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淡海の人

このコーナーでは首都圏でご活躍中の滋賀県ゆかりの人、滋賀県出身有名人にインタビューしています。

株式会社鴻池組常務執行役員東京本店長兼東日本所管統括 澤井清さん

さわい きよしさん

  • 株式会社鴻池組常務執行役員東京本店長兼東日本所管統括
  • 1954年大津市生まれ。膳所高校卒業。
  • 早稲田大学理工学部土木工学科卒業。
  • 1978年株式会社鴻池組入社後、山陰支店土木部長、本社土木本部技術営業部部長、海外事業部土木部長、執行役員東京本店副本店長、執行役員東京本店長兼東日本所管統括を経て2010年11月より現職

◇出身地としての滋賀県~就職まで

私は蓬莱山ふもとの旧志賀町出身です。子供の頃は、夏は家の近くの松の浦水泳場で泳ぎ、冬は比良山でスキーと風光明媚な場所で目一杯遊びました。今も週末には滋賀の家に帰り、60aの田んぼを耕し、比良山系のきれいな水でおいしい江州米を作っています。

中学校で生徒会長をしていた頃、東京の日暮里にある日暮里中学校と交歓会がありました。東京の中学生の「都会的な考え方」に刺激を受けました。膳所高校に進学し、陸上競技で全国大会に出場し、他県の選手と交流する中で、「一度は東京に出よう」と決め、東京の大学に進みました。

就職は家が建設会社を経営していたこともあり、ゼネコン(総合建設会社)を選びました。その際、自分が長男であることもあり、大阪が本社の(株)鴻池組を選びました。

◇建設業に携わるものとして

入社後神戸勤務になり、平成7年の阪神大震災を経験しました。神戸での経験は、東日本大震災での対応にも役に立ちました。私は現在、東日本を統括する役員をしていますが、震災当日は名古屋におりました。夜を徹して東京に帰り、災害対策本部長として急ぎ対策本部の陣頭指揮を執りました。現地との連絡はとれませんでしたが、すぐに東北出身者を中心に土木や建築など各部門の社員を派遣して東北支店の体制を強化しました。当社の施工現場を早急に確認し、状況に応じた必要な措置を行うよう指示を出しました。

「有事の決めごとは、何が重要か!」が神戸の経験で頭にありましたので、早急かつ適切な対応に役立ったと思います。しかし、建設会社の立場から見た場合、東日本大震災が阪神大震災と大きく違う点があります。阪神大震災の復興にあたっては、耐震性などの機能を強化した上で、そのままの街を早期に再現することが、社会的に当然のコンセンサスとして取り組めました。

一方、東日本大震災の被災地は広範囲である上に、津波の大きな被害を受けているため、その場所で同じ街を復興していいのか。新しい都市計画について議論し、考えていく必要があります。現地では、瓦礫の処理がようやく始まったばかりであり、復興に要する時間が全く違うのです。

建設業に携わるものとして、現状をよく認識し、これまで培った技術を生かし、被災地の復興に全力で役立ちたいと考えています。

◇東京と滋賀の往復を通じて

私は毎週のように滋賀の家に帰り、先祖から引き継いだ田んぼを耕しています。比良山系と琵琶湖を見ながら、農作業で汗をかくことは気分転換に最高です。滋賀に帰らないと落ち着かないんですね。心が安まります。やっぱり滋賀県が好きなんだと思います。

◇滋賀県の将来像と提言

昔は京都に隠れているように感じておりましたが、今東京にいて、感じるのですが、滋賀県は注目されています。人口が増加する、大学が集まる、近江商人の精神が注目されるなど、どんどんメジャーになりつつあり、出身者として誇らしく思っています。

滋賀県がさらに存在感を出していくためには、琵琶湖をもっと有効に活用すべきだと考えます。私は海外事業を担当し、東アフリカなどの途上国でも仕事をしましたが、現地では特に水道と道路の整備が重要でした。これから世界は「水争奪の時代」に入ります。粉石けん運動に代表されるように、環境を守る意識が高い滋賀県の人は、琵琶湖の水や環境を大切にしています。最先端技術とノウハウを駆使して、琵琶湖を日本一水のきれいな湖にすることができれば滋賀の観光や産業は大きく伸びると思います。

私は実家が松の浦水泳場で「湖の家」もやっていたので、美しい琵琶湖を思う気持ちは人一倍です。

今回は、株式会社鴻池組常務執行役員東京本店長兼東日本所管統括澤井清さんにお話を伺いました。(2011年8月) 

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