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対談:滋賀の”美”がつなぐ人の絆と暮らしの未来

対談:滋賀県知事・嘉田由紀子×「美の滋賀」発信懇話会座長・鷲田清一さん

滋賀県は国宝・重要文化財の数が全国第4位など豊富な「美」の資源を持つ県であり、近年では※アール・ブリュットの拠点としても注目されています。美術品としての「美」だけでなく、滋賀県ならではの生活様式など、その誇るべき価値や魅力について「美の滋賀」発信懇話会委員で座長を務める鷲田清一さんと嘉田知事が語り合いました。
※アール・ブリュット…伝統や流行、教育などに左右されず、自身の内側から湧き上がる衝動のままに表現した芸術。
フランス語で「生(き・なま)の芸術」の意。

暮らしに溶け込む 滋賀ならではの美

嘉田

今回の「美の滋賀」というフレーズは、聞き慣れない言葉かもしれません。鷲田さんは滋賀の“美”について、どのようなイメージをお持ちでしたか?

鷲田

真っ先に思いつくのは、やはり自然の美しさです。“美”という視点で滋賀の文化のあり方を考えると、県立近代美術館やアール・ブリュット、仏教美術なども含めて、すごくいい作品を身近なところで日常的に見られるというのも、うらやましいなと思っていました。

大津市や高島市に見られる棚田。
傾斜に逆らわず幾何学模様に広がる様は、
“日本の原風景”としても高く評価されています。
暮らしの中に埋め込まれた人々の
美意識の表れと言えるかもしれません。

嘉田

小倉遊亀さんや野口謙蔵さんといった、県にゆかりの深い画家も多くいますし、アール・ブリュットの作家さんもたくさんおられます。

鷲田

そういったいわゆる芸術としての美はもちろんのこと、整然とした棚田のあぜ道や琵琶湖の魞など、暮らしに根差した美意識、いつくしみの心を感じる場面もありますね。

嘉田

仕事の場にも美しさが埋め込まれているんですね。

鷲田

ヨーロッパでは視覚や聴覚といった、対象から距離を置く感覚が芸術の基準とされましたが、日本では味わう、触れるといった、実際に触れることを通して美の価値を見出していったんですね。

嘉田

使いながらの美、“用の美”とでも言えるでしょうか。

鷲田

つまり「美の滋賀」というときの美とは、鑑賞の美だけではなくて、暮らしの中に浸透している美。そういうものとして、滋賀の“美”は大切なのではないかと思います。

人々を元気にするアートの力

県立近代美術館の「たいけんびじゅつかん」。
子どもたちが気軽に美術館を訪れ、身近な

ものとして楽しめる作品鑑賞プログラムや
ワークショップが開催されています。

嘉田

3月に発生した東日本大震災以降、日本人の価値観が変わってきているように感じます。

鷲田

友人の陶芸家の話なんですが、避難所の方々が発泡スチロールの器で食事をする場面をニュースで見て、思わず「気の毒やなぁ」って呟いたそうなんです。食事って「栄養摂取」のためだけの行為じゃないでしょう?みんなと一緒に味わいながら食べるからこそ楽しいし、美味しい。避難所での食事が「食べることでしかない」というのは、ある意味で人間としての尊厳が奪われているということなんです。その状況を友人は嘆き、自分にできることは「器を作って届けることだ」と、3,000個を目標に丼を作ったんです。そのきっかけになったのは、実は信楽の方々の行動なんです。彼よりも先に、信楽の方々がいろいろなお茶碗を4,000個ほど届けられたそうですね。

嘉田

ええ。避難所の方々に、とても喜んでいただきました。

鷲田

今回の震災からの復興の過程では、国や自治体にすべて任せるのではなく市民として何ができるか、何をすべきかということを自分の問題として受け止めて、きちっと考えようと思った方が案外多かったように思います。

嘉田

災害が多い日本では、過去にも人知が及ばない、それこそ神や仏に祈りたくなるような被害を受けてきました。これらの経験の中で、最後に当てになるのは人の力しかないんだという思いが、日本の家族なり、コミュニティの力を強固にしてきたんだと思います。

地域の暮らしに根付き、大切に
守られてきたものが多いことが
滋賀県の文化財の特徴。
写真は日吉神社(長浜市)の
千手観音像〔重文〕
 

鷲田

日本の場合、祭礼や信仰というのが、災害とすごく結びついていますよね。人々が本当に大切なものを失った時、みんなで合唱や合奏をする、踊ったり体を動かすというのは、心を整え支えてくれるものですよね。

嘉田

8月に、県内のボランティアの方たちがバス1台に絵の具やよし笛を積み込んで福島県いわき市に行き、“キッズミュージアム”を開いたところ、「久しぶりに子どもの笑顔が見られた」と、ものすごく喜んでくれたそうです。

鷲田

「本当に人を元気にするものは何か」を考えたとき、広い意味でのアートの持つ力を今回ほど感じたことはないんじゃないかな。

嘉田

「文化は後回し」「衣食足りてから」と言う人もいますが、生活に密着しているものであり、衣食と同じように大切なものだと思います。

鷲田

衣食と同じか、もっと根源的に人間を元気にするもの、必要なものだと思います。

嘉田

これからは、アート作品を閉じ込められた芸術空間からいかに解き放つか、美術館の役割が大事になりますね。

「本当に大切なもの」を問い直すきっかけに

蒲生郡(現・東近江市)出身の近代画家、
野口謙蔵の「梅干」(県立近代美術館所蔵)。
彼は生涯、故郷の自然や人々の暮らしなどを
描き続け、数多くの作品を世に残しました。

嘉田

今回の「美の滋賀」では、近代美術館の所蔵品や仏教美術、アール・ブリュットの3つを軸に発信していこうとしています。

鷲田

私がすごく面白いと思うのは、これら3つは近代芸術、明治以降の美術館という思想に収まらないものばかりなんです。
アール・ブリュットや仏教美術などは本来「美術」として生み出されてきたものではないし、近代美術館は現代美術がたくさんありますね。
近代美術の外側、周辺にあるものも大切にしようとされている。このことは、美術館の問題でありながら、これからの滋賀での暮らし方の未来にも関わることだと思うんです。
豊かさ、速さ、効率性といった近代独特の社会的価値に乗っかって、私たちは社会を発展させてきました。この価値観は、高度成長など右肩上がりのときは日本の国を復興させ、豊かにするものでした。
しかし今、右肩下がりの時代の中で、本当にこの社会や地域での暮らしにとって一番大事なもの、価値って何なのかって見直す、近代的な価値の見直しのときに来ています。
近代美術の思想に収まらず、そのあり方自体を根源的に問い直すようなアートがこの3つではないかということと、時代の中で「本当に私たちが大事にしなければならない価値って何なのか」を、もう一度見つめ直すという作業。それら2つが1つに重なっているような感じがします。

今年2月に「アール・ブリュット・ジャポネ 
凱旋展」を滋賀県で開催。6日間で県内外 
から約3,500人もの来場者を集めました。

嘉田

「なぜその3つなの」、「無理矢理つなげているのでは」などと言われることもありましたので、そう言っていただくとすごく勇気が湧いてきます。

鷲田

「美の滋賀」の“美”とは、“美”をきっかけにして、あるいはその周りで人がどんな新しいつながりや絆を作っていくのかという、まさに人と人のつながり、あるいは地域のあり方の課題だと思います。
アートを核にして、世代や立場を超えた人間関係から、いろいろな提案や協働活動が起こり、県外の人がそういう地域の新しい暮らし方のモデルをうらやましく思う、そんな滋賀県になることを期待します。

嘉田

人々の縁をつなぎ直す力がアートにはあります。滋賀県の次の挑戦として取り組んでいきたいと思います。現在、県では「『美の滋賀』発信懇話会」や3つの分野それぞれの検討委員会を設置し、美の魅力をどのように発信していくか検討しています。専門家や県民のみなさんから広くご意見をいただき、県の魅力や住み心地向上のための可能性を探っていきます。今日はありがとうございました。

鷲田 清一(わしだ きよかず)さん

「美の滋賀」発信懇話会委員・座長。

臨床哲学・倫理学を専攻する哲学者。関西大学教授、大阪大学教授を経て、2007年から今年8月まで大阪大学総長を務める。現在は大谷大学教授。


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