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広報誌「滋賀プラスワン」2012年5・6月号掲載

滋賀の風ふわり

暮らしとともに 近江・水の路

琵琶湖を抱く滋賀県は、常に水と向き合い暮らしを営んできました。歴史の中で、水は利をもたらすだけでなく、時に人の手に負えぬもの、届かぬものになりましたが、そんな水を安全に治め、実りへと導いた努力の跡、水路は今も残されています。

大河ドラマ「平清盛」をきっかけに、注目が集まる野洲市「祇王井川」もその一つ。清盛の寵愛を受けた、近江の国江部荘出身の祇王が、水不足に苦しむ故郷のために、清盛に請うたとされ、喜んだ人々がこの名で呼ぶようになったとか。

江戸後期、余呉川の氾濫から村を救ったのは、長浜市「西野水道」。僧侶西野恵荘が水害を防ぐため、排水トンネルを提案し放水路が完成。水路は現在、県指定史跡になっています。

水路が町の中を巡り、農産物などを運ぶ船の行き来に用いられていたのは、東近江市「伊庭の水郷」。各家には水路に通じるカワトという石段があり、かつてその水は炊事や洗濯にも使われていました。

そして、明治時代に琵琶湖から京都につながる「琵琶湖疏水」が誕生。舟運、発電、上水道、灌漑を目的に、賛否渦巻くなか、苦労を乗り越えて完成した水の路は、上水供給用となった今も、穏やかな流れを保ち、木々の青葉を映しています。

近江・水の路

祇王井川(野洲市)
水不足解消のため引かれた水路。
西野水道(長浜市)
余呉湖の氾濫から村を救った放水路。県指定史跡。
伊庭の水郷(東近江市)
農産物などの運搬用。炊事や洗濯にも使われていた。
琵琶湖疏水(大津市)
舟運、発電、上水道、灌漑を目的に完成。現在は上水の供給用になっている。