彦根城は、徳川家譜代筆頭の重臣井伊家の居城です。慶長5年(1600)、関ヶ原合戦の後、徳川四天王の一人に数えられた井伊直政が戦功により、石田三成の居城佐和山城とその旧領を与えられました。直政が関が原合戦で受けた鉄炮傷がもとで亡くなると、跡を継いだ直継は、新たな居城を築くことを決め、彦根山が選ばれました。彦根城の築城は、大きく二時期にわたって行われました。第一期工事は慶長9年(1604)からはじまりました。諸大名に普請を割り当てる「公儀普請」として実施され、山上部に天守・本丸御殿などの主要施設をまとめる形で城が築かれました。第二期工事は、大坂夏の陣が終わった元和元年(1615)に井伊家の単独普請として始められます。第二期工事では、本丸御殿を廃して山麓に表御殿を建て、内堀内にあった重臣屋敷を堀の外へ移すなど、城域の拡大が行われました。また、城下町の整備も進み、彦根藩の政庁としての完成した姿を見せるようになります。こうして明治維新を迎えるまで、国替えが行われず、井伊家が支配する彦根藩の統治の拠点として存続し続けました。
明治以降、全国の多くの城が失われる中、彦根城は今もその姿を現地にとどめており、国宝天守をはじめとする多くの城郭建造物が重要文化財の指定を受けています。また、石垣や堀切などの遺構もよく残っており、特別史跡にも指定されています。一方城下町も当時の町割が残り、城下町の景観が随所に見られるなど、江戸時代の彦根を実感することができます。
今回の講座では、彦根城と城下町をめぐる探訪を行います。今は失われてしまった外堀の痕跡をたどり、彦根城と城下町の遺構を見てゆきたいと思います。
JR彦根駅西口広場(集合)→外堀跡→切通口→油懸口→外堀土塁跡→高宮口→本町口→宗安寺→京橋口→大手口→鐘の丸→太鼓丸→本丸→井戸郭→西の丸(解散)
※天守や櫓などの建物には入りません。解散後、各自で見学してください。
健康保険証(コピー可)、雨具、水筒、手袋、タオル、ウォーキングに適した服装・靴
※靴袋~解散後、建物内見学をされる方。建物内は土足厳禁です。