ごく薄手の楮紙(ちょし)に、柔らかく繊細な筆鋒(ひっぽう)で書写された平安時代後期(院政(いんせい)期)の大般若経である。元来は600巻が揃っていたと考えられるが、現存するのは138巻分で、そのうち61巻分に奥書(おくがき) (すべて書写奥書)が認められる。
奥書によると、筆者は源敦経(あつつね)なる人物であり、巻43を天永(てんえい)3年(1112)8月9日に書写した。巻400には元永(げんえい) 3年(1120)4月8日に書写した旨が記される。奥書のない巻には別人の筆跡と思われるものもあり、一部助縁(じょえん) を得ながら8年以上にわたって書写し続けたと考えられる。また、巻261の奥書には「□久四年十二月廿(にじゅう) 三日奉書了(かきたてまつりおわんぬ)/散位(さんに) 源敦経/大宰府東対書之(だざいふひがしのたいでこれをかく)」、巻262の奥書には「永久(えいきゅう)四年十二月廿(にじゅう)九日奉書訖(かきたてまつりおわんぬ)/散位(さんに)源敦経/於西府東対書之(さいふひがしのたいにおいてこれをかく)」とあり、これらの巻を大宰府にあったいずれかの寝殿(しんでん)の、東対屋で書写したことが具体的にわかる。
敦経は宇多源氏(うだげんじ)氏で、従四位下式部丞(じゅしいのげしきぶじょう)に任じたが、詳伝は不明である。父の基綱(もとつな)、祖父の経信(つねのぶ)はともに従二位大宰権帥(ごんのそち)にまで昇進し、とくに経信は能筆家として知られる人物である。本経に見る敦経の手跡も、院政期の貴族層による一流の筆跡を示している。
日本文化史、仏教史、書道史上に貴重な経典類であるのみならず、奥書から院政期貴族の知られざる行跡(ぎょうせき)が明らかにでき、史料価値も高い。
巻262奥書
巻229部分(柔らかく、繊細な筆鋒)