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【展示】近江八景の近代~受け継がれていく風景~

展示期間 平成29年5月29日(月曜日)~平成29年7月27日(木曜日)

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7月1日は「びわ湖の日」です。古来から琵琶湖周辺は風光明媚な地として人々に愛されてきました。その中でも、最も有名な景観が、江戸時代初期にパッケージ化された「近江八景」です。近江八景とは、瀟湘八景に倣って選ばれた8つの名勝で、一説では膳所城からの眺望を詠ったものだと言われており、江戸時代後期に歌川広重の浮世絵で広く普及しました。
一方、現在の近江八景をみてみると、「石山秋月」「三井晩鐘」など時代が変遷しても変わらないものや、「粟津晴嵐」「矢橋帰帆」のように、既に失われた風景もあります。また、「瀬田夕照」の舞台である唐橋は、その色をめぐって現在でも議論がなされてきました。江戸時代には、どの場所も等しく名勝として親しまれた近江八景ですが、現在のあり方は大きく異なっています。
今回の展示では、よく知られている浮世絵で描かれた景観が近代になってどのように変わっていったのか、その歴史をご紹介します。例えば、唐橋は明治から大正期にかけて3度架け替えが行われていますが、この間に木橋から鉄橋へと徐々に近代化されました。
あまり馴染みのない「近江八景の近代」について、県の歴史的文書を通じて皆様に知っていただくきっかけとなれば幸いです。

近江八景とは

「琵琶湖風景湖畔名勝旧跡 附詩歌文章」 近代

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琵琶湖湖畔の名勝・旧跡を、詩歌とともに紹介したもので、近江八景は1番初めに登場します。八景の略説や、それぞれどのような情景が評価されていたのかなどについても記されています。【資543】

守られてきた近江八景

「唐崎神社巨松杖木取替目論見」 明治17年(1884)11月21日

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唐崎の二代目松を支える杖が腐朽しているので、その取り替えを行うために日吉神社から提出された目論見書です。唐崎の老松は枝が四方に大きく広がっており、その枝は沢山の杖木によって支えられていました。この枝木の多さは老松の雄大さを表すものでもあります。今回は計27本の杖木が取り替えられることになりました。【明ち330合本2(11)】

「明治神宮進献木調査書」 大正10年(1921)11月2日

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明治神宮へ唐崎の松の孫松を献木した際の関係資料です。この孫松は唐崎の松(二代目)の種子を採取して播種したものです。当時、明治神宮の造園のため全国から献木が集められており、滋賀県からも多くの樹木が進献されました。この孫松は、堀田義次郎知事が日吉神社の宮司笠井喬より名木唐崎の松の孫松があることを聞き、献木されることになりました。【明ち338合本3(25)】

「保勝会事業資金募集趣意書」 大正10年(1921)10月

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「唐崎の老松・小唐崎の松保勝会」による樹木培養維持保存事業の資金募集の趣意書です。近江八景の一つとして、また霊木として有名な唐崎の老松(二代目)が寿命を迎えつつあり枯れてきていること、後継樹(三代目)がまだ幼くその代わりとなるほどに成長していないこと、さらに、この近くにある小唐崎の松(老松の種子から育てた松)の姿が老松に似ており名勝唐崎を支えうるものであることを挙げ、これらの保全・培養を行うことへの援助を求めています。【大こ7(1-8)】

「園城寺境内絵図」 明治28年(1895)6月

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内務省は、明治28年(1895)4月、内務省訓令第3号により、各道府県に県内の保存すべき古社寺の取り調べを命じました。これに対し滋賀県は、寺院の所在地や本尊、事由、建物などの調書と境内絵図をまとめた「寺院建造物調書」を作成しました。この絵図は、その内の園城寺(三井寺)に関する調査書に添付してあるものです。【明す658(9)】

伝統と近代技術の融合した近江八景

「東海道勢田橋改築方諮問案」 明治23 年(1890)

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明治23年度の臨時県会における東海道瀬田橋改築の諮問案です。提出された諮問案は、金8万円で鉄橋に改造するというものでした。この鉄橋案に対して、県会では多くの反対意見が出されました。例えば林田騰九郎は、近江八景のひとつとして風致を保存するという点においても「旧体ノ如キ木橋」であるべきだと主張しています。結果として過半数が反対し、この改修案は否決されました。【明に21(1)】

「国庫補助金に関する陳情書」 大正13年(1924)10月23日

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明治27年(1894)、瀬田橋架け替え工事費への国庫による補助が確定せず、工事も先延ばしにされていました。この状況に、明治27年5月には、滋賀県の有志らが、瀬田橋は「千古ノ歴史ニ関係アル国ノ名勝」であるので、「相当ノ補助ヲ与ヘ之ヲ保存」することは「国家適当ノ務ナリ」といった内容の陳情書を提出するなど、積極的に働きかけました。しかし、結局国の補助を受けることは出来ず、明治28年に全額県の負担で架け換えられました。【明に21(41)】

「渡船請負契約書」 明治26年(1893)5月23日

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渡船の請負人から知事に出された業務内容に関する契約書です。古来から瀬田橋の架け換え中は渡船によって対岸まで人や荷物を運んでいました。明治28年の架け換えにおいても渡船が用意されます。渡し場は瀬田橋の上流に設けられ、大船2艘・水主(かこ)6人によって運搬がなされました。標燈は終夜点灯され、昼夜問わず何時たりとも出航できるように備えられていました。【明に21(19)】

「瀬田橋不用木材払下願」 明治27年(1894)12月3日

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瀬田橋の東側にある橋守神社では、瀬田橋の架け換えの際に、必ずその橋梁と同じ用材で神社の改築を行い、また橋の古材で記念品を作るという慣例がありました。明治27年11月15日、今回の橋の架け換えでも橋梁と同じ用材で改築したいので、用材の払下をしてほしいといった内容の「御不用材払下御願」と、記念品作成のための材料として「古材御払下願」が提出されました。【明に28(6)】

「瀬田橋ノ沿革」原稿 大正11年(1922)

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瀬田橋は大正13年に再度架け換えられました。この時の橋は、大正8年施行の道路法に基づき制定された内務省令「道路構造令」の規定に則り、主要部分は鉄骨を用いて「堅牢且耐久力ニ富メル構造」としました。また高欄(手すり)の構造は、橋の歴史上重要なものであるので、従来の通り木造として擬宝珠を取付け、橋面も板張りとしました。【大に19(17)】

「浮御堂被害状況」 昭和9年(1934)9月22日

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社寺兵事課による、昭和9年の室戸台風による被害状況の調査です。この台風では寺社や国宝、名勝にも大きな被害が出ました。湖上に建つ浮御堂は倒壊して湖に墜落し、橋台と礎石が残されるのみとなってしまいます。その後、浮御堂は昭和12年に滋賀県技師の西崎辰之助の設計で再建されました。【昭は3(5)】

失われてゆく近江八景

「老上村会会議録」 大正14年(1925)5月4日

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栗太郡老上村長から提出された「官有地水面使用工作物設置願」の添付資料です。荒廃した「矢橋帰帆」の現状を憂いた老上村会は、矢橋港の発展を計るため水面を借り受けて休憩所を設置する計画を立て、知事へ願い出ました。この資料は借り受けを決定した村会の会議録です。【大ぬ23(10)】

「史蹟名勝天然紀念物報告書 粟津ヶ原」 大正9年(1920)10月13日

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大正9年に県内務部地方課が行った粟津ヶ原に関する取調書です。当時の粟津は、東海道の松並木の西側には旭人造絹糸株式会社が、東側には近江麻糸紡織会社の工場が立地していました。これら工場の進出は、風致を損じるのみならず、その煤煙が松を枯死させる恐れがありました。そこで、今後は付近一帯に風致を害する工場等の建築物を建設しないこと、さらには既存の工場に対しても風致を損なわないように改造することが県より指摘されました。
その後の大正10年8月30日には、粟津周辺は「湖南勝区」の一部として名勝に仮指定(知事による指定)され、指定区域内への現状変更には県知事の許可が必要となりました。これにより、指定区域内への工場進出はある程度くい止められたようです。しかし、区域の隣接地への設置や、既存工場の増築は許可されるなど、その後も粟津周辺への工場進出は続き、その景観は次第に破壊されていきました。工業振興か名勝保存か、現代にもつながる問題がここにあります。【大せ36(1-16)】

活用される近江八景

「石山寺観光パンフレット」 昭和初期

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石山寺をはじめ、その周辺の観光地を紹介したパンフレットです。近江八景についても、唐崎夜雨を除く7ヵ所の位置が記されています。明治後期以降、滋賀県ではこのように近江八景が観光客を誘致する材料として活用されます。【昭せ52(28)】

「比良山嶽水池の氷塊運搬の件」 明治16年(1883)4月10日

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明治前期、比良の山頂ではその寒さをいかし、天然氷の採取が行われていました。日本での天然氷の商品化は、明治4年に函館でなされます。この函館の成功を見て、日本各地で天然氷の採取販売が盛んになりますが、この比良もその1例といえるでしょう。事業者は、ここで採取できた氷塊は、函館のものにも品質が劣らないと自負していたようです。この文書は、この氷塊の運搬の際に、通過する村から事業者が不当に通行料を徴収されないように、その村へ県から指導することを求めたものです。【明ち278(42)】(比良山の写真は『湖国聚英』より引用)

お問い合わせ
滋賀県総合企画部県民活動生活課県民情報室
電話番号:077-528-3126(県政史料室)
FAX番号:077-528-4813
メールアドレス:[email protected]
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