風習のようなものを覚えている方もおられます。他にも、浅草の浅草寺で売られている護符には藤娘によく似たデザインが施されていますし、伊藤若冲が大津絵を描いていたとか、ピカソやミロが大津絵を所有していたという記録も残されています。大津絵は街道に乗って全国各地に運ばれた結果、その土地の文化と融合しながら今も人々の暮らしに根付いているんですね。