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淡海の人
このコーナーでは首都圏でご活躍中の滋賀県ゆかりの人、滋賀県出身有名人にインタビューしています。

かばんやえいえもん 山内 麻衣さん

山内 麻衣さん

やまうち まい さん

4歳から滋賀県で育つ。
立命館大学理工学部卒業後、モノづくり人の道を目指し、上京。
モノづくりの素材の小売業、国内鞄メーカーの製作職を経て、2008年に独立。
滋賀県高島市特産の帆布を使い、デザイン・製作・販売をすべて一人でこなし、自転車行商とアトリエ店舗で対面販売を続ける。テレビ・新聞など数多くのメディアに出演。

モノづくりの道へのきっかけ

小さい頃は、洋裁職人の祖母の影響から、手仕事に触れる機会がたくさんありました。

大学3回生の時にドイツに行く機会があり、そこで国の政策としての職人の文化、モノづくりを見ました。

大学は理系で研究職を目指そうと思ってましたが、将来一生の仕事は、本当に好きなことでなければ続かないと思い、『モノづくりの職人として手に職をつけたい』と気づき、卒業後はモノづくりの職人の道を目指しました。

そこでまずは、『東京に出て行きたい、一旗あげたい』と思ったのですが、なかなか東京の職人の仕事を見つけるのは難しく、茨城県にある革やビーズなどモノづくりの素材を扱う小売業者に就職しながら、休日はかばんを手作りしたり、レザー教室に通って技術を学びました。

行商でのかばんの販売へ

小売業者で働きながら、実際にモノを作る関係の就職先を探していたのですが、経験者でもないことから、厳しい状況でした。

そうしたところ、雑誌で、谷中には、モノづくりのお店がたくさんあることを知り、行ってみると、自分で作り、対面で販売をする素敵な靴屋さんやかばん屋さんを見つけました。このようなかばん屋さんで働きたいと思い、自分でレザー教室で作ったものや、資料を持って飛び込んでみました。

当然会社からは、断られ続けました。『職人の世界は厳しい世界である』ということを会社の方から何回も言われました。後で聞いたところによると、私を諦めされるために工場を見せたということでした。でも諦めるどころか、逆にますますモノづくりをしてみたいと思いが込み上げてきて、その熱意によって働くことができました。

工場では『目で見て仕事を覚える(目検)』ということから始まり、『これが職人の世界か、技術を盗めというのはこういうことか』と肌で感じつつ、失敗も重ねながらミシンなどの技術も経験していきました。

働き始めて4年が過ぎた頃、工場長からのアドバイスで、自分がデザインした作品を手作り市で売ってみたところ、お客さんが『ありがとう』と言って買ってくれました。作り手だけではなく、売り手の楽しさもわかるようになり、『自分で作って、売ってみよう』と思い、独立の道を選びました。

しかし、どうやって売ろうかと悩んでいる時に、母から『昔、行商というのがあったのを知っているか?』と聞かれました。

そうか、『地元滋賀の素材である高島帆布を使ったかばんを作って自転車で売ろう』と考え、『ええもんを作る』というコンセプトから『かばんや えいえもん』という名前を思いつき、行商スタイルでのかばん販売を2008年10月に谷根千エリアを拠点として始めました。

現代版近江商人『三方よし』へ

行商での販売は、一年を過ぎる頃から地域の人に認めてもらい、声をかけてもらうことができるようになりました。

店内写真

2年前から店舗兼アトリエも設けることができましたが、行商で直接お客さんと顔を合わせ触れ合うスタイルは継続しています。対面販売なので、修理に持ってこられるとかばんのどの部分が壊れやすいか等聞くこともできて大変勉強になります。お客様に対して、『逃げないかばんや』これをモットーにして仕事に取り組んでいます。

私は、滋賀の高島がふるさとですが、谷根千エリアは第2のホームタウンだと思っています。そこで、行商を行う場所に加えて、お店や観光スポットも加えた手づくり地図を配布しています。

私の作ったかばんの素材、地元滋賀の高島帆布で滋賀のことを知ってもらい、このかばんを買いに谷根千地域に来てもらうことによって地域が賑やかになる。

これは、『売り手よし、買い手よし、世間よし』の近江商人の三方よしの理念に通じるものだと思っています。滋賀の人は自分自身が滋賀出身ということを隠したがる傾向があります。滋賀にはいいものがたくさんあるし、もっと滋賀を誇りに思ってほしいです。今後は滋賀在住のモノづくりの人たちとの交流も、私のアトリエなどを使って、この谷根千の地域で広がればと思っています。

≪谷根千のまち歩きMAP(山内さん作成)≫

map

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