天正4年(1576)、織田信長は近江国安土にそれまで誰も見たことがないような巨大城郭の築城を開始します。それとほぼ同時に城下町の建設にも着手していたようで、翌天正5年(1577)、有名な楽市楽座の掟書を城下町に宛てて発布しました。安土城下町は多くの人と物でにぎわい、さながら首都のようであったと当時来日していたイエズス会の宣教師ルイス・フロイスは著書「日本史」の中に記しています。しかし、天正10年(1582)の本能寺の変後の混乱と、天正13年(1585年)の八幡山城築城に伴う城下町の移転によって、安土城下町のにぎわいは失われ、江戸時代は閑静な農村となりました。今では、城下町のにぎわいや景観は失われてしまいましたが、道筋や舟入など、城下町の痕跡を見ることができます。
安土城下町は、信長の都市・経済政策の到達点であり、江戸時代の城下町につながる出発点でした。しかし先進性を強調する評価がある一方で、楽市楽座など江戸時代にはつながらない政策が見られる、戦国時代の城下町であるという見方もあります。今こそ、新しいか古いかではなく、安土城下町ならではの特質を歴史的に位置づけることが求められています。
今回のセミナーでは、安土をはじめとする信長の城下町の特質を明らかにし、その歴史的評価について考えます。