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コラム(1)外国人観光客を誘致せよ Part1

世界の観光地として注目された滋賀の風景

琵琶湖を中心に美しい山なみと神社仏閣をはじめとする歴史ある建築物を備えた美しい風景が随所で味わえる滋賀県。これを「東洋の瑞西」と称し世界の観光地として売り込んでいこうとした滋賀の歴史をみなさんは御存じでしょうか。今回は大正年間に滋賀県が行った外客誘致のとりくみを紹介したいと思います。

滋賀県の風景を世界へ

大正元年(1912)7月19 日、大津市林野講習会で「公園の父」と呼ばれた本多静六が「森林公園と琵琶湖風景利用策」【大て11(2-6)】と題する講演を行います。どのような内容かというと、スイスをはじめとする西洋諸国では自然風景を鑑賞するのが流行しており、鑑賞スポットを公園化して観光地としたところ、外国人観光客が増え旅行消費も活発であるというものでした。そのうえで彼は、琵琶湖を中心に優れた風景を有する滋賀県もスイスに倣い交通インフラや外国人向けの宿泊施設を整えれば、外国人観光客が訪れる観光地として成功を収めることができると力説しています。本多は講演の最後の方で「大津市が其附近の山水風景を利用する事は是れ大津市当然の義務にして、之を利用せざるは大津市の恥辱、否、滋賀県の恥辱、否、寧ろ日本帝国の一大恥辱であります」とも述べています。滋賀の風景は、県はおろか国が観光地として世界に売り込まなければならないほどの価値をもつ観光資源だというわけです。本多の滋賀の風景にかける熱い気持ちが伝わってきます。
本多の主張はすぐに浸透していったようです。同年末、民間の手により県への「観光観察者」のために刊行された『滋賀県がいどぶっく2』の序文には「我近江の地たる四境繞らすに青山翠峯を以てし中央琵琶湖の大湖を湛えて風光の明媚なる、人或は呼んで東洋瑞西となす」とあります。ここに、スイスを手本にせよという本多の主張の影響をみることができるでしょう。滋賀の美しい風景をスイスになぞらえ、世界に発信していこうという意識がこの頃に芽生えるのです。

大正3年 滋賀県風光調査

本多の主張は県に取り入れられます。大正3年(1914)8月、県は本多に委嘱し風光調査を実施。観光という視点で県内の史跡・名勝・レジャー施設を調査します。調査結果は翌年『滋賀県風光調査報告』【大て11(3-2)】にまとめられ、調査先の現状をふまえ、どう活用すべきかが提案されています。そこで本多の提唱する景観活用術を少し紹介しましょう。
近江八景に数えられる瀬田中島は、県の美しい風景を集めた写真集『湖国聚英』(昭和3年(1928)刊行)に見え(写真は【展示】近代湖国の観光ビジョン―東洋の瑞西となす―)、当時も美しい景色と認識されていました。しかし本多に言わせれば「風致上極メテ重要ノ位置ヲ占ムルニモ拘ラズ殆ンド見ルベキノ施設ナキノミナラズ、非風致的ノ建造物(水量実験所、旗亭、電柱)ニヨリテ風景ノ甚シク損傷セラルヽアルハ惜ムベシ」というのです。景観の美しさは認めるが、その他に見るべき施設はなく、そればかりか景観を損ねる建造物があるとかなり辛辣です。続けて本多は、景観を損ねる建造物は撤去するか植樹して覆い隠せと提案しています。水量実験所や旗亭(旅館)、電柱といったものを、景観を美しくするために撤去せよというわけですから、かなりふみこんだ提案といえるでしょう。とにかく景観の美しさを第一に据え、そのためには人家でさえも移転すべきだという主張が『報告』のいたるところにうかがえます。
滋賀の風景は十分美しいと思えますし、そこが本多に国をあげて世界に発信すべきと言わしめたところですが、世界を目指すのであれば、そのままでいいというわけではなく、より美しくみせる工夫が必要であるとされたのです。見るべきところがないという本多の辛辣な評価は、期待のあらわれということなのかもしれません。
コラム(2)外国人観光客を誘致せよ Part2 滋賀県内の旅館事情と琵琶湖ホテル
【展示】近代湖国の観光ビジョン―東洋の瑞西となす―

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