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【コラム1】滋賀県庁舎の移転騒動

現在、大津市にある県庁舎は、明治期と昭和期の2度、大津から彦根への移転問題に見舞われました。京都・大阪に近く、古くから宿場町として発展して交易の要であった大津と、彦根藩35万石の城下町として近江国の代表的都市であった彦根との政治的駆け引きであったこの問題は、隣接地域はもちろん滋賀県全域の町村を巻き込み一大論争となりました。今回は、県庁移転問題がどのように議論され人々に影響を与えたのかをみていきたいと思います。

明治維新による県庁舎の誕生

現在の滋賀県域は、近世までの近江国がそのまま当てはまり、多くの藩や旗本領などから成り立っていました。そして幕末の動乱を経て、彦根藩、膳所藩などの諸藩は明治4年(1871年)の廃藩置県の後、最終的には明治5年(1872年)9月28日に滋賀県へと統合されます。

当時は、滋賀郡別所村(現大津市)の円満院が県庁舎として使用されていました。【明あ179(55)】。しかし、時が経つにつれて手狭になり、老朽化に伴う修繕費がかさむといった問題が現れはじめます。明治18年には、県庁舎の新築計画が持ち上がり、12月の県会に提案がなされました。そして明治19年7月、工事が開始された新庁舎は、約2年間の工期を経たのち、明治21年6月25日、現在まで続く滋賀郡東浦村(現大津市)の地において開庁します。完成したこの庁舎は、現在の県庁舎建設のため昭和12年(1937年)に取り壊されるまで、半世紀の長きにわたり県政の舞台となりました。

明治の県庁移転騒動

明治24年、師走を迎えた滋賀県会で突如、新築間もない滋賀県庁を彦根町に移転させる、という建議が提出されました。これは、通常県会の最終日12月16日に神崎郡選出の磯部亀吉が「県庁を犬上郡彦根町に移すの建議」を提出したのがきっかけです。磯部はその中で、大津は滋賀県の南にあるため北部の人民は不便を感じ、県庁と往復する際、常に不満の情を抱いていると主張しています。そして、鉄道が合流する草津や米原の中間に位置する彦根は交通網が発達して便利であり、滋賀県内第一の都市で大津町より多くの人口を有する点においても、県庁を置くことが当然であると論じました【明き2(4)】。結果、過半数の賛成を得て、この建議は通常県会を通過しました。

しかしながら、引き続き開かれた12月22日の臨時県会において、先日採択されていた建議の取消しが滋賀郡選出の谷沢竜蔵により提案されます。この提案が26名中過半数を超える18名の賛成を得て可決されますが、臨時県会で決議すべきではないとして大越亨県知事は県会の中止を命令します。ところが年が明けて明治25年1月6日には、建議取消しの取消しまでもが提案され可決されます。さらに当時の大越知事は、瀬田川の鉄橋架設問題や坂田・東浅井郡合併問題などの対応をめぐり、批判を受けている状況でした。そこで事態を打開しようとする大越知事により、昨年末に引き続き再度、中止命令が発せられます。こうした類をみない混乱が生じた遠因の一つには、大越知事の一定しない言動への議員たちが抱く不信感があげられます。

こうして、二度にわたる知事の県会中止命令などで混乱をきたした県会は、結局、2月8日に至って内務大臣品川弥二郎の権限により県会解散となり、改めて県会議員選挙が行われることとなりました。そして、これにともない県庁移転問題も自然と立ち消えとなりました。

昭和の県庁改築問題

それから半世紀経ち、県庁舎も次第に老朽化が目立つようになりました。県会においても、県庁舎の改築が論議されはじめます。昭和11年(1936年)になると、彦根においてもこの県庁舎改築を契機に、前回は挫折した県庁移転を再度果たそうと、商工業者を中心に県庁舎移転期成同盟会の設立が進められます。また、彦根町長より内務大臣に対し県庁移転の陳情書が提出されますが、そこでは次のように述べられています。県庁が最西端の大津にあることは、県治の上で不便である。県庁が大津に置かれたのは、東海道線全通までの主要交通手段が琵琶湖水運であり、物資集散の中心が大津港であった時のことである。しかし、湖上運輸が機能を失った今、旧来の繁栄は消え、大津が県庁所在地であることは、もはや県民の不便と苦痛を残すのみである、と(『新修彦根市史 史料編 近代2・現代』)。こうした主張をみると、明治期の県庁移転騒動のときと比べても、彦根の論点に変化はなかったといえるでしょう。昭和11年の通常県会では、多数の傍聴者が見守る中、12月17日未明まで審議が行われ、結局、現在の地での県庁改築案が一部の修正のもとに可決されました。そして午前3時37分閉会となり、県庁移転問題はそのまま立ち消えとなってしまいました。

国登録有形文化財に向けて

こうして、明治と昭和の二度にかけて議論された県庁移転問題を乗り越え、大津は県庁所在地として今に至ります。昭和14年5月16日に竣工式を迎えた改築県庁は、その後、70年あまりの時を経て、平成26年(2014年)12月19日、国の登録有形文化財に登録されました。今後一層、滋賀県の歴史を刻んだ文化財の一つとして、県民全体で守り活用していくことが求められます。

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